飛鷲・角鷹の完全成立は15世紀末か(長さん)
最近出版された、ものと人間の文化史/191
「鷹」の第58ページ付近の記載は、中将棋の
成駒の、飛鷲、角鷹の成立時期に関連する、
鷹狩りの歴史に関し、鎌倉北条執権得宗期から、
室町時代初期かけての、朝廷貴族の鷹狩空白期
に関して、判り易い要約が書かれていて、大い
に参考になる文献のようである。成書の書誌は
以下の通り。
ものと人間の文化史/191「鷹」、根崎光男、
法政大学出版局、西暦2024年12月。
その第58ページ付近に、少なくとも史料とし
ては、中先代の乱や、モンゴル帝国来襲に関す
る神託で有名な、
諏訪神社の神事としての鷹狩り以外、日本では
中将棋成立期に鷹狩りは衰微
としており、室町時代の15世紀末に細川政元
が、軍事目的で鷹狩りを復興したのが、近世盛
んになる、近世大名鷹狩りの走りとの旨がある。
つまり、中将棋で安定して
龍王と龍馬の成りが、鷹狩り文化を明確に連想
させる、飛鷲、角鷹になったのは、15世紀末
の応仁の乱より少し後と示唆しているという事
である。その際、中将棋が大将棋の系統であり、
鎌倉末に神奈川県鎌倉市でも盛んであり、北条
氏や、モンゴル来襲祈祷や神託で関連性の高い、
諏訪神社に対する敬意が、15世紀の龍王、
龍馬の成りの確立にはその根底に有る事を示唆
していると取れるという事である。思えば、龍
自体が、モンゴル帝国来襲より日本を守る為の
守護神と諏訪神社ではされた訳であるから、
諏訪神社が龍駒の絡んでいるというのは、当た
り前だったという事かもしれない。
鷹狩りに関して、専門家以外にも、鎌倉時代
には禁止の傾向の有った
頼朝伝説より少し後に始まる、空白期の動きに
関して、判り易い図書が出版された事に対して
感謝すべきだろう
と、私には当然だが感じられた。
以上のように、この図書の、将棋史に興味を
持つ者の、空白期論議に対する記載の平易さに
接して、私は直近大いに慶んだのであった。
(2024/12/25)
「鷹」の第58ページ付近の記載は、中将棋の
成駒の、飛鷲、角鷹の成立時期に関連する、
鷹狩りの歴史に関し、鎌倉北条執権得宗期から、
室町時代初期かけての、朝廷貴族の鷹狩空白期
に関して、判り易い要約が書かれていて、大い
に参考になる文献のようである。成書の書誌は
以下の通り。
ものと人間の文化史/191「鷹」、根崎光男、
法政大学出版局、西暦2024年12月。
その第58ページ付近に、少なくとも史料とし
ては、中先代の乱や、モンゴル帝国来襲に関す
る神託で有名な、
諏訪神社の神事としての鷹狩り以外、日本では
中将棋成立期に鷹狩りは衰微
としており、室町時代の15世紀末に細川政元
が、軍事目的で鷹狩りを復興したのが、近世盛
んになる、近世大名鷹狩りの走りとの旨がある。
つまり、中将棋で安定して
龍王と龍馬の成りが、鷹狩り文化を明確に連想
させる、飛鷲、角鷹になったのは、15世紀末
の応仁の乱より少し後と示唆しているという事
である。その際、中将棋が大将棋の系統であり、
鎌倉末に神奈川県鎌倉市でも盛んであり、北条
氏や、モンゴル来襲祈祷や神託で関連性の高い、
諏訪神社に対する敬意が、15世紀の龍王、
龍馬の成りの確立にはその根底に有る事を示唆
していると取れるという事である。思えば、龍
自体が、モンゴル帝国来襲より日本を守る為の
守護神と諏訪神社ではされた訳であるから、
諏訪神社が龍駒の絡んでいるというのは、当た
り前だったという事かもしれない。
鷹狩りに関して、専門家以外にも、鎌倉時代
には禁止の傾向の有った
頼朝伝説より少し後に始まる、空白期の動きに
関して、判り易い図書が出版された事に対して
感謝すべきだろう
と、私には当然だが感じられた。
以上のように、この図書の、将棋史に興味を
持つ者の、空白期論議に対する記載の平易さに
接して、私は直近大いに慶んだのであった。
(2024/12/25)