岐阜県可児市大萱古窯跡で17C泰山墨書土器(長さん)
今回は、安土桃山時代から江戸初期に掛けて
成立した土器遺物で、匣鉢蓋と呼ばれる、
陶器の作成中に使用する物品に、窯記号が
「連山」の意味で、黒く目立つように墨書
されているが、その他に奉山、山等のよう
に見える模様も付いているとの旨の、紹介で
ある。
土器・陶器が祭祀具として使用された
歴史が古く、器の陶磁器を作る窯元でも、
縁起担ぎに、古来の奉山の字が、近世に至る
まで、付けられたという事ではないかと私見
する。
今回の遺物はweb上ではなくて、以下
の成書に写真が載っている。
「発掘された日本列島」/2016、
2016年6月、文化庁。
解説と遺物の紹介は、42ページ~44
ページの付近に在る。複数窯跡が有るうちの、
弥七田古窯跡で出土したようである。
遺跡の場所は、岐阜県可児市久々利253
-1。遺物が出土した時期は、私には良く
わからないが、恐らく2015年前後の事で
あろう。以上の場所と出土年の情報は、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧の以下のpdfにも記載
が有る。
90097_1_大萱窯跡群弥七田窯跡第1次
発掘調査概要報告書.pdf
遺物の写真は、成書第44ページの左下
にある。製品に焼いた途中で、煤が掛から
無いようにする為の蓋であり、製造過程で
使用する物品との事である。

上図のように、下に窯記号とされる、
「二山」の意図とみられるイラストが在る
が、その他に、上部中央よりやや左に漢字
で「奉」、その下に同じく漢字で薄く「山」。
奉の字の右に「山山山」と書いてあるように
も見える。
祭祀用土器に「奉山」と書くのが定番で
あり、成書の第43ページの付近地図を見
ても、弥七田古窯跡は、山の南面の麓に在
るように記載され、窯記号も二つ山である
事から。祭祀用土器・陶器の「奉」や「奉
山」墨書に合わせて、近世17世紀にも、
土器備品に「奉山」と墨書する事があった
事を意味しているのではないかと私は疑う。
(2024/08/14)
成立した土器遺物で、匣鉢蓋と呼ばれる、
陶器の作成中に使用する物品に、窯記号が
「連山」の意味で、黒く目立つように墨書
されているが、その他に奉山、山等のよう
に見える模様も付いているとの旨の、紹介で
ある。
土器・陶器が祭祀具として使用された
歴史が古く、器の陶磁器を作る窯元でも、
縁起担ぎに、古来の奉山の字が、近世に至る
まで、付けられたという事ではないかと私見
する。
今回の遺物はweb上ではなくて、以下
の成書に写真が載っている。
「発掘された日本列島」/2016、
2016年6月、文化庁。
解説と遺物の紹介は、42ページ~44
ページの付近に在る。複数窯跡が有るうちの、
弥七田古窯跡で出土したようである。
遺跡の場所は、岐阜県可児市久々利253
-1。遺物が出土した時期は、私には良く
わからないが、恐らく2015年前後の事で
あろう。以上の場所と出土年の情報は、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧の以下のpdfにも記載
が有る。
90097_1_大萱窯跡群弥七田窯跡第1次
発掘調査概要報告書.pdf
遺物の写真は、成書第44ページの左下
にある。製品に焼いた途中で、煤が掛から
無いようにする為の蓋であり、製造過程で
使用する物品との事である。

上図のように、下に窯記号とされる、
「二山」の意図とみられるイラストが在る
が、その他に、上部中央よりやや左に漢字
で「奉」、その下に同じく漢字で薄く「山」。
奉の字の右に「山山山」と書いてあるように
も見える。
祭祀用土器に「奉山」と書くのが定番で
あり、成書の第43ページの付近地図を見
ても、弥七田古窯跡は、山の南面の麓に在
るように記載され、窯記号も二つ山である
事から。祭祀用土器・陶器の「奉」や「奉
山」墨書に合わせて、近世17世紀にも、
土器備品に「奉山」と墨書する事があった
事を意味しているのではないかと私は疑う。
(2024/08/14)