今小路西鎌倉市福祉センター中将棋木札の大将棋史的意義(長さん)
これまで、この神奈川県鎌倉市で35年程度前
に出土した木札は、中将棋のゲーム変遷史を知る
上で、重要と紹介してきた。
すなわち、①獅子に関する特別な規則が存在
する事が、獅子を師子と書く事にひっ掛けて、
狛犬を白犬と書いている事から判るし、②鉄将
が取り除かれて、猛豹になった事は、猛豹を
「まうへい」と呼ばずに、「も(っ)しひゃう」
と猛将にひっかかるように、かな書きを作り替え
ている事から判るという訳である。そもそも猛豹
が入ったのは、虎と牛しか残さなかった上で、
虎と牛の鬼門より、オス虎と「メス虎(と考えら
れた)」、虎と豹との組み合わせの方が良いと、
中将棋のゲームデザイナーに、見られたからだと
想定も出来る。
ところで、本ブログの本題の大将棋の歴史と、
この中将棋札の内容で最も大切なのは、以前にも
指摘したかもしれないが、盲虎を斜め4方向動き
の二中歴大将棋から、中将棋型の前方だけ動け
無い、7方向動きに替えた事を、後半で表して
いる点である。更に、これまでブログ内で強調
した記憶が私には無いのだが、少なくとも本ブロ
グでは、③二中歴の飛龍の駒の動かし方ルールを、
「超越」は「離れた所まで行かなければならない」
と解釈し、「近くへ行かない」の意味であると
見ている点である。つまり、今小路西鎌倉市福祉
センター中将棋木札のゲームデザイナーは、二中
歴の大将棋の記載を踏まえて「盲虎は近くへ行く」
と一文入れてくれていると、少なくとも私は見て
いる。当の二中歴の、金将や銀将の駒の動かし方
ルールの記載にも、こんな親切な言い回しは無い。
つまり、
中将棋は13升目の二中歴大将棋から進化したの
であり、15升目の将棋纂図部類抄の大将棋から、
簡素化して成立したゲームでは無い
と表現しているのと、ほぼ同じであると本ブログ
の管理人は見る。15升目制の大将棋が在って、
その簡易型を作ったというのなら、この「近くへ
行く」表現が、今小路西鎌倉市福祉センター中将
棋木札の時代に、口調として二中歴の飛龍ルール
を、わざわざ踏まえて、盲虎の駒の動かし方ルー
ルが、
飛龍二中歴的表現の逆で呼称されるとは考え難い
という意味である。
この点が、飛びぬけて重要だ
と私は思う。つまり、中将棋が15升目制の
後期大将棋から進化したという説は、苦しくなり
むしろ逆ではなかったかと、予想されるのである。
恐らくこの中将棋木札の時代として南北朝期だ
として、裏づけ史料として、水無瀬兼成の将棋纂
図部類抄や、色葉字類抄2巻物の第1巻中間差込
文書には記載されて史料として、現存しており、
実質的に「大将棋標準形として通っている、15×
15升目130枚制後期大将棋が、
南北朝時代には広まっておらず、中将棋が成立
して後に作成
されたという事を示唆する史料としては、この、
今小路西鎌倉市福祉センター中将棋木札の発見が、
最初だったという事だけは、どうも確かだ。
飛龍のルールを、隣接升目で停止出来無いとし
た、二中歴大将棋の作者にも感謝したいが。私は
この中将棋木札で、それが、斜めという点で飛龍
とは同じだが、飛龍とは真逆で、
隣接升目へだけ行けるという形で、猛虎や盲虎が、
対の形で、駒の動かし方ルールになっている
という点を、この木札の中に残るように表現して
くれていた、南北朝時代の中将棋頃のプレーヤに
は、今は深く感謝したいという気持ちで、いっぱ
いである。(2024/12/17)
に出土した木札は、中将棋のゲーム変遷史を知る
上で、重要と紹介してきた。
すなわち、①獅子に関する特別な規則が存在
する事が、獅子を師子と書く事にひっ掛けて、
狛犬を白犬と書いている事から判るし、②鉄将
が取り除かれて、猛豹になった事は、猛豹を
「まうへい」と呼ばずに、「も(っ)しひゃう」
と猛将にひっかかるように、かな書きを作り替え
ている事から判るという訳である。そもそも猛豹
が入ったのは、虎と牛しか残さなかった上で、
虎と牛の鬼門より、オス虎と「メス虎(と考えら
れた)」、虎と豹との組み合わせの方が良いと、
中将棋のゲームデザイナーに、見られたからだと
想定も出来る。
ところで、本ブログの本題の大将棋の歴史と、
この中将棋札の内容で最も大切なのは、以前にも
指摘したかもしれないが、盲虎を斜め4方向動き
の二中歴大将棋から、中将棋型の前方だけ動け
無い、7方向動きに替えた事を、後半で表して
いる点である。更に、これまでブログ内で強調
した記憶が私には無いのだが、少なくとも本ブロ
グでは、③二中歴の飛龍の駒の動かし方ルールを、
「超越」は「離れた所まで行かなければならない」
と解釈し、「近くへ行かない」の意味であると
見ている点である。つまり、今小路西鎌倉市福祉
センター中将棋木札のゲームデザイナーは、二中
歴の大将棋の記載を踏まえて「盲虎は近くへ行く」
と一文入れてくれていると、少なくとも私は見て
いる。当の二中歴の、金将や銀将の駒の動かし方
ルールの記載にも、こんな親切な言い回しは無い。
つまり、
中将棋は13升目の二中歴大将棋から進化したの
であり、15升目の将棋纂図部類抄の大将棋から、
簡素化して成立したゲームでは無い
と表現しているのと、ほぼ同じであると本ブログ
の管理人は見る。15升目制の大将棋が在って、
その簡易型を作ったというのなら、この「近くへ
行く」表現が、今小路西鎌倉市福祉センター中将
棋木札の時代に、口調として二中歴の飛龍ルール
を、わざわざ踏まえて、盲虎の駒の動かし方ルー
ルが、
飛龍二中歴的表現の逆で呼称されるとは考え難い
という意味である。
この点が、飛びぬけて重要だ
と私は思う。つまり、中将棋が15升目制の
後期大将棋から進化したという説は、苦しくなり
むしろ逆ではなかったかと、予想されるのである。
恐らくこの中将棋木札の時代として南北朝期だ
として、裏づけ史料として、水無瀬兼成の将棋纂
図部類抄や、色葉字類抄2巻物の第1巻中間差込
文書には記載されて史料として、現存しており、
実質的に「大将棋標準形として通っている、15×
15升目130枚制後期大将棋が、
南北朝時代には広まっておらず、中将棋が成立
して後に作成
されたという事を示唆する史料としては、この、
今小路西鎌倉市福祉センター中将棋木札の発見が、
最初だったという事だけは、どうも確かだ。
飛龍のルールを、隣接升目で停止出来無いとし
た、二中歴大将棋の作者にも感謝したいが。私は
この中将棋木札で、それが、斜めという点で飛龍
とは同じだが、飛龍とは真逆で、
隣接升目へだけ行けるという形で、猛虎や盲虎が、
対の形で、駒の動かし方ルールになっている
という点を、この木札の中に残るように表現して
くれていた、南北朝時代の中将棋頃のプレーヤに
は、今は深く感謝したいという気持ちで、いっぱ
いである。(2024/12/17)