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福井市一乗谷朝倉氏遺跡35期で戦国泰山墨書土器(長さん)

福井県福井市の一乗谷朝倉氏遺跡の、東西に
山が迫った地形の第35次調査区の発掘で、
今回は、木製品や陶器・磁器では無く、地味
に土師器に奉山と漢字で書かれたような模様
が在り、更に「金」と真ん中に書かれていて、

戦国時代にも、鉱脈捜索は、貴金属の採掘が
目的であった事を示している

という遺物の出土例を以下に紹介する。
 遺物の写真はweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
94043_1_特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡
発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の表題は、以下の通りである。
一乗谷朝倉氏遺跡発掘調在報告(第7報)/
第35次第56次・第85次第61・62次
調査、1999、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡
資料館。
 今回の遺物は、5回の発掘調査のうちの、
第35次調査のときに、出土したようである。
 発掘報告書冒頭第23ページ付近の記載に
より遺跡の場所は、福井県福井市城戸ノ内町
下城戸町屋とみられ、遺物が出土したのは、
西暦1979年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、遺物は同地外壕西トレ
ンチで出土したが、発掘報告書第40ページ
付近の記載により、16世紀前半の戦国時代
と読み取れるように、私には思われる。
 遺物の写真は、発掘報告書第35次発掘
調査編の、写真図版(PL.)第18図:
”第35次調査出土遺物(11)”旨の最下
段左から3番目に在り、遺物番号第225番
との旨ナンバリングされていて、土師器の皿
のようである。写真は多分だが、内面である。
なお、スケッチ図と写真図版が混在しており、
目的の写真図版は、注意深く探す必要が有る。
ちなみに、一乗谷朝倉氏遺跡からは、土師器
も出土するが、より高級な陶器・磁器の類が
多量に出土する。

一乗谷泰山.gif

 上図のように、写真の右上に左から右へ、
漢字で「奉山」と書かれているような、暗い
模様が有るが、その左斜め下の底に「金」の
字のように見える模様も在り、「金」の模様
が比較的珍しい。
 本ブログでは従来より、我が国に於ける
山岳部の鉱脈捜索は、弥生時代中期から続い
ており、貴金属の発掘が当初から、目当てで
あったと見ているが、時代は大きく下るもの
の、この土師器土器の暗い模様は、その仮説
を、なおも支持するものと私は考えている。
(2024/10/06)

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