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日本風土記の日本将棋記載は金将動きの理だけ(長さん)

本ブログでは、将棋を伝来させたのは北宋
時代の中国交易商人であり、藤原摂関時代
の朝廷の生活の贅沢化を、中国雲南省付近
に存在した、テン国大理国の王宮の貴族の
様子に見立てて、将棋盤面中盤金将テンコ
盛りゲームを、日本の皇族に贈答して指さ
せる事により「貧困な国のくせに上級貴族
は贅沢する国柄」という上下生活ギャップ
を、漢王朝の国史に記載されたテン国の像
を、根拠にしながらモジュレーションし、
中華思想特有の、周辺国蔑視的感情を暗々
裡に滲ませながら、日本からの玩具の調達
の要求に基づいて、雲南から第三者として
自らが、調達して来たものとの考えを取っ
ている。
 今回述べる明代頃の史料である日本風土
記から、冒頭に述べた

北宋時代の中国商人の行為は、その時代ま
で、情報として、保存されていた可能性が
有る

事が日本将棋の紹介の内容から伺えるとの
旨、以下に論じる。
 日本風土記に記載された日本将棋の特徴
として、筋を変えられる竜馬の駒の強さと
いった、日本将棋の駒特有の記載が見当た
らず、金将や成金の性格ばかりが記載され、

平安小将棋の指し方を、解説しているよう
にさえ見える

からである。
 さて今回は、古事類宛の30、遊戯部の
将棋に記載された、日本風土記の写しの、
文末3行弱を引用する。すなわち、文献の
出典は以下の通り。
 古事類宛/30/遊戯部、西暦1969
年、吉川弘文館。その第145ページの、
最初の3行が、日本風土記五/象基の、
末尾の3行になる。以下のような旨の事が、
漢文で書いて在る。

若得戦過”河界”(=敵陣3段目)則翻
所陸之面用之倶興金将一例行之。(即ち)
無分歩兵香車桂馬也。皆逐歩斜進攻戦如
両営各輪子馬(=小駒)依利気者、放入盤
内行用取去子馬(=小駒)亦如之。但彼
各兵(玉)将既臨、我(←相手の)営、至
犯主将(=玉将)之位。拠(よって仮に)
我盤中(=元駒として)<無>子将=金将
や銀将)、彼(=味方の)子馬(=小駒)
打放下盤遮敵。如盤中子(馬)少、手中馬
尽必無。可防可抵始分勝負如営(←守りの
中心である)主将(=玉将)過河(=相手
陣3段目以降)是為和局(=引き分け)・・

 webで表示され無い字は、似ていると
見られる字を充てたので、古事類宛とは、
方々違う字がある。が、持駒ルールの有る

平安小将棋を解説しているように見える文

である事は、明らかである。例えば、角行
が成った龍馬が、「頭の丸い動きをするの
で、怖い駒である」等は、全く日本将棋
ゲームと、ユカリの無い人間なら、興味で
書くだろうが、そのような記載は無い。
 「金気の駒と攻め側の成金で、玉の周り
で、せめぎあいの交換が続くゲームである」
と説明し、だから「金将のルールの性質上、
入玉したら、勝負がつかなくなり引き分け」
とオチを書いて、

彼らの見方からする日本将棋の「概略」の
特徴を記載しているだけ

である。つまり日本の平安時代中期に、金
を作り合い、入玉したら拍手喝采して、
ゲームを終わらせる貴族ゲームとして将棋
を、中国人が伝来させた事を、

風土記学の専門家として、時代が下っても
熟知している事を、ジワジワと文面に滲み
出させている

と、少なくとも本ブログの管理人には、淡
くは感じられるという意味である。
 地理書では無いかと疑われる風土記で、
ゲームのルールだけでなく、ゲーム内容を、
ここまで書くのも異様だし、内容の書き方
も、竜王・竜馬が全く出て来無いという点
で異様である。
 以前に本ブログでは、九宮象棋の、入玉
出来無いゲームとの比較の趣旨とこの文面
を論じたが、文面に登場する駒が、実質的
に金将系だけという点を見落としていたと
いう点で間違いであり、なぜか

金将を中心に、ゲームの流れを他のゲーム
とは無関係に、偏った棋風で解説した文献

だと、風土記/象基(将棋)の作文後半3
行部分は見るべきだと、私には読み返して
思えるようになって来た。(2024/12/08)

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