SSブログ

長野県安曇野市明科遺跡で平安期山泰墨書土器(長さん)

今回は、長野県安曇野市の飛鳥時代創建と伝
わる廃寺跡から、時代は少し下って平安期の
成立とみられるが小型杯土器に、「山奉」と
書かれているような、煤模様が有るとの旨の
話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
140524_4_明科遺跡群明科廃寺5.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
長野県安曇野市の埋蔵文化財第30集/
明科遺跡群明科廃寺5、2024.3、
(長野県)安曇野市教育委員会。
 発掘報告書第4分冊末尾抄録により遺跡の
場所は長野県安曇野市明科中川手3779番。
 遺物が出土したのは西暦2018年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、同じく抄録により
平安時代の土師器とみられているように、私
には読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第74の
最下段左端に在り、土器の第125番との旨、
ナンバリングされている。小型土器の破片の
底面写真のように私には見える。

明科山泰.gif

 上図のように、漢字で「山奉」と書かれて
いるようにも見える、煤に埋もれた模様が、
写真の右上に、縦に2文字書かれているよう
に見える。安曇野に広がる穂高等、付近の山
を平安期に奉じたのかもしれないと私見する。
(2024/10/25)

nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー