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神奈川県鎌倉市千葉地遺跡不成金将は竪行(長さん)

既に述べたように、中世前期、鎌倉時代~南
北朝時代の駒数多数将棋の歴史を解明する為
には、奈良県興福寺、京都府鳥羽離宮、岩手
県平泉の各遺跡と並んで、神奈川県鎌倉市出
土の将棋関連遺物のチェックが最重要である。
ここでは、その中心とされる鶴岡八幡宮境内
遺跡については、以前に画像処理結果等を
示しているので。今回以下には今小路西遺跡
内の、千葉地遺跡で13世紀末成立とされる、
崩れた金将とも、一部の成書だけで言われる
遺物を、画像処理して良く調べた結果を以下
に示す。

金将か竪行かという程度に不確定性は大きく、
墨書文字は2字とも不明解である

との旨の結論を導いた結果を示す。
 今回も「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」
の写真の画像を多少処理したが、余り大きな
成果は無い。天童の将棋駒と全国遺跡出土駒
にて金将駒と紹介され、鎌倉考古学研究所、
西暦2017年編集の、「集成鎌倉の墨書」
には、スケッチ図だけ載っており、「不明」
との見解であり、後者が正しいようである。
 以下に、成書「天童の将棋駒と全国遺跡
出土駒」の写真の、オモテ面画像処理結果を
示す。裏面は本に載ってい無い。

千葉地金将.gif

 この画像で特徴的なのは、上図のように、
第1字目が「金」と写真の成書では解釈され
たものの、「金」の字の中央縦線が、部分的
にすら浮き出てきたように、私には見え無い
事である。「金」と確定出来無いのは以上の
根拠だけによる。
 そして、次が重要だが、

竪の字には下部が「立」では無くて「豆」の
異字が有るらしい。

豆の異字の方だとすれば、竪の字の立の第1
画目の中央縦棒すら、存在し無いことになる。
その可能性を否定できるほどの、明快な墨書
ではこのケースは無いと、本ブログの管理人
は見る。
 加えて、像を幾ら処理しても金の「八」は
切れ切れだし、左上に「臣」の中央竪棒が、
有るような気も、私にはしてならない。更に
は、第2字目の右側の寸の横棒も、はっきり
せず、「行」だとすると右の「ツクリ」の方
に、第2段目の横棒が、存在するように私に
は見える。
 以上の事からこの駒名の墨書は、第1字目
が「金」か「竪」の豆異字なのか判然とせず、
第2字目も、将(旧字とされる)か行かも、
はっきりし無いのだから、鎌倉考古学研究所
のスタンスの方が、尤もらしい。以上のよう
に、今回、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の
画像を良く見た結果、私は疑うようになって
来た。豪族の千葉氏の遺跡は、本拠地の千葉
県北部等が河川跡の為か。将棋駒出土の実績
を余りこれまで聞かなかったが。以降、注意
したいと、私は思うようになって来たところ
である。(2024/11/05)

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