奈良県高取町越智遺跡で古~中世王将墨書土器(長さん)
今回は、奈良県の越智遺跡で、王将と読める
成立年代が完全には確定出来無い土器が出土
したが、「(自在)天王ひとつ成」等と付記
されているようにも読める模様も有り、摩訶
大大将棋/摩訶大将棋の自在天王成王将が、
中世までには成立していた事を示唆する
驚くべき内容の、墨書遺物が出土した
との旨の紹介である。
遺物の写真がweb上に最近公開されて発
掘報告書に載っている。新公開発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140086_1_越智遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
越智遺跡(西暦2021年度)、2023、
公益財団法人元興寺文化財研究所。
発掘報告書末尾抄録により、遺跡の場所は、
奈良県高市郡高取町与楽1160番地。
遺物が出土したのは西暦2021年前後の事
のようである。
遺物は、発掘報告書第12ページ前後に
説明のある第1「落ち込み」(SD001)
の第一下層で出土し、奈良時代から中世まで
の、かなり漠然とした成立年代の遺物が、複
数出土したとされている物品の一つである。
この層の成立年代は、正確には特定できず、
この遺物による、特定将棋種の成立年代の議
論は困難とみられる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第16
の第3段目左に在り、遺物番号第43との旨
ナンバリングされている。杯土器の破片のよ
うに、私には見える。

いっけんして、中央上段やや左よりに漢字
で左から右へ「口(くち)王」のように見え
る暗い模様が目立つが、第1字目は口では無
くて、よく見ると「口カンムリに大」であり、
天の異字の意図ではないかと私には疑われる。
「天王」の意味ではないかと私は思う。
そして良く見るとその直ぐ下に、左から右
へ、「一(ひとつ)成(意味:一例として、
『(自在)天王』にも成る)」と書かれてい
るように、私には見える。
以下が大切だが、以上4文字の他に良く目
を凝らすと、更にその4文字の
右下に縦に「王将」と、薄く暗い模様が有る。
「自在天王成り玉将」が、この遺物が成立
していた時代に、奈良の豪族の越智党には、
知られていたという例えば意味であり、現存
し無い、京都曼殊院将棋図の水無瀬兼成将棋
図で伝えられた、伝最終書写し期頃の
室町時代に摩訶大大将棋/摩訶大将棋が成立
していたと連想される、重大遺物の可能性が
有ると私見される。
摩訶大大将棋/摩訶大将棋がかなり古いゲー
ムだとの証拠を与える遺物の発見のように私
は疑っている。(2024/08/16)
成立年代が完全には確定出来無い土器が出土
したが、「(自在)天王ひとつ成」等と付記
されているようにも読める模様も有り、摩訶
大大将棋/摩訶大将棋の自在天王成王将が、
中世までには成立していた事を示唆する
驚くべき内容の、墨書遺物が出土した
との旨の紹介である。
遺物の写真がweb上に最近公開されて発
掘報告書に載っている。新公開発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140086_1_越智遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
越智遺跡(西暦2021年度)、2023、
公益財団法人元興寺文化財研究所。
発掘報告書末尾抄録により、遺跡の場所は、
奈良県高市郡高取町与楽1160番地。
遺物が出土したのは西暦2021年前後の事
のようである。
遺物は、発掘報告書第12ページ前後に
説明のある第1「落ち込み」(SD001)
の第一下層で出土し、奈良時代から中世まで
の、かなり漠然とした成立年代の遺物が、複
数出土したとされている物品の一つである。
この層の成立年代は、正確には特定できず、
この遺物による、特定将棋種の成立年代の議
論は困難とみられる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第16
の第3段目左に在り、遺物番号第43との旨
ナンバリングされている。杯土器の破片のよ
うに、私には見える。

いっけんして、中央上段やや左よりに漢字
で左から右へ「口(くち)王」のように見え
る暗い模様が目立つが、第1字目は口では無
くて、よく見ると「口カンムリに大」であり、
天の異字の意図ではないかと私には疑われる。
「天王」の意味ではないかと私は思う。
そして良く見るとその直ぐ下に、左から右
へ、「一(ひとつ)成(意味:一例として、
『(自在)天王』にも成る)」と書かれてい
るように、私には見える。
以下が大切だが、以上4文字の他に良く目
を凝らすと、更にその4文字の
右下に縦に「王将」と、薄く暗い模様が有る。
「自在天王成り玉将」が、この遺物が成立
していた時代に、奈良の豪族の越智党には、
知られていたという例えば意味であり、現存
し無い、京都曼殊院将棋図の水無瀬兼成将棋
図で伝えられた、伝最終書写し期頃の
室町時代に摩訶大大将棋/摩訶大将棋が成立
していたと連想される、重大遺物の可能性が
有ると私見される。
摩訶大大将棋/摩訶大将棋がかなり古いゲー
ムだとの証拠を与える遺物の発見のように私
は疑っている。(2024/08/16)