石川県鹿島町徳前C遺跡で4C山泰墨書土器(長さん)
今回は、石川県鹿島町の徳前C遺跡から、
古墳期前期、4世紀頃成立とみられる、
甕型土器に、漢字で山奉と書いてある
ように私には見える、煤模様が有るとの
旨の紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されて
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140797_1_鹿島町徳前C遺跡調査報告Ⅳ.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
鹿島町徳前C遺跡発掘報告(Ⅳ)、
1983、石川県埋蔵文化財センター。
発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
石川県鹿島郡鹿島町徳前。遺物が出土し
たのは、西暦1981年前後の事のよう
である。
遺物の成立年代は、写真図版に弥生期
~古墳期前期と記載され、本文第141
ページの記載から、4世紀頃のものとさ
れているような印象を私は受ける。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
29の最上段左側に在り、遺物番号で、
スケッチ図第62の第12番との旨、
ナンバリングされている。甕型土器と
見られているようである。

上図のように、山奉のように私には読
めるような漢字の模様が、煤に埋もれな
がら、有るようにも見える。
遺跡の南側に低山帯があり、弥生時代
末から古墳時代の初にかけ、渡来人の山
岳信仰が存在したのかもしれないと、私
見する。(2024/12/26)
古墳期前期、4世紀頃成立とみられる、
甕型土器に、漢字で山奉と書いてある
ように私には見える、煤模様が有るとの
旨の紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されて
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140797_1_鹿島町徳前C遺跡調査報告Ⅳ.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
鹿島町徳前C遺跡発掘報告(Ⅳ)、
1983、石川県埋蔵文化財センター。
発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
石川県鹿島郡鹿島町徳前。遺物が出土し
たのは、西暦1981年前後の事のよう
である。
遺物の成立年代は、写真図版に弥生期
~古墳期前期と記載され、本文第141
ページの記載から、4世紀頃のものとさ
れているような印象を私は受ける。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
29の最上段左側に在り、遺物番号で、
スケッチ図第62の第12番との旨、
ナンバリングされている。甕型土器と
見られているようである。

上図のように、山奉のように私には読
めるような漢字の模様が、煤に埋もれな
がら、有るようにも見える。
遺跡の南側に低山帯があり、弥生時代
末から古墳時代の初にかけ、渡来人の山
岳信仰が存在したのかもしれないと、私
見する。(2024/12/26)