大分県大分市大友府内町遺跡で16C飛車駒?(長さん)
以前に、漢字で「泰山」と書かれたように見える
カワラケが、今世紀早に出土したと本ブログで
紹介した、大分県の表題遺跡で、同様な成立年代
の、飛車ではないかと疑われる将棋が「第34次
調査」で出土し、地元の資料館ないし博物館に
陳列されていると取れる旨の情報が、現時点で
web上に有るようである。大分県での将棋駒の
出土は、本ブログの管理人に、余り記憶が無い。
繰り返すと、成立年代は16世紀の戦国末から、
安土桃山時代初のようであり、遺跡の場所は、
以前に紹介したが、大分県大分市元町か六坊南町
と見られる。以前紹介したカワラケも、発掘され
た日本列島の写真と紹介文からなので、発掘報告
書の形で、遺跡の詳細さえ私は確認しておらず、
この飛車と疑われる将棋駒の情報についてはコン
テンツの出所や、現在の陳列場所、出土年、大分
県の教育委員会かもしれないが、誰の発掘調査の
成果に関する情報なのか、それらの出所が今のと
ころ私には良く判らない。ともあれ出土写真は、
以下のような画像でweb上に載っており、駒名
が判読しいように、私の方で縦を15%引き伸す
等の、画像処理をさせて頂いている。

下部が切れているが、影が写っており、将棋駒
の厚みは、近世の一般的日本将棋駒といっしょの
ように見える。
上図のように、第2字目は「車」のようでも
あり、そうすると第1字目は「香」か「飛」かが
最初に疑われるが、飛の上部の墨が残っているよ
うにも見える。
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧の同遺跡の報告書を、少なくと
も、ざっと見ただけではこの史料は少なくとも私
には、引っ掛かって来なかったように記憶する。
中将棋駒がしばしば出土しいる時代なので、詳
細がわかった時点で、更に本ブログでも紹介させ
て頂くように致したいと希望する。(2024/12/21)
カワラケが、今世紀早に出土したと本ブログで
紹介した、大分県の表題遺跡で、同様な成立年代
の、飛車ではないかと疑われる将棋が「第34次
調査」で出土し、地元の資料館ないし博物館に
陳列されていると取れる旨の情報が、現時点で
web上に有るようである。大分県での将棋駒の
出土は、本ブログの管理人に、余り記憶が無い。
繰り返すと、成立年代は16世紀の戦国末から、
安土桃山時代初のようであり、遺跡の場所は、
以前に紹介したが、大分県大分市元町か六坊南町
と見られる。以前紹介したカワラケも、発掘され
た日本列島の写真と紹介文からなので、発掘報告
書の形で、遺跡の詳細さえ私は確認しておらず、
この飛車と疑われる将棋駒の情報についてはコン
テンツの出所や、現在の陳列場所、出土年、大分
県の教育委員会かもしれないが、誰の発掘調査の
成果に関する情報なのか、それらの出所が今のと
ころ私には良く判らない。ともあれ出土写真は、
以下のような画像でweb上に載っており、駒名
が判読しいように、私の方で縦を15%引き伸す
等の、画像処理をさせて頂いている。

下部が切れているが、影が写っており、将棋駒
の厚みは、近世の一般的日本将棋駒といっしょの
ように見える。
上図のように、第2字目は「車」のようでも
あり、そうすると第1字目は「香」か「飛」かが
最初に疑われるが、飛の上部の墨が残っているよ
うにも見える。
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧の同遺跡の報告書を、少なくと
も、ざっと見ただけではこの史料は少なくとも私
には、引っ掛かって来なかったように記憶する。
中将棋駒がしばしば出土しいる時代なので、詳
細がわかった時点で、更に本ブログでも紹介させ
て頂くように致したいと希望する。(2024/12/21)