天童将棋駒・・遺跡出土駒/小川城飛鹿盲虎書体は普通(長さん)
静岡県焼津市西小川3丁目~6丁目の戦国時代の城主、
小川法長者の城と聞く小川城からは、成り飛鷲(又は
龍)竜王と、成り飛鹿盲虎駒が発掘され、天童の将棋
駒と全国遺跡出土駒、2003、山形県天童市将棋資
料館の、第69ページ”51.小川城遺跡(静岡県)”
の1番と2番に記載されている。中将棋が戦国時代に
東海地方で指されてた証拠となっている。成り飛鷲の
墨跡が悩ましい事に関して、以前本ブログで述べたが、
第2番目の盲虎駒も、墨が余分に付いていて、判読は
困難な部類である。今回は、管理人が通常使っている
画像処理ソフトで処理し、前記成書に付記されている
釈文で合っているのかどうかを、納得行くまで確かめ
てみた。
釈文の字体が違うようである。
さて、この駒の墨書の釈文については、管理人には
正直なところこれまで
受け売り状態であり、確認出来て居無かった。
専門家は、読めて大したものだと思っていたという
状態であった。そこで、画像をスキャナーでPCに
取り込んだ後、普段より、少し丁寧にコントラスト
補正や、カラーバランス補正、ボカシ/鮮明化補正を、
書籍の写真に対して加えた所、以下のようになった。
上記のように書籍の画像処理の結果、隣のスケッチ
図形式で、釈文を貼り付けているとれる図と比較して、
釈文は、異字体の解釈が違うことが判る。
左は、草書の飛鹿だが、鹿の下部は「亦」では無く
て、普通の「比」の鹿のようだ。
右は、下が異字体で「巾」になる方の虎の盲虎で、
第2字目は「ル」の常用漢字では無いようだ。
成書に書かれた釈文は、やや懲りすぎであり、実際に
は、ありきたりの書体で、このケースは書かれていた
ようである。
中将棋の盲虎駒に、こちらは確かに間違い無さそう
であると、今回私にもやっと納得出来た。(2024/11/01)
小川法長者の城と聞く小川城からは、成り飛鷲(又は
龍)竜王と、成り飛鹿盲虎駒が発掘され、天童の将棋
駒と全国遺跡出土駒、2003、山形県天童市将棋資
料館の、第69ページ”51.小川城遺跡(静岡県)”
の1番と2番に記載されている。中将棋が戦国時代に
東海地方で指されてた証拠となっている。成り飛鷲の
墨跡が悩ましい事に関して、以前本ブログで述べたが、
第2番目の盲虎駒も、墨が余分に付いていて、判読は
困難な部類である。今回は、管理人が通常使っている
画像処理ソフトで処理し、前記成書に付記されている
釈文で合っているのかどうかを、納得行くまで確かめ
てみた。
釈文の字体が違うようである。
さて、この駒の墨書の釈文については、管理人には
正直なところこれまで
受け売り状態であり、確認出来て居無かった。
専門家は、読めて大したものだと思っていたという
状態であった。そこで、画像をスキャナーでPCに
取り込んだ後、普段より、少し丁寧にコントラスト
補正や、カラーバランス補正、ボカシ/鮮明化補正を、
書籍の写真に対して加えた所、以下のようになった。
上記のように書籍の画像処理の結果、隣のスケッチ
図形式で、釈文を貼り付けているとれる図と比較して、
釈文は、異字体の解釈が違うことが判る。
左は、草書の飛鹿だが、鹿の下部は「亦」では無く
て、普通の「比」の鹿のようだ。
右は、下が異字体で「巾」になる方の虎の盲虎で、
第2字目は「ル」の常用漢字では無いようだ。
成書に書かれた釈文は、やや懲りすぎであり、実際に
は、ありきたりの書体で、このケースは書かれていた
ようである。
中将棋の盲虎駒に、こちらは確かに間違い無さそう
であると、今回私にもやっと納得出来た。(2024/11/01)