鳥羽離宮ウラ墨跡金将のウラ画像解析(長さん)
成書、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の第76
ページ付近に、裏表のスケッチ図と写真のコピー
が載っている、鎌倉・南北朝期成立の鳥羽離宮
出土駒のうち、前記成書の最上段右の、第59
次発掘時出土の金将駒のウラに墨跡があり、本
ブログで、以下の成書を参考に、「成」の草書
であると説明した事がある。
亀田秋陽著、「漢字・くずし字早わかり辞典」
(2013)、メトロポリタンプレス発行。
この解釈は、現物に薄い水平な墨跡が中段や
や上に見られる事から、矛盾の無い解釈だと私
は今も考えている。
だが、これを「小将棋だけに限定して金将駒
の裏に文字を書いた、その場所も使っていた、
後鳥羽上皇の時代に、鳥羽離宮で付けた習慣」
というふうに、経緯を解釈し、
だから後鳥羽上皇の所持していた仮説94枚制、
13×13升目の大将棋の駒の、ウラには全部
成りが無い
との根拠にするには、いかにも曖昧で、史料と
しては、問題が残るとは言える。
その後、本ブログの管理人の画僧処理ソフト
使用のスキルも当時よりは向上したので、成書
「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」のその金将
のウラ面の画像処理を、試しにして見ようと私
は最近なった。
今回は、その結果を紹介する。
「『田カンムリにπ』+将具」と3文字のよう
にも見え、任意性が大きい
と結論された。ただし、この解釈でも「後鳥羽
上皇所有の大将棋には、小将棋と違い成が無い」
とも解釈出来、仮説は、ソコソコ安定度が有る
のではないかと考えられた。熊澤良尊型改善
大将棋を、成り無しで米マイクロソフトの表計
算ソフト:オフィス/エクセルで指すという
アイディアに、今回のチェックは、悪影響を
与え無いようである。
さて前記成書の将棋駒の画像のコントラスト
を補正し、横に1.5倍に広げると、墨が木目
に沿って
染み込んだ為に生じる、滲み模様が目立たなく
なる。

その結果上図右のようになり、右上に『田カン
ムリにπ』の、『ヒ/あたえる(意味:たまう)』、
左上に『将』、下に『具』という漢字で3文字
書かれているようにも見える模様が浮び上がる。
そして、その3文字の解釈として、
後鳥羽上皇が家来の武士に、小将棋は下げ渡し
て指させていたという状況が想定されてくる。
つまり、皇族は大将棋。下々兵士は、成りの
存在する、標準型9升目36枚制平安小将棋を、
上皇の御前では指していたという意味である。
そう解釈すれば「成」の崩し字でも、「与える
+将具」でも、言いたい事は一緒
であり、13升目94枚制大将棋は、部下には
貴重品であるという理由で使わせないので、注
意書きも、成りの金の字も無しの無地にして、
大将棋の駒か小将棋の駒かを区別しているとも
取れる事になる。
この出土駒の墨跡は、このように釈文に任意
性が、著しく大きそうだが。
普通唱導集が示唆するように「手柄を立てると
金将の位が授けられて喜ぶ」のは家来だけであ
るから、大将棋の銀将・銅将・鉄将・歩兵・・
の成りは、将棋具同士が混ざると不便だから、
後鳥羽上皇は、全部除いてしまったのだろう
という仮説を、一応サポートする史料しては、
依然として使えるのではないかと、私には結論
されたという事になったのである。
なお、水無瀬兼成が「大将棋の成りを酔象・
麒麟・鳳凰の3枚だけ」としたのは、養子に入っ
たときに、先代から、武家としてのその家来か
らの言い伝えを、聞いたからであるというのが、
本ブログの見方。前記例外3枚駒は、仮説94
枚13升目後鳥羽上皇期大将棋には、まだ加わっ
てい無かったと、見ているのである。(2024/08/13)
ページ付近に、裏表のスケッチ図と写真のコピー
が載っている、鎌倉・南北朝期成立の鳥羽離宮
出土駒のうち、前記成書の最上段右の、第59
次発掘時出土の金将駒のウラに墨跡があり、本
ブログで、以下の成書を参考に、「成」の草書
であると説明した事がある。
亀田秋陽著、「漢字・くずし字早わかり辞典」
(2013)、メトロポリタンプレス発行。
この解釈は、現物に薄い水平な墨跡が中段や
や上に見られる事から、矛盾の無い解釈だと私
は今も考えている。
だが、これを「小将棋だけに限定して金将駒
の裏に文字を書いた、その場所も使っていた、
後鳥羽上皇の時代に、鳥羽離宮で付けた習慣」
というふうに、経緯を解釈し、
だから後鳥羽上皇の所持していた仮説94枚制、
13×13升目の大将棋の駒の、ウラには全部
成りが無い
との根拠にするには、いかにも曖昧で、史料と
しては、問題が残るとは言える。
その後、本ブログの管理人の画僧処理ソフト
使用のスキルも当時よりは向上したので、成書
「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」のその金将
のウラ面の画像処理を、試しにして見ようと私
は最近なった。
今回は、その結果を紹介する。
「『田カンムリにπ』+将具」と3文字のよう
にも見え、任意性が大きい
と結論された。ただし、この解釈でも「後鳥羽
上皇所有の大将棋には、小将棋と違い成が無い」
とも解釈出来、仮説は、ソコソコ安定度が有る
のではないかと考えられた。熊澤良尊型改善
大将棋を、成り無しで米マイクロソフトの表計
算ソフト:オフィス/エクセルで指すという
アイディアに、今回のチェックは、悪影響を
与え無いようである。
さて前記成書の将棋駒の画像のコントラスト
を補正し、横に1.5倍に広げると、墨が木目
に沿って
染み込んだ為に生じる、滲み模様が目立たなく
なる。

その結果上図右のようになり、右上に『田カン
ムリにπ』の、『ヒ/あたえる(意味:たまう)』、
左上に『将』、下に『具』という漢字で3文字
書かれているようにも見える模様が浮び上がる。
そして、その3文字の解釈として、
後鳥羽上皇が家来の武士に、小将棋は下げ渡し
て指させていたという状況が想定されてくる。
つまり、皇族は大将棋。下々兵士は、成りの
存在する、標準型9升目36枚制平安小将棋を、
上皇の御前では指していたという意味である。
そう解釈すれば「成」の崩し字でも、「与える
+将具」でも、言いたい事は一緒
であり、13升目94枚制大将棋は、部下には
貴重品であるという理由で使わせないので、注
意書きも、成りの金の字も無しの無地にして、
大将棋の駒か小将棋の駒かを区別しているとも
取れる事になる。
この出土駒の墨跡は、このように釈文に任意
性が、著しく大きそうだが。
普通唱導集が示唆するように「手柄を立てると
金将の位が授けられて喜ぶ」のは家来だけであ
るから、大将棋の銀将・銅将・鉄将・歩兵・・
の成りは、将棋具同士が混ざると不便だから、
後鳥羽上皇は、全部除いてしまったのだろう
という仮説を、一応サポートする史料しては、
依然として使えるのではないかと、私には結論
されたという事になったのである。
なお、水無瀬兼成が「大将棋の成りを酔象・
麒麟・鳳凰の3枚だけ」としたのは、養子に入っ
たときに、先代から、武家としてのその家来か
らの言い伝えを、聞いたからであるというのが、
本ブログの見方。前記例外3枚駒は、仮説94
枚13升目後鳥羽上皇期大将棋には、まだ加わっ
てい無かったと、見ているのである。(2024/08/13)