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富山県立山市辻遺跡中世成立「金兵」は歩兵(長さん)

今回は、以前発掘報告書の写真を弱く画像処理
した上で、私が「金兵」と読んだ墨跡は、強く
画像処理すると、成り2文字「金将」歩兵駒に
過ぎないようだとの旨の報告である。
 元の写真は以下のwebサイトのものである。
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧。その中でpdfファイル
名は、次の通りである。
13835_2_辻遺跡・浦田遺跡発掘調査概要.pdf
立山町文化財調査報告書第3冊
辻遺跡・浦田遺跡発掘調査概要、
(富山県中新川郡)立山町教育委員会、
1987年。
 天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の像が恐らく
撮影してからのフィルムから、画像取り込み迄
の間の作業で劣化しており、発掘報告書の写真
の方が、鮮明かつ、裏面も載っているという
経緯でこちらを解析しており、本ブログで紹介
したのは、かれこれ4年近くも前の事である。
 なお、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒、
2003年、山形県天童市天童将棋資料館本で
は、写真が第42ページ付近の最下段に、34
辻遺跡(富山県)として載っている。
 そこで今回は、最初の方の発掘報告書中の
写真を、強く画像処理したところ、オモテ面に
第1字が「歩」の歩兵の字が薄く、切れ切れに
見えて来て、以前の本ブログの紹介が、

どうやら間違いだったようだ

との結論になって来た。

富山県辻遺跡歩兵.gif

 上図はその強画像処理した写真であり、左側
のオモテ面に、部分的だが、赤い線で示した
ように補うと、「歩」では無いかと疑われる模
様が、うっすらと浮き出てきた。しかも、緑色
の枠で囲ってみたが、

裏面の第2字目は「将」で、金将のようだ。

 像を見ると、岩手県平泉の中尊寺境内金剛院
遺跡の第137番歩兵に似ており、

時代が少し遡って、平安時代末期の貴重駒の疑

いが残るように、私見だが思えてきた。
 包含層に、たまたま少し古い遺物が混入した
というパターンかもしれない。
 北陸は、石川県金沢市堅田B遺跡の不成(?)
龍馬駒が出土する等、貴重な出土駒の豊富な地
帯であり、これからも北陸の遺跡の発掘遺物に
は、充分に注意したいと、私はこの結果を見て
今回も感じたところである。(2024/11/06)

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