将棋纂図部類抄奥付シミにダブり有り(長さん)
既に示したように、将棋纂図部類抄の奥付の
余白に「摩訶神司図辿使」の跡のようなシミ
模様が有る。今回は、この漢字模様を含めて、
シミの模様パターンに、ダブって左右に一定
間隔で付いたような、模様の規則性が在ると
の旨報告する。
奥付と芯の間に、もう一枚紙が在り、冒頭の
メモ書きが有った
のかもしれない。
将棋纂図部類抄録奥付とは「水無瀬兼成の
将棋図」と称される、将棋纂図部類抄の豊臣
秀次への謝辞や兼成の年齢、印が存在する部
分の事であり、このうち水無瀬宮所蔵の文書
で、成書や島本町将棋図説明パンフレットに
印刷された巻物のそれを問題にしている。成
書等写真でしか、とりあえずは確認出来無い。
以下は、以前に紹介した画像で、本ブログ
管理人による、画像処理前の図の写真であり、
矢印の青、黄色、赤で示した2か所ずつの模
様が、左右でお互いに、ほぼ同じである。
右側の方に、縦に漢字で、前記のように書い
てあるようにも見えると、以前に報告した。
つまり、更に薄いが、
同じ内容が左にも、かなりの部分が文字に重
なって見えないが、存在する可能性が高い。
巻物の芯に、紙が当てられ、その上に奥付
が巻かれていて、付いたような模様であり、
文字が書いてあるとすればその、芯の汚れが、
奥付に付かないようにした下の紙面上と見ら
れる。そして、
巻物を1回ほどいて、巻き直したので、シミ
のパターンが、ダブった
ような繰り返しの模様である。当てた紙は、
近世以降に、不要と見られたか、取り替えた
ときには、巻芯当て紙に「唐突にほぼ自明と
見られたことが書いてあるだけ」と考えられ
て、転記され無かったか。何らかの原因で、
恐らく失われたのであろう。
少なくとも、この特定巻物は、曼殊院への
敬意も感じられ、豊臣秀次の遺族等から曼殊
院に送られた後に、仔細不明だが、曼殊院で、
曼殊院将棋図との対応が、防忘記載された後、
今は水無瀬宮に所蔵されている遺品という経
緯のようにも私には見える。水無瀬兼成直筆
墨によるシミでは、ひょっとするとこれだけ
については、無いのかもしれないとも疑う。
(2024/12/05)
余白に「摩訶神司図辿使」の跡のようなシミ
模様が有る。今回は、この漢字模様を含めて、
シミの模様パターンに、ダブって左右に一定
間隔で付いたような、模様の規則性が在ると
の旨報告する。
奥付と芯の間に、もう一枚紙が在り、冒頭の
メモ書きが有った
のかもしれない。
将棋纂図部類抄録奥付とは「水無瀬兼成の
将棋図」と称される、将棋纂図部類抄の豊臣
秀次への謝辞や兼成の年齢、印が存在する部
分の事であり、このうち水無瀬宮所蔵の文書
で、成書や島本町将棋図説明パンフレットに
印刷された巻物のそれを問題にしている。成
書等写真でしか、とりあえずは確認出来無い。
以下は、以前に紹介した画像で、本ブログ
管理人による、画像処理前の図の写真であり、
矢印の青、黄色、赤で示した2か所ずつの模
様が、左右でお互いに、ほぼ同じである。
右側の方に、縦に漢字で、前記のように書い
てあるようにも見えると、以前に報告した。
つまり、更に薄いが、
同じ内容が左にも、かなりの部分が文字に重
なって見えないが、存在する可能性が高い。
巻物の芯に、紙が当てられ、その上に奥付
が巻かれていて、付いたような模様であり、
文字が書いてあるとすればその、芯の汚れが、
奥付に付かないようにした下の紙面上と見ら
れる。そして、
巻物を1回ほどいて、巻き直したので、シミ
のパターンが、ダブった
ような繰り返しの模様である。当てた紙は、
近世以降に、不要と見られたか、取り替えた
ときには、巻芯当て紙に「唐突にほぼ自明と
見られたことが書いてあるだけ」と考えられ
て、転記され無かったか。何らかの原因で、
恐らく失われたのであろう。
少なくとも、この特定巻物は、曼殊院への
敬意も感じられ、豊臣秀次の遺族等から曼殊
院に送られた後に、仔細不明だが、曼殊院で、
曼殊院将棋図との対応が、防忘記載された後、
今は水無瀬宮に所蔵されている遺品という経
緯のようにも私には見える。水無瀬兼成直筆
墨によるシミでは、ひょっとするとこれだけ
については、無いのかもしれないとも疑う。
(2024/12/05)