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1869年西洋将棋指南日本チェス家大もとインド説(長さん)

今回は、西暦1860年渡来の「将棋書」「将
棋の書」を翻訳後、それを解説した成書を出版
した喫霞仙史(柳河春三)が、西暦1869年
(明治2年)時点で、「日本の将棋が、遡ると
インドで発生したゲームの末裔である」との旨、
記していた事実を紹介する。増川宏一のものと
人間の文化史「チェス」に、記載されている
既知の内容の、元文献を私があたっただけだが、
明治文化全集/別巻明治事物起源の下巻内、
「西洋将棋」の中に、「西暦1860年頃に、

アメリカからチェス書が伝来していて、それに
関係する」という紹介が抜けているようである。

 明治文化全集(八)風俗編のトップ、本文
第3ページに、増川氏紹介の文書が記載されて
いる。元文書は、以下のものである。
「西洋将棋指南」、喫霞仙史(柳河春三)、
西暦1869年、中外堂。
 なお、転載した「明治文化全集」は、西暦
1928年に㈱日本評論社から出版されている。
 冒頭に、「チェスの発生は非常に古く、起源
はインドであり、日本将棋・唐将棋は、駒の
ルールやパターンに、チェスとの間に略相似性
があり、

起源は一緒であろう」との旨記載

され北周武王発明の記載が無い。元のアメリカ
から渡来/輸入された「将棋書」「将棋の書」
等に、その旨記載され、意訳をその通りにした
のであろう。翻訳者である事は、㈱日本評論社
出版の、明治文化全集/別巻明治事物起源の、
下巻内、「西洋将棋」の第1207ページ付近
の、末尾近辺に繰り返すと記載が在る。今の
ところ本ブログの管理人は、輸入書外国書籍は
確認して居無い。
 元の英文の輸入書に図が乏しいため、喫霧
仙史が作図したが、

誤訳が存在

する。すなわちポーンの動きが「初手だけ2歩
まで」の「初手だけ」が抜けている。また、
キャスリングで、キングが、ルークの初期配置
位置の、カドの升目まで跳ぶように書いてある。
よって

原書に対する忠実度は、余り高くは無い

ので、信頼性は完璧では無いとは、言えそうで
ある。
 徳川幕府が壊滅した直後なので。徳川家康も
愛用した、水無瀬兼成の将棋駒のもとになる、
水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の、チェス・将棋
類の根源中国発生説は出し辛かったのであろう。
 何れにしても、それまでの将棋根源は北周の
武王の象経であるという説に対立する、インド
説の存在を、日本人が認識した初見は、西暦
1860年頃にアメリカから輸入されたチェス
入門書の書き出しだったらしいと、それなりの
確率で疑うことが、どうやら出来そうである。
(2024/12/09)

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