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永井晋著将棋の日本史鶴岡八幡宮金将は不成歩兵(長さん)

既に述べたように、本ブログでは西暦1980
年前後に出土した、神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮
境内遺跡の5枚の駒のうち、通説成り飛車金将
とされる出土将棋駒の、「金将面」はweb上
に画像が見当たら無いとみている。奈良文化財
研究所の発掘報告書データベース全国遺跡報告
総覧にも、当時の鶴岡八幡宮境内の発掘調査団
が作成したと記載の、発掘報告書はpdfでは
公開されてい無い。
 他方、西暦2023年に山川出版社から出版
された表題永井晋著、「将棋の日本史」第87
ページ付近に、第17図として、「写真の左の
将棋駒は、出土『金将』駒」との旨説明された
画像が載っている。本ブログでは、別の出土
将棋駒の画像と従来より説明内容を疑って見て
いたが、説明書きに「成り飛車金将駒」の天童
の将棋駒と全国遺跡出土駒の鶴岡八幡宮境内遺
跡出土駒の27-5と主張と取れる説明が有る
事実は確かな為、今回は、成書の画像を、強く
画像処理して、内容を調べてみた。以下にその
結果を紹介する。
 天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の27-4の
オモテ面「歩兵」の取り違えと、私見だが本ブ
ログでは、以下のように解釈する。原因は、恐
らく、痛みが激しいので、所有者が気を利かせ
て出して来無かったからの、手違いだろう。
 さて画像処理結果は、以下の通りで、左側が
西暦2023年出版の前記成書、右側が、西暦
1989年、平凡社から出版の「よみがえる
中世【3】/武士の都鎌倉」の巻頭カラー写真
第11ページ付近、右下の5枚の鶴岡八幡宮
境内遺跡1980年前後出土将棋駒の、左下の、
不成り歩兵の、オモテ面の写真である。

鶴岡八幡宮永井金将.gif

 左の写真から、駒名を察するのは困難だが、
5枚有る出土将棋駒のうち、木の木目が強く出
るのは、この不成りとされる歩兵駒1枚だけで
あり、かつ、その木目模様が、両者で完全合致
はし無いものの、類似である事から、同じ物品
を撮影しているのでは無いかと、私は疑う。木
目に見える濃淡のうち、左の画像の右側は木目
では無くて、デジタル化したときの印刷モアレ
のようでもある。完全に合わないのは、その為
かもしれない。
 画像の質が、平凡社(1989)の方が、
山川出版社(2023)よりかなり上のようで
あり、印刷会社の株式会社東京印書館の方が、
平七写真印刷工業よりも、印刷の再現性を出す
技術が、その時点に関して、かなり上なのでは
ないかと、個人的に疑われる。
 なお両画像で木目に差が有るにしても面の取
違えは、余り考えられないはかもしれない。撮
影時、墨が有るかどうかは、裏表を比べて目視
判断出来るのが明らかで、不成歩兵駒の不成側
を、全く何も書かれて居無いのに、通説の
成飛車金将のオモテ面と取り違えるとは、余り
考え難いからである。不成り歩兵が、通説成り
飛車金将と入れ替わったのは、5枚出土して
いるのに永井に、痛みが酷い通説の、成り飛車
金将を除いた上で、所持者が紹介して4枚提示
し、内容説明時に歩兵に「と金成り歩兵」と、
「不成り歩兵」が別々に有るのに、出土将棋駒
種を、全部羅列した説明をした為に、取り違え
が起こるというケースが、最も有りそうな話だ
と、個人的には疑っている。
 以前紹介したように、この書「将棋の日本史」
には通説「成り飛車金将」に関する情報は、残
念ながら全く無い疑いが濃いように、上記の画
像を見て依然として私は考えている。(2024/11/17)

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