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天童将棋駒・・出土駒興福寺1058年物一字歩駒無し(長さん)

今回は、西暦1993年頃の発掘調査で興福寺で
出土した、西暦1058年物将棋駒15枚のうち、
5枚程度含まれているとされる、成り金歩兵駒等
と釈文されている画像を、表題のように「天童の
将棋駒と全国遺跡出土駒」、西暦2003年、
山形県天童市将棋資料館本でチェックした結果の
報告である。
 第95ページ付近の”91.興福寺旧境内遺跡
(奈良県)”で確認したところ、将棋駒番号で
第14番の、成り”金・”一文字”歩”駒と釈文
された駒は、成り”金+(複数)・”二文字”
歩兵”駒のようであり、

一文字「歩」駒は、興福寺1058年物の将棋駒
の中には無いし、国内で出土例が存在し無い疑い

がある事が判ったので、以下に報告する。
 以下に、問題の将棋駒の写真を示すが、成書を
見ただけで、「『金・』で裏面だ」と前記成書に

書いてある面の、やや右下に「兵」と書いてある

事が判るようである。

興福寺1058歩兵×5.gif

 上記は、更に画像処理したが、興福寺1993
年出土駒の写真に関しては、天童の将棋駒と全国
遺跡出土駒本の画像では、単純に目で成書を見た
ときに比べ、特段の効果が無い。
 前記成書の釈文で金の「ハ」に見ている部分は、
恐らくは「歩」の「止」の下の横棒だと私は思う。
そもそも、上図で緑の矢印で示した先に、明確に、
やや反時計回りに回転はしているが「兵」と、
書かれていると私は見る。とすれば、元々オモテ
面だと見られていた方の墨跡は「歩」では無くて、
成り金の金だと推定される。多分上図の黄色い線
が消えていて、その線を補うと「金」、その下に、
横点が何点か付いていて、「将」の字を省略した
事を示しているのではないかと私は見た。
 ちなみに、歩口と釈文された将棋駒番号第17
番を、目視したり、画像処理したりしたが、私に
は文字数が2~3字であるように見えるものの、
「歩」が何処に書いて有るのか良く判らなかった。
 一文字「歩」駒は、他の遺物将棋駒で、私は余
り見た記憶が無い為、はっきりそれだという出土
例は、結局問題の第14番興福寺1058年将棋
駒に存在し無いと、

一文字歩駒など、発掘調査による将棋駒遺物とし
ては、全く出土して居無い事になってしまう疑い
が有るのでは無いか

と私は考えている。「歩」駒についてはかなり前
に、本ブログで言及した事があったと思うが。近
代になって、新聞紙上でプロ棋士の将棋が、紹介
される頃迄、そのような駒現物そのものが、実際
に使う将棋駒としては、全く発生し無かった疑い
も、残るのでは無いかと私は考えるようになった。
 その他今回の調査で、天童の将棋駒と全国遺跡
出土駒/91.興福寺旧境内遺跡(奈良県)/
将棋駒番号第16番と17番は、歩兵駒では無く
銀将駒の疑いがある。第11番は無地ないし、
全く墨跡の消失した将棋駒である。第12番は、
凝視したが何がオモテ面に書いてあるか、成書の
範囲では不明である。と言った結果となった。
結局天童の将棋駒と全国遺跡出土駒で、成り金
歩兵駒と明確に判るのは、将棋駒番号第15番
の一枚だけのように、私には思えた。(2024/11/02)

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