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石川県金沢市木越光淋寺遺跡で16C山泰山墨書(長さん)

今回は、16C成立とみられる瀬戸物の
底に、漢字で山奉山と書いてあるように
見える、成立年代が織田信長の安土桃山
時代と言われる、比較的新しい「奉山」
型墨書遺物の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されて
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
140414_1_木越光琳寺遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
木越光琳寺遺跡、1998、石川県立
埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所
は、石川県金沢市木越町。遺物が出土し
たのは、西暦1992年前後の事のよう
である。
 遺物の成立年代は、遺物は発掘報告書
第45ページ付近の記載によれば、瀬戸・
美濃焼であり、大窯第3段階の頃の成立
で、更に発掘報告書第142ページ付近
の記載により、大窯第3段階とは16世
紀安土桃山時代の頃と考えられ、その頃
成立と見られたように、私には読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
22の下のカラムの第2段目左から3個
目に在り、遺物番号第85番との旨、
ナンバリングされている。現代でも同様
の形のものを見かける、瀬戸物の食器皿
のように、私には見える。発掘報告書に
よると「稜皿」との事である。

木越光淋寺山泰山.gif

 上図のように底の写真だと思われるが、
図で私が黄色い線を引いた部分に漢字で、
「奉山」のようにも見える、黒い煤模様
が在り、その第1字目の奉の左にも、
より大きく「山」のように見える模様が
在り、全体で「山奉山」と、書いてある
ようにも私には見える。
 祭祀用の食器のようにも見えるので、
光淋寺が、神仏習合も存在した寺だった
事を、示しているように私には思える。
(2024/10/15)

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