聆涛閣集古帖摩訶大将棋無しで摩訶大将棋正当性証明無理(長さん)
本ブログでは、何回か述べたが「摩訶大大/大将棋」
という形式の記載は、摩訶大大将棋と言う事もあれ
ば、摩訶大将棋と言う事もあるとの意味であるが、
水無瀬兼成の将棋纂図部類抄と、吉田屋古文書の、
聆涛閣集古帖の「摩訶大将棋」の旨(漢字は変動)
での≪表題書き≫を、同等に見ているからである。
最近、本ブログの管理人は、大阪電気通信大学/
高見友幸氏著「摩訶大将棋(まかおおしょうぎ)の
復刻」、2019年という表題の成書で、大大を大
と書く正統性についての記載に接した。それによる
と、水無瀬兼成将棋纂図部類抄の奥付の、水無瀬が
数え80歳のときに書いた、献上品品書き記載部分
の書き方が、唯一の根拠と私には読取れた。つまり、
聆涛閣集古帖に言及している箇所が、今の所発見さ
れてい無いという点で、本ブログの説明とは互いに
異なっている。
ここでは、該水無瀬兼成将棋纂図部類抄の
奥付の一文の大々の「々」の脱落は、誤記である疑
いがある
との点にいて、以下に説明する。
すなわちこの一文は、水無瀬兼成の別著作、
「将棋馬日記」の、最終ページパターンのコピーで
ある。将棋馬日記の最終ページには、次のように
書かれているとの旨、解釈出来る。
「泰将棋駒数354枚、摩訶大大将棋駒数192枚、
大大将棋駒数192枚、大将棋駒数130枚、四種
で駒数合計868枚。」
この記載から、駒数の記載を全部抜き、同様の
順番で並べ、中将棋もあるので追加すると、奥付の
豊臣秀次への献上品リストと同じ書き方である。
つまり、いつものパターンで文書を書いたときに、
水無瀬兼成が、間違えて「摩訶大将棋」の旨の部分
で「大々」の「々」を脱落して書いた
と見る見方を、否定できるような中身が無いと私は
解釈する。
私が正しいとすれば、「摩訶大将棋」だという
には、聆涛閣集古帖などの、将棋纂図部類抄とは別
の文献を、本ブログの如くに高見氏は挙げるべきだ
ということになってしまうと思う。
そもそもこの、将棋纂図部類抄の完成後1年後の
水無瀬兼成付け加えの一文に関しては、泰将棋と、
大将棋の字体が、全く区別されて居無い。つまり、
六将棋から将棋を抜いて、残りの5つの将棋を言う
ときに、水無瀬が何気なしに何時もの調子で記すと
きに書く形式を、ただ並べているだけに過ぎないと
いうだけのことである。相手に、内容確認をする為
に、正確を期して居無い。将棋纂図部類抄の奥付け
ラスト文で相手に、献上した品の内容確認を催促
するために、水無瀬兼成が豊臣秀次に、文面を提出
するスタンスで書いて居無いというのは、目下であ
るから当然かもしれ無いが、明らかである。つまり、
この一文で正確なゲーム名は、判断出来ないと思う。
この成書は、根幹になる部分が、このように淡白な
ので、大阪商業大学から著者に、増補版を出すよう
に、お願いした方が良い
と私は感じる。
以上の事から、摩訶大大/大将棋と表記するとき
に、吉田屋文書の聆涛閣集古帖の摩訶大将棋の図の
旨の絵図を根拠に置いていた本ブログの方がやはり、
高見友幸氏の手回しよりは、少なくとも安全性が高
かったというのは確かなように、将棋纂図部類抄の
奥付ラストを読み直して、最近私は感じたのである。
(2024/11/22)
という形式の記載は、摩訶大大将棋と言う事もあれ
ば、摩訶大将棋と言う事もあるとの意味であるが、
水無瀬兼成の将棋纂図部類抄と、吉田屋古文書の、
聆涛閣集古帖の「摩訶大将棋」の旨(漢字は変動)
での≪表題書き≫を、同等に見ているからである。
最近、本ブログの管理人は、大阪電気通信大学/
高見友幸氏著「摩訶大将棋(まかおおしょうぎ)の
復刻」、2019年という表題の成書で、大大を大
と書く正統性についての記載に接した。それによる
と、水無瀬兼成将棋纂図部類抄の奥付の、水無瀬が
数え80歳のときに書いた、献上品品書き記載部分
の書き方が、唯一の根拠と私には読取れた。つまり、
聆涛閣集古帖に言及している箇所が、今の所発見さ
れてい無いという点で、本ブログの説明とは互いに
異なっている。
ここでは、該水無瀬兼成将棋纂図部類抄の
奥付の一文の大々の「々」の脱落は、誤記である疑
いがある
との点にいて、以下に説明する。
すなわちこの一文は、水無瀬兼成の別著作、
「将棋馬日記」の、最終ページパターンのコピーで
ある。将棋馬日記の最終ページには、次のように
書かれているとの旨、解釈出来る。
「泰将棋駒数354枚、摩訶大大将棋駒数192枚、
大大将棋駒数192枚、大将棋駒数130枚、四種
で駒数合計868枚。」
この記載から、駒数の記載を全部抜き、同様の
順番で並べ、中将棋もあるので追加すると、奥付の
豊臣秀次への献上品リストと同じ書き方である。
つまり、いつものパターンで文書を書いたときに、
水無瀬兼成が、間違えて「摩訶大将棋」の旨の部分
で「大々」の「々」を脱落して書いた
と見る見方を、否定できるような中身が無いと私は
解釈する。
私が正しいとすれば、「摩訶大将棋」だという
には、聆涛閣集古帖などの、将棋纂図部類抄とは別
の文献を、本ブログの如くに高見氏は挙げるべきだ
ということになってしまうと思う。
そもそもこの、将棋纂図部類抄の完成後1年後の
水無瀬兼成付け加えの一文に関しては、泰将棋と、
大将棋の字体が、全く区別されて居無い。つまり、
六将棋から将棋を抜いて、残りの5つの将棋を言う
ときに、水無瀬が何気なしに何時もの調子で記すと
きに書く形式を、ただ並べているだけに過ぎないと
いうだけのことである。相手に、内容確認をする為
に、正確を期して居無い。将棋纂図部類抄の奥付け
ラスト文で相手に、献上した品の内容確認を催促
するために、水無瀬兼成が豊臣秀次に、文面を提出
するスタンスで書いて居無いというのは、目下であ
るから当然かもしれ無いが、明らかである。つまり、
この一文で正確なゲーム名は、判断出来ないと思う。
この成書は、根幹になる部分が、このように淡白な
ので、大阪商業大学から著者に、増補版を出すよう
に、お願いした方が良い
と私は感じる。
以上の事から、摩訶大大/大将棋と表記するとき
に、吉田屋文書の聆涛閣集古帖の摩訶大将棋の図の
旨の絵図を根拠に置いていた本ブログの方がやはり、
高見友幸氏の手回しよりは、少なくとも安全性が高
かったというのは確かなように、将棋纂図部類抄の
奥付ラストを読み直して、最近私は感じたのである。
(2024/11/22)