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岩手県平泉町柳之御所平安末銀将成ケ金左は「し用」(長さん)

今回は、以前の本ブログ管理人の釈文の誤り
に関する報告である。誠に申し訳ないところ
である。
 西暦2022年前後に柳之御所遺跡で銀将
将棋駒が出土し、成が普通の「ケ金」で「ケ」
の左に「金」と、薄く書かれていると報告し
たが、この付記された文字に関して

「金」では無くて、「し用(『将』の意図)」
である

ようだ。遺物の写真の載っているweb上、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録のpdfファィル名
等は、繰り返すと以下である。
pdfファイル名は以下の通りである。
138852_1_平泉遺跡群発掘調査報告書柳之御所遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岩手県文化財調査報告書第168集柳之御所
遺跡、西暦2024年、岩手県教育委員会。
遺跡の場所は、岩手県西磐井郡平泉町平泉
柳御所。遺物が出土したのは西暦2022年
前後。
 遺物は遺溝第10で出土し、発掘報告書第
17ページによると平安末期の12世紀成立。
遺物の写真は、、発掘報告書写真図版第68
の下から2段目。
 今回は、その裏側に「金」と薄く付記され
ているとみられる部分が強調されるように、
強く画像処理した。以前に、成書の平泉町の
同柳之御所遺跡で出土した歩兵の写真の右に、
「右八ケ歩」の字が見えて、大発見となった
教訓が、私には思い出された為である。
 結論を先に書くと、案の定「誤読」だった
が、平安時代には、将棋駒の成りを「金将」
と読みたいという感覚が強く、「ケ」では
無く、ケに「し+用」を薄く付記し、

「ケ(=金)し用」→「金将」と表そう

としたという解釈が、成り立った。
 ちなみに問題の、薄い「ケ」の左側の書き
込みは、「赤外線写真」では、薄まる。

墨が少量だと、染み込みが無いから

である。よって画像処理は、鎌倉市の木札の
例を引いて前に述べたが、左側のコマの可視
光写真に対して以下のように、行った。

柳之御所銀将処理.gif

 上図のように、「田」のような字が浮かび、
良く見ると下線が無い。漢字で「円」か「用」
のようであるが、後者だと見られる。その字
を左に抱え込むように、ひらがなで「し」と
書かれているように、私には見える。

「し」へんの「用」という漢字が連想され、
「将」と読ませようとしている

ようである。成りの「金」に「し」や「・」
を付けて、将を略して、将棋の駒のウラであ
り、元駒の「金将」と区別しようとしたが、
無生物金属の「金」では無くて、軍の階級の
金将を表現しようとしたという発想だと私に
は解釈される。平安時代の将棋駒に、特有で
ある。
 「用」が出てきたのは、柳之御所遺跡で、
将棋が行われていた時代には、朝鮮半島から、
チャンギの「象」駒の情報も入っており、
「用」の字動きをする駒の日本の将棋駒が、
「銀将」にあたると認識して、それにひっ掛
けたようにも、私には見える。
 ともあれ画像処理をすると、金の「ハ」の
字が全く出無いのを見て、自身の誤読を悟り、
読者の皆さんにはには、

誠に申し訳なかったと心からお詫び致したい

と思っている。(2024/12/31)

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