石川県七尾市上町カイダ出土木製品問香札「三」(長さん)
今回は、以前に「『成り金』が見えている、
香車等の将棋駒だ」と、本ブログで解釈した
遺物が、画像処理を強くすると、墨書一文字
「三」と書かれており、問香札だったという、
ひどい誤りの訂正紹介である。
画像の写真は山形県天童市の天童将棋資料館
編集、「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」、
西暦2003年の第45ページ最下段”45
上町カイダ遺跡(石川県)”の画像の処理
結果によるものである。
上図のように、金の上部の「八」は、見当
たらず高々ウ冠の、薄いヨゴレのような暗い
模様が有るだけのようであり、そうだとして
も「宝」だが、縦棒が無い上に、
「三」の墨跡が、画像処理すると、他の暗い
部分よりも濃い
事が明らかに判る。「三」だと判って、成書
の写真を目視すると確かにそうも見えるので、
この誤読は、相当にひどかった
と反省させられた。普段意識の薄い漢字模様
は、特に加齢すると、益々認識し辛くなって
しまうらしい。年寄りが意固地になるのも、
視覚の衰えが、基点である可能性が高そうだ。
「将棋駒では無いかもしれない」と、私は
何処かに書いたような記憶もするが、今では
はっきり何処だったか記憶も確認も出来無い。
謹んで訂正し、将棋駒写真集に載っているが、
将棋駒では無く、「三」と書かれた問香札の
面である
と訂正しておきたい。なお、この遺物は恐ら
く戦国末期から安土桃山時代にかけてのもの
だと、今のところ私は認識している。
(2024/11/07)
香車等の将棋駒だ」と、本ブログで解釈した
遺物が、画像処理を強くすると、墨書一文字
「三」と書かれており、問香札だったという、
ひどい誤りの訂正紹介である。
画像の写真は山形県天童市の天童将棋資料館
編集、「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」、
西暦2003年の第45ページ最下段”45
上町カイダ遺跡(石川県)”の画像の処理
結果によるものである。
上図のように、金の上部の「八」は、見当
たらず高々ウ冠の、薄いヨゴレのような暗い
模様が有るだけのようであり、そうだとして
も「宝」だが、縦棒が無い上に、
「三」の墨跡が、画像処理すると、他の暗い
部分よりも濃い
事が明らかに判る。「三」だと判って、成書
の写真を目視すると確かにそうも見えるので、
この誤読は、相当にひどかった
と反省させられた。普段意識の薄い漢字模様
は、特に加齢すると、益々認識し辛くなって
しまうらしい。年寄りが意固地になるのも、
視覚の衰えが、基点である可能性が高そうだ。
「将棋駒では無いかもしれない」と、私は
何処かに書いたような記憶もするが、今では
はっきり何処だったか記憶も確認も出来無い。
謹んで訂正し、将棋駒写真集に載っているが、
将棋駒では無く、「三」と書かれた問香札の
面である
と訂正しておきたい。なお、この遺物は恐ら
く戦国末期から安土桃山時代にかけてのもの
だと、今のところ私は認識している。
(2024/11/07)