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栃木県小山市神鳥谷曲輪跡角行駒頭に奉(長さん)

以前述べたように、南北朝時代の小山義政の乱
頃の館付近を発掘との旨発掘報告書に記された
同遺跡は、江戸時代の青蓮寺の遺物を撹乱出土
し、角行将棋駒は、関連性は疑われるが、製作
が後代にズレる疑いが持たれている。web上
の歴史研究者の、小山市の史跡を散歩して記載
されたブログ記事が、これまで新しい成立年代
説の根拠の大きな部分であった。だが、以下の
ように、神社や寺への奉納品である証拠と疑わ
れる、「奉」の字が滲んで角行駒の裏表両面の
頭、やや右に2個有る疑いが出てきたので以下
に紹介する。
 以下は、この将棋駒の左がオモテで「角行」、
右が裏面で「金」とみられる文字が書かれて
いるとみられる、該出土駒の可視光画像である。
画像は、発掘報告書の図版を強く、画像処理し
ている。

神鳥谷角頭模様.gif

 両面の最上部のやや右に、ほぼ同じ場所に、
緑の矢印で位置を示したが、「奉」の字を
滲ませたような、暗い模様が、そもそも有るの
に、本ブログの管理人は、この本ブログ作成の、
画像処理可視光写真を見て

ようやく気がついた。

 赤外線写真では、両方共「奉」の縦棒が、両
面共に短い「1」の字のように見え、今まで、
ヨゴレだと思って、少なくとも私は無視してき
たのである。言い訳をすればキリが無いが、こ
の模様より、将棋駒の種類を示す字に、神経が
集中していて気が付かなかったという事もある。
なお、根付を作るための、墨の印が赤外線写真
だけからは連想されるが、どちらの面も、位置
が、中央に対して右にズレており、根付製造の
為の印という説は、その点で、不自然である。
 使ってから、神仏習合の青蓮寺に奉納された
という論を、完全否定出来無いが。「奉」の字
を書くスペースが、角行にしても金にしても、
元々有ったとは断言までは出来無いと私は疑う。
ので、元々将棋駒は、この奉納用の駒だけしか、
実は存在し無いという根拠の一つには、少なく
ともなり得るのではないかと、これを見て私は、
疑い出したところである。(2024/11/14)

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