原始平安小将棋は7枚ずつ玉金残る(長さん)
以前に述べたように、8×8升目32枚制で、
金将が片方に1枚しかなく、中間段が2段の、
wikipedia平安将棋の第1型は、本
ブログの言う、原始平安小将棋と同じもので
あり、もとは立体駒かつ、玉はホントの玉、
金と成金は同形、成でそのつど交換のホント
の金、銀はホントの銀製で、11世紀初頭に
後一条天皇だけ外来道具を持っていて、大鏡
に淡く、それを示唆する「天皇は、金銀財宝
の玩具を押し入れにしまい、藤原行成の献上
した、コマで遊んでいた」との旨、記録が
残っていたと本ブログでは論じている。
漢王朝期の雲南のテン国(テンは、サンズ
イに真)では「民が貧しいのに貴族は優雅だっ
た」というこの外国の有様が、11世紀藤原
摂関時代の日本と同じと、北宋王朝交易商人、
例を挙げれば周文裔に認識され、「それなら、
藤原道長等から『天皇へは玩具を』と頼まれ
ればそれを」という発想で、日本式将棋を、
豪華な玩具として伝来させたと、本ブログは
分析したのである。
であるから、中盤は早々に、玉と金と成金
だけになり、盤上、先手・後手それぞれに、
駒が7~8枚残って、局面硬直で、玉は安泰
であり続け、勝負がつかなくても良いゲーム
だったのだろうと、ここでは説明した。
今回は、この残りの駒が
7枚なのか8枚なのかを議論し「7枚残り説」
の方が、正しそうだと以下に述べる。
以前に述べたが、この将棋は日本将棋とは
異なり、出だしから着手が1本道であり、前
に述べたように以下の局面になると見られる。
すなわち、先手・後手共に、左桂馬は最初か
ら、守る気が無く、それよりも、左銀まで失
わない事に、注意が集中されるのである。
形として、ここからは、相手の左桂馬を、
成り桂馬で取るのであろう。すなわち、
▲3二桂成△6七桂成▲2一成桂△8七成桂
▲2三銀成△7六銀成▲3三成銀△6六成銀
と局面が進んで以下の局面になるとみられる。
ポイントは、先手の5六位値の歩兵と、後手
の4三位置の歩兵が、消失するかどうかで、
各々8枚ずつ駒残りか、7枚ずつ駒残りかが
決まるとみられる。
しかしながら私見では、この後先手の3筋、
後手の6筋の歩兵が進んで、これらの歩兵は、
と金に取られて無くなってしまうと私は思う。
すなわち以下の手順で進めるのが、比較的
良い手なのではないか。
▲4二成銀△5七成銀▲3四歩△6五歩
▲3三歩成△6六歩成▲4三と△5六と
▲3六銀△6三銀▲3一成桂
この局面から後手には、△6八成桂と
△6四金の2通りがあり、後者では点対称の
同形が崩れる可能性が有るが、何れにしても、
まだ成ってい無い駒を上げてゆけば、自然に
7枚ずつの玉・金・成金残りで硬直となる。
ポイントは、銀将一枚駒損なので、銀と、
端から3筋目で上がった、相手の成り歩兵の
と金との交換は避け、銀は中央近くの第4筋
目の歩兵を守っている働きを放棄してしまう
ので、と金は双方、2枚ずつしか出来無いと、
考えられるという点である。だから、と金で
相4筋目の歩兵は取られてしまい、8枚では
なくて、この将棋では、残りの駒は玉1、
金1、成銀2、成桂1、と金2の、合計7枚
になり、盤面玉2枚、金12枚の14枚で
硬直化して、局面が進まなくなってしまうと
考えられる。ルール上は、そこから、どちら
かが、他方の金駒6枚を全て取って、玉1枚
にすれば、玉を詰まなくても勝ちのゲームと
いうことに、なっていたようではあるのだが。
以上のように、私は予想するのである。以
前に述べたように、このゲームは教科の公民
教育への学習モチベーションを児童・生徒に
与えると言う点で、教育上すこぶる好ましい
ものであり、将棋愛好家の公益性の源となっ
ている。つまり通常の棋力を持つ将棋愛好家
は、この程度の指導ゲームを、例えば小学校
5年生程度の児童に対してする能力は、当然
持っているのが普通であろう。つまり、その
際の児童への指導者は今回後半で述べた、
「成銀を進めて3筋目の歩兵の進路を空けて
歩兵を進める」手筋を知っている程度で、
このゲームの指導は出来るレベルの疑いが、
濃いように思えると、依然として私には推定
されるのである。(2024/11/24)
金将が片方に1枚しかなく、中間段が2段の、
wikipedia平安将棋の第1型は、本
ブログの言う、原始平安小将棋と同じもので
あり、もとは立体駒かつ、玉はホントの玉、
金と成金は同形、成でそのつど交換のホント
の金、銀はホントの銀製で、11世紀初頭に
後一条天皇だけ外来道具を持っていて、大鏡
に淡く、それを示唆する「天皇は、金銀財宝
の玩具を押し入れにしまい、藤原行成の献上
した、コマで遊んでいた」との旨、記録が
残っていたと本ブログでは論じている。
漢王朝期の雲南のテン国(テンは、サンズ
イに真)では「民が貧しいのに貴族は優雅だっ
た」というこの外国の有様が、11世紀藤原
摂関時代の日本と同じと、北宋王朝交易商人、
例を挙げれば周文裔に認識され、「それなら、
藤原道長等から『天皇へは玩具を』と頼まれ
ればそれを」という発想で、日本式将棋を、
豪華な玩具として伝来させたと、本ブログは
分析したのである。
であるから、中盤は早々に、玉と金と成金
だけになり、盤上、先手・後手それぞれに、
駒が7~8枚残って、局面硬直で、玉は安泰
であり続け、勝負がつかなくても良いゲーム
だったのだろうと、ここでは説明した。
今回は、この残りの駒が
7枚なのか8枚なのかを議論し「7枚残り説」
の方が、正しそうだと以下に述べる。
以前に述べたが、この将棋は日本将棋とは
異なり、出だしから着手が1本道であり、前
に述べたように以下の局面になると見られる。
すなわち、先手・後手共に、左桂馬は最初か
ら、守る気が無く、それよりも、左銀まで失
わない事に、注意が集中されるのである。
形として、ここからは、相手の左桂馬を、
成り桂馬で取るのであろう。すなわち、
▲3二桂成△6七桂成▲2一成桂△8七成桂
▲2三銀成△7六銀成▲3三成銀△6六成銀
と局面が進んで以下の局面になるとみられる。
ポイントは、先手の5六位値の歩兵と、後手
の4三位置の歩兵が、消失するかどうかで、
各々8枚ずつ駒残りか、7枚ずつ駒残りかが
決まるとみられる。
しかしながら私見では、この後先手の3筋、
後手の6筋の歩兵が進んで、これらの歩兵は、
と金に取られて無くなってしまうと私は思う。
すなわち以下の手順で進めるのが、比較的
良い手なのではないか。
▲4二成銀△5七成銀▲3四歩△6五歩
▲3三歩成△6六歩成▲4三と△5六と
▲3六銀△6三銀▲3一成桂
この局面から後手には、△6八成桂と
△6四金の2通りがあり、後者では点対称の
同形が崩れる可能性が有るが、何れにしても、
まだ成ってい無い駒を上げてゆけば、自然に
7枚ずつの玉・金・成金残りで硬直となる。
ポイントは、銀将一枚駒損なので、銀と、
端から3筋目で上がった、相手の成り歩兵の
と金との交換は避け、銀は中央近くの第4筋
目の歩兵を守っている働きを放棄してしまう
ので、と金は双方、2枚ずつしか出来無いと、
考えられるという点である。だから、と金で
相4筋目の歩兵は取られてしまい、8枚では
なくて、この将棋では、残りの駒は玉1、
金1、成銀2、成桂1、と金2の、合計7枚
になり、盤面玉2枚、金12枚の14枚で
硬直化して、局面が進まなくなってしまうと
考えられる。ルール上は、そこから、どちら
かが、他方の金駒6枚を全て取って、玉1枚
にすれば、玉を詰まなくても勝ちのゲームと
いうことに、なっていたようではあるのだが。
以上のように、私は予想するのである。以
前に述べたように、このゲームは教科の公民
教育への学習モチベーションを児童・生徒に
与えると言う点で、教育上すこぶる好ましい
ものであり、将棋愛好家の公益性の源となっ
ている。つまり通常の棋力を持つ将棋愛好家
は、この程度の指導ゲームを、例えば小学校
5年生程度の児童に対してする能力は、当然
持っているのが普通であろう。つまり、その
際の児童への指導者は今回後半で述べた、
「成銀を進めて3筋目の歩兵の進路を空けて
歩兵を進める」手筋を知っている程度で、
このゲームの指導は出来るレベルの疑いが、
濃いように思えると、依然として私には推定
されるのである。(2024/11/24)