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サマルカンド/アフラシアブチェス駒web上画像有り(長さん)

本ブログでは旧ソ連圏で発掘された、表題
のチェス駒とテバ遺跡駒(ダルヴェルジン・
テバ遺跡のDT-5)出土動物駒とを、1~
2回、羅列して過去紹介しただけである。
 だが、表題のチェス駒は、イスラム教の
偶像崇拝禁止の枠外で、チェス駒が具象化
された遊戯駒となったとして、著名である。
チェス駒らしい遊戯駒として、最古級で
あるからである。遊戯史界に情報が、最初
にもたらされたとされたのは西暦1980
年代の初、成立年代は西暦760~761
年である。以上の旨、ものと人間の文化史/
110「チェス」、増川宏一、法政大学
出版会、西暦2003年の、第26ページ
付近にある。同29ページに、出土駒が、
一枚だけ写真で記載されているが、web
上に、出土したとされる、王・臣・象・馬・
車・兵の6種類の駒が、全部写真で載って
いるサイトが、相当前から有ったのに、本
ブログの管理人が、見落としていたようで
ある。
 以下は、だいぶん全体の分量が多い、
webページであるが、中段付近から、
外国出土遺物の紹介になっている。

エイチティティピーコロン//aomorishogi.
g3.xrea.com/12special-syogikomamonogatari.htm

出土した遊戯駒は、全部で7枚との旨を、
前出のものと人間の文化史110「チェス」
で、増川宏一が紹介している。
 テバ遺跡の小型どうぶつ像造形物とは、
明らかに、全く異質であった。本ブログの
書き方では、判然とし無かったのは読者の
諸氏に、誠にあいすまなかったと思う。
 このウズベキスタンの古都サマルカンド
近郊の表題のアフラシアブ遺跡で発掘され
たチェス駒から、イスラムシャトランジが

ゲームの出来が劣っていたにもかかわらず

宗教国家の建国者の性格からイスラム帝国
により普及が大きく後押しされて、広く、
ユーラシア大陸に広かったのに間違い無い
と、かなりの確度で推定出来るのではない
かと、依然として私見する。更に増川宏一
のチェスの文章の流れから、ソ連の崩壊と、
ウズベキスタンの現行国家の成立で、この
史料に対する詳細が更にもたらされたと私
には察せられる。(2024/12/20)

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