群馬県藤岡市牛田廃寺跡で10C七星泰山墨書土器(長さん)
今回は、群馬県の表題遺跡で平安時代中期の
10世紀頃成立の杯型土器に、墨書で黒碁石
のような点が、多分だが7つと、その隣に、
奉山と書いてあるように見える、山岳信仰と、
星辰信仰がミックスしたように見える、遺物
が在るとの旨の話題である。古代に星宮等が、
発掘場所に存在したのかもしれない。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140122_1_牛田廃寺跡E32a川除屋敷裏遺跡1区.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
群馬県藤岡市牛田廃寺跡、2024、群馬県
藤岡市教育委員会・群馬県西部農業事務所。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
群馬県藤岡市牛田字下毛田。遺物が出土した
のは西暦2018年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物は第1区第60A
住居跡で出土したが、発掘報告書本文第
118ページ付近の記載から、10世紀後半
の住居跡とみなされており、遺物もその頃の
ものと見られているようである。祭祀の盛ん
な集落内の、遺物と見られているようである。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第54:
”第60A号住居跡(2)”の最上段左から
2番目に在り、遺物番号第10番との旨、
ナンバリングされている。台付き杯土器の
ように、私には見える。

上図のように、右に明快に分離出来る、
黒碁石のような点が4点墨書されたように
見え、その左隣に分離は困難だが、3つの
黒い点が有り、全部で北斗七星を表している
ようにも見える。その左に接して漢字で「奉」
更に左に「山」と書いて、「北斗七星奉山」
の意図の、山岳信仰+星辰信仰の祭祀用土器
のようにも私には見える。藤岡市の現地から
は関東山地・秩父の山々が遠望出来る条件で
あり、廃寺跡自体に少なくとも一時期、星宮
等の信仰と関連する施設の機能が有った為、
祭祀用に古代、今回紹介した遺物が律令集落
内で、作成されたのかもしれないと私見する。
≪かりうち盤≫が描かれた土器を連想するが。
珍しい、星点の墨書らしきものがある遺物だ
と思う。(2024/08/25)
10世紀頃成立の杯型土器に、墨書で黒碁石
のような点が、多分だが7つと、その隣に、
奉山と書いてあるように見える、山岳信仰と、
星辰信仰がミックスしたように見える、遺物
が在るとの旨の話題である。古代に星宮等が、
発掘場所に存在したのかもしれない。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140122_1_牛田廃寺跡E32a川除屋敷裏遺跡1区.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
群馬県藤岡市牛田廃寺跡、2024、群馬県
藤岡市教育委員会・群馬県西部農業事務所。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
群馬県藤岡市牛田字下毛田。遺物が出土した
のは西暦2018年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物は第1区第60A
住居跡で出土したが、発掘報告書本文第
118ページ付近の記載から、10世紀後半
の住居跡とみなされており、遺物もその頃の
ものと見られているようである。祭祀の盛ん
な集落内の、遺物と見られているようである。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第54:
”第60A号住居跡(2)”の最上段左から
2番目に在り、遺物番号第10番との旨、
ナンバリングされている。台付き杯土器の
ように、私には見える。

上図のように、右に明快に分離出来る、
黒碁石のような点が4点墨書されたように
見え、その左隣に分離は困難だが、3つの
黒い点が有り、全部で北斗七星を表している
ようにも見える。その左に接して漢字で「奉」
更に左に「山」と書いて、「北斗七星奉山」
の意図の、山岳信仰+星辰信仰の祭祀用土器
のようにも私には見える。藤岡市の現地から
は関東山地・秩父の山々が遠望出来る条件で
あり、廃寺跡自体に少なくとも一時期、星宮
等の信仰と関連する施設の機能が有った為、
祭祀用に古代、今回紹介した遺物が律令集落
内で、作成されたのかもしれないと私見する。
≪かりうち盤≫が描かれた土器を連想するが。
珍しい、星点の墨書らしきものがある遺物だ
と思う。(2024/08/25)