二巻物色葉字類抄一巻上末挿込小将碁次白紙に醋象(長さん)
今回は以前と同じように強く画像処理する事に
より、表題の近世に前田藩が購入所持した、
尊経閣文庫蔵の二巻物色葉字類抄の、上巻(一
巻)の中の前半の末、戦国時代成立と私の見る、
一見して日本将棋の駒名を羅列した事の判る、
「小将碁馬名」挿込み記載の、白紙の次のペー
ジを強調したところ、重ねて保管した為に、
小将碁馬名文書の墨が、転写されたが、その
末尾に、表題のように、書かれて居無いはずの
「醋象」という文字のように私には見える、
ぼんやりとした模様が、末尾の「歩兵」の後の
部分に、微かに浮かび上がるという旨の報告で
ある。
酔象の挿し紙が、かつて、この書物に貼り付け
られ、墨が転写した後に取り除かれ
て、現在の史料になったと疑われ、戦国時代に、
小将棋として、朝倉小将棋が意識されていた事
を証明していると疑われる。
さて今回画像処理に使用したのは、成書の
「八木書店発行/尊経閣文庫編/色葉字類抄
二/二巻本、西暦2000年、八木書店の、
第110ページの、「小将碁馬名」の次のペー
ジ白紙、第111ページの挿入紙のページであ
り、強く画像処理のちに、裏返しの処理をし、
第110ページと見比べて、異常を発見した。
余分に存在する、2文字の転写跡と疑われる
部分を以下に示す。
上図のように2文字のうち、第2文字は「象」
のようでもあり、その上の字は「醋」のヘンの
口中が※のようでもあるが、ぼんやりとして読
みにくい。
小将碁馬名から歩兵までの文字に、元ページ
と墨の書籍圧力による、転写≪印刷面≫ページ
との間でズレが無いようであり、少なくとも第
110ページは、元から有った文書であると思
われる。なお、第111ページの「ヨゴレ」は、
転写像が撮影されたのかもしれないし八木書店
本にした後で、21世紀に汚れたのかもしれな
いが、どちらであるかまでは、私には良く判ら
ない。しかしながら何れにしても、それに一時
期「酔象」と書かれた旨の
挿し紙が、歩兵の末尾に貼られていた
可能性が、多少は有るのでは無いかと、私的に
疑っている。なお、目視では、この成書の第
111ページは、ほぼ白紙にしか見え無い。
良く見ると、出だしの「小」の字が、ぼんやり
見えるだけである。
以上の結果から。
戦国時代に一般に、酔象の入った9×9升目で
42枚制朝倉小将棋が、広く認知されていた事
を疑わせると共に、この「小将碁馬名」自体が、
戦国期の成立である事を示唆しているように私
には、依然として強く感じられる。(2024/12/07)
より、表題の近世に前田藩が購入所持した、
尊経閣文庫蔵の二巻物色葉字類抄の、上巻(一
巻)の中の前半の末、戦国時代成立と私の見る、
一見して日本将棋の駒名を羅列した事の判る、
「小将碁馬名」挿込み記載の、白紙の次のペー
ジを強調したところ、重ねて保管した為に、
小将碁馬名文書の墨が、転写されたが、その
末尾に、表題のように、書かれて居無いはずの
「醋象」という文字のように私には見える、
ぼんやりとした模様が、末尾の「歩兵」の後の
部分に、微かに浮かび上がるという旨の報告で
ある。
酔象の挿し紙が、かつて、この書物に貼り付け
られ、墨が転写した後に取り除かれ
て、現在の史料になったと疑われ、戦国時代に、
小将棋として、朝倉小将棋が意識されていた事
を証明していると疑われる。
さて今回画像処理に使用したのは、成書の
「八木書店発行/尊経閣文庫編/色葉字類抄
二/二巻本、西暦2000年、八木書店の、
第110ページの、「小将碁馬名」の次のペー
ジ白紙、第111ページの挿入紙のページであ
り、強く画像処理のちに、裏返しの処理をし、
第110ページと見比べて、異常を発見した。
余分に存在する、2文字の転写跡と疑われる
部分を以下に示す。
上図のように2文字のうち、第2文字は「象」
のようでもあり、その上の字は「醋」のヘンの
口中が※のようでもあるが、ぼんやりとして読
みにくい。
小将碁馬名から歩兵までの文字に、元ページ
と墨の書籍圧力による、転写≪印刷面≫ページ
との間でズレが無いようであり、少なくとも第
110ページは、元から有った文書であると思
われる。なお、第111ページの「ヨゴレ」は、
転写像が撮影されたのかもしれないし八木書店
本にした後で、21世紀に汚れたのかもしれな
いが、どちらであるかまでは、私には良く判ら
ない。しかしながら何れにしても、それに一時
期「酔象」と書かれた旨の
挿し紙が、歩兵の末尾に貼られていた
可能性が、多少は有るのでは無いかと、私的に
疑っている。なお、目視では、この成書の第
111ページは、ほぼ白紙にしか見え無い。
良く見ると、出だしの「小」の字が、ぼんやり
見えるだけである。
以上の結果から。
戦国時代に一般に、酔象の入った9×9升目で
42枚制朝倉小将棋が、広く認知されていた事
を疑わせると共に、この「小将碁馬名」自体が、
戦国期の成立である事を示唆しているように私
には、依然として強く感じられる。(2024/12/07)