岐阜県可児市大萱古窯跡で16C泰山墨書土器2(長さん)
既に、本ブログで表題の岐阜県可児市大萱
古窯跡遺跡群で17C成立の匣鉢蓋に泰山
と墨書された土器が、出土しているとの旨、
紹介している。個別の窯跡名で、弥七田
古窯跡の地点で、出土したとの事であった。
が、その南側の隣の山の北側麓の、同じ
く個別の窯跡名で牟田洞古窯跡で、同じく
匣鉢蓋土器の側面に、やはり、漢字で
「奉山」のように見える煤模様の有る遺物
が出土しているとの旨の情報を得たので、
以下に紹介する。
今度は遺物の写真がweb上に公開され、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
77605_1_大萱窯跡群牟田洞窯跡第1・2次
発掘調査概要報告書.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
愛知学院大学考古学発掘調査報告22/
大萱窯跡群牟田洞窯跡、2016.3、
愛知学院大学文学部歴史学科。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
岐阜県可児市久々利柿下入会352番地。
遺物が出土したのは、西暦2013年~
西暦2014年ないし、その前後の事のよ
うである。
遺物の成立年代は、安土桃山時代で、前
の弥七田古窯よりは少し古く、16世紀と
みられているように読取れる。窯の形が古
いようである。以前紹介した「発掘された
日本列島」/2016、42ページ~44
ページ付近に、この古窯跡の説明も有る。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
10:”第1次調査第6トレンチ出土遺物
(3)”の最下段右に在り、遺物番号第
93番との旨、ナンバリングされている。
杯土器の形の陶器を伏せた物品に、私に
は見えるが、発掘報告書第20ページによ
りこれも匣鉢蓋と見られているようである。

上図のように弥七田古窯跡の遺物と同様、
写真で左に寄って縁の所に、比較的大きく
漢字で「奉」、その右に「山」の字が添え
られているようにも見える。ただし、滲ん
でいて、さほど明確とは言えない。
弥七田古窯跡の匣鉢蓋と、ほぼ同様の
意図であり、今度は隣の山の北の麓に、
牟田洞古窯跡が有るので、やはり山が奉じ
る習慣を兼ねた、「仕事がうまく行く」等
の呪い墨書を、作業用土器に書いたものな
のではないかと、私は疑っている。
(2024/08/15)
古窯跡遺跡群で17C成立の匣鉢蓋に泰山
と墨書された土器が、出土しているとの旨、
紹介している。個別の窯跡名で、弥七田
古窯跡の地点で、出土したとの事であった。
が、その南側の隣の山の北側麓の、同じ
く個別の窯跡名で牟田洞古窯跡で、同じく
匣鉢蓋土器の側面に、やはり、漢字で
「奉山」のように見える煤模様の有る遺物
が出土しているとの旨の情報を得たので、
以下に紹介する。
今度は遺物の写真がweb上に公開され、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
77605_1_大萱窯跡群牟田洞窯跡第1・2次
発掘調査概要報告書.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
愛知学院大学考古学発掘調査報告22/
大萱窯跡群牟田洞窯跡、2016.3、
愛知学院大学文学部歴史学科。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
岐阜県可児市久々利柿下入会352番地。
遺物が出土したのは、西暦2013年~
西暦2014年ないし、その前後の事のよ
うである。
遺物の成立年代は、安土桃山時代で、前
の弥七田古窯よりは少し古く、16世紀と
みられているように読取れる。窯の形が古
いようである。以前紹介した「発掘された
日本列島」/2016、42ページ~44
ページ付近に、この古窯跡の説明も有る。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
10:”第1次調査第6トレンチ出土遺物
(3)”の最下段右に在り、遺物番号第
93番との旨、ナンバリングされている。
杯土器の形の陶器を伏せた物品に、私に
は見えるが、発掘報告書第20ページによ
りこれも匣鉢蓋と見られているようである。

上図のように弥七田古窯跡の遺物と同様、
写真で左に寄って縁の所に、比較的大きく
漢字で「奉」、その右に「山」の字が添え
られているようにも見える。ただし、滲ん
でいて、さほど明確とは言えない。
弥七田古窯跡の匣鉢蓋と、ほぼ同様の
意図であり、今度は隣の山の北の麓に、
牟田洞古窯跡が有るので、やはり山が奉じ
る習慣を兼ねた、「仕事がうまく行く」等
の呪い墨書を、作業用土器に書いたものな
のではないかと、私は疑っている。
(2024/08/15)