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小山市神鳥谷曲輪角行の成りは「金金甬」か(長さん)

以前の結論では、表題の出土将棋駒は、戦国時代
のルールに準拠しており、成り一文字金角行駒で
あり、成り側の金の下の方のヨゴレは、解釈不能
との事であった。なお両面の上部に、それぞれ「
奉」とい字か、小さく添えられている疑いも在る。
 しかるに、強画像処理の効果が大であるとの
認識で、この栃木県小山市神鳥谷曲輪遺跡で西暦
2007年に出土した将棋駒は、再度成り側の、
下部のヨゴレに集中して、今回画像処理を掛けて
みた。
 なお、発掘報告書は現在紙媒体で配布され、そ
のコンテンツ名は、繰り返すと以下の通りである。
本ブログでは、奈良文化財研究所の発掘報告書
データベース、全国遺跡報告総覧に登録されてい
た時代のpdf画像を、今回も以下の作業に使用
している。
 小山市文化財調査報告書第83集/
神鳥谷曲輪跡Ⅰ(第2分冊)、西暦2011年、
栃木県小山市教育委員会。
その、写真図版第8の中段左に、可視光の遺物の
写真が在る。

神鳥谷曲輪角行徹底.gif

 強画像処理を、今回は特に充分渾身を込め掛け
てみた。第1字目の一番最後の画を除く「金」も、
上記画像では、これまでに比べて鮮明だし、第2
字目は、存在するとして、大きい釣鐘の意味の、

金へんの甬の「金甬」であり釣鐘の「しょう」と、
金将の「しょう」を引っ掛けて、「金金甬」

なのかもしれないと、かなり正確に解る。字の中
が潰れないように、濃度を薄くした結果である。
かなり以前に、本ブログで「也」と読んでいた
部分は、「用」の誤読だったと、変更されたこと
になる。
 廃寺栃木県小山市の「青蓮寺」の幕末の、黒船
撃退の為の、銅鐘の拠出の妨害の伝説と関連する
ようであり、鐘は銅製だが、寺にとっては金の価
値が有ったとの意味かもしれない。
 小山氏の乱の戦死者の魂が込められているよう
でもあり、また、寺の鐘は除夜の鐘としても使用
する事から、やはり出土駒の将棋が、108枚制
である事を、淡く示唆しているようでもある。
 青蓮寺の近世幕末伝説が連想される事から。や
はり、この出土将棋駒が作成されたのは、実際に
は、江戸時代だった疑いが、少なくとも残ってい
るとは言えそうだ。(2024/11/28)

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