小学館国語大辞典に「まかだいだいしょうぎ」が記載(長さん)
今回は、大阪電気通信大学の高見友幸氏が主張
している、「摩訶大将棋」の読み、
「まかおおしょうぎ」の出典を捜索したが、私
の力では、発見出来無かったという経過紹介で
ある。
摩訶大大将棋の読みとして
「まかだいだいしょうぎ」であるという現代
用語としての根拠は、小学館「日本国語大辞典」
に有る
ようである。
第2版で、西暦2001年発行分しか私は見
て居無いが、日本国語大辞典、西暦2001年、
小学館で、摩訶大大将棋で読みが「まかだいだ
いしょうぎ」であるとの旨の記載は、以下の箇
所に有る。
第12巻、第325ページ、第2段。
但し、根拠は西暦1693年成立の男重宝記
(なんちょうほうき)だけであり、本ブログが
以前に示した根拠に対して、独立な成分は皆無
である。
また、第8巻、第696ページ、第2段に、
大大将棋の読みとして「だいだいしょうぎ」が、
やはり、男重宝記のみを根拠として、記載され
ている。
他方、本ブログが大将棋を「おおしょうぎ」
と読むという現代文献としての根拠として挙げ
た、新編大言海、大槻文彦、西暦1965年、
富山房に、摩訶大大将棋の項目は無い。「摩訶
大大将棋」と表記された部分は有るがその読み
は、その部分にも記載されて居無いようである。
この地点で、本ブログの捜索は、足踏み状態
である。
以上の結果から、19升目192枚制の、
水無瀬兼成将棋纂図部類抄に「摩訶大大将棋」
の柱書きで、図が紹介されているゲームを現代
では「『まかだいだいしょうぎ』とは絶対言わ
ない」と言い切るのは、少なくとも文献証拠と
して、かなり困難な状況なのではないかと私見
出来た。
なお、大将棋に関して、大槻文彦が「おお
しょうぎ」と読んでいた理由は、ヒントになる
はずだが依然として良く判らない。「将棋が伝
来した前後に某大将が戯れに、陰陽師に何か質
問すると『お前は病気になる』と返され、的中
して亡くなったので、『だいしょうぎ』という
言葉は縁起が悪いと、室町時代初め頃に言われ
て、それが大将戯を『おおしょうぎ』と読み替
えた起源である」等何か情報が有れば良いと私
も一応、欲してはいるのであるが。(2024/12/11)
している、「摩訶大将棋」の読み、
「まかおおしょうぎ」の出典を捜索したが、私
の力では、発見出来無かったという経過紹介で
ある。
摩訶大大将棋の読みとして
「まかだいだいしょうぎ」であるという現代
用語としての根拠は、小学館「日本国語大辞典」
に有る
ようである。
第2版で、西暦2001年発行分しか私は見
て居無いが、日本国語大辞典、西暦2001年、
小学館で、摩訶大大将棋で読みが「まかだいだ
いしょうぎ」であるとの旨の記載は、以下の箇
所に有る。
第12巻、第325ページ、第2段。
但し、根拠は西暦1693年成立の男重宝記
(なんちょうほうき)だけであり、本ブログが
以前に示した根拠に対して、独立な成分は皆無
である。
また、第8巻、第696ページ、第2段に、
大大将棋の読みとして「だいだいしょうぎ」が、
やはり、男重宝記のみを根拠として、記載され
ている。
他方、本ブログが大将棋を「おおしょうぎ」
と読むという現代文献としての根拠として挙げ
た、新編大言海、大槻文彦、西暦1965年、
富山房に、摩訶大大将棋の項目は無い。「摩訶
大大将棋」と表記された部分は有るがその読み
は、その部分にも記載されて居無いようである。
この地点で、本ブログの捜索は、足踏み状態
である。
以上の結果から、19升目192枚制の、
水無瀬兼成将棋纂図部類抄に「摩訶大大将棋」
の柱書きで、図が紹介されているゲームを現代
では「『まかだいだいしょうぎ』とは絶対言わ
ない」と言い切るのは、少なくとも文献証拠と
して、かなり困難な状況なのではないかと私見
出来た。
なお、大将棋に関して、大槻文彦が「おお
しょうぎ」と読んでいた理由は、ヒントになる
はずだが依然として良く判らない。「将棋が伝
来した前後に某大将が戯れに、陰陽師に何か質
問すると『お前は病気になる』と返され、的中
して亡くなったので、『だいしょうぎ』という
言葉は縁起が悪いと、室町時代初め頃に言われ
て、それが大将戯を『おおしょうぎ』と読み替
えた起源である」等何か情報が有れば良いと私
も一応、欲してはいるのであるが。(2024/12/11)