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北海道恵庭市西島松5遺跡で西洋紀元前馬泰山墨書(長さん)

今回は既に紹介した、擦文文化期の大規模墓地
の在る表題遺跡で、その後の発掘で、西洋紀元
より古いと見られている土器の破片に、漢字で
「馬奉山」のように見える暗い模様の有る物品
が出土しており、前漢時代に中国渡来人は、本
州や九州と同パターンで、北海道の石狩平野に、
船で到達可能であり、牧場を作り、特に軍馬を
飼っていた疑いが有るとの旨の紹介である。
 遺物写真が今回はweb上に紹介されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、奈良
文化財研究所の発掘報告書データベース、全国
遺跡報告総覧に、登録公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
24957_4_西島松5遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
北埋調報260/北海道恵庭市西島松5遺跡(6)、
西暦2008年、財団法人北海道埋蔵文化財センター。
 発掘報告書第1分冊/第1pdf末尾抄録に
より、遺跡の場所は、北海道恵庭市西島松
306・501番地先河川敷地。
 遺物が出土したのは、西暦2002年から
西暦2004年の間ないし、その前後の事のよ
うである。
 遺物の成立年代は、第1pdf第92ページ
付近の記載により墓跡と見られる第592ピッ
トから出土し、墓に埋葬された遺物土器とみら
れており、北海道の縄文時代後期終わり頃の、
紀元前3世紀から西洋紀元程度の成立と、私は
解釈している。今回のは古い物品であるようだ。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版の第4
分冊/第4pdfの、写真図版第179の左下
の遺物集合写真の、第3段の第592ピット
出土遺物の並びに在る、右端の土器の破片に私
には見える物品であり、遺物番号第592小
ピットの第5番との旨、ナンバリングされてい
る。はっきりした擦文とか縄文模様は、私には
発見出来無い。

西松5馬泰山.gif

 上図のように、一番下の破片に、左から右へ
「馬奉山」のようにも読める、暗い模様がある
ように見える。前漢時代の渡来中国人は、上陸
してから寒いのに気がついたのかもしれないが。
 船でやって来たとき、北海道島を、他の日本
列島とは特に差別せずに、川を遡って上陸し、
平地が開けていれば、鉱脈探査や金属製品鋳造
を試みたが、それが出来なくても、軍馬の放牧
をして牧場化を試みたのではないかと、私には
疑われる。(2024/08/22)

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