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大阪府堺市大庭寺遺跡で5C初山泰墨書土器(長さん)

今回は、日本で須恵器の土器が焼かれた地点
として最早期であるとの旨、下記成書にて紹介
された、表題の大阪府堺市の大庭寺遺跡で、
古墳時代中期初めの5世紀前半のものとされる、
コップのような形の、取っ手付き椀型土器と
されるものに、漢字で「山奉」のように見える、
かなりはっきりとした模様が有るとの旨の紹介
である。
 成書の書誌は、以下の通り。
特別展図録「古代東国の渡来文化」、西暦
1995年、埼玉県立博物館。
 その第31ページ付近「2.はじめて須恵器
が焼かれた村」の次の、第32ページに、遺物
の写真が有る。
 遺跡の場所は、繰り返すと大阪府堺市大庭寺。
遺物が出土した年代は、本ブログ管理人には
判ってい無い。
 遺物の成立年代は、成書第61ページ付近の
記載から、繰り返すと5世紀前半の、古墳時代
の中期の初め頃と、見られているようである。
 遺物の写真は、第32ページ付近の最上段に
在り、須恵器の取手付椀と表記され、第163
番との旨、ナンバリングされている。私には、
コップのように見える。

大庭寺山泰.gif

 上図のように、左端縁にギリギリに黒く縦に、
漢字で山泰と書いてあるようにも見える、濃い
模様が有る。なお、第2字目の左にも、灰色に
見える、それよりやや薄い模様が有るが、これ
については私には、良くわから無い。
 渡来人が、道教系の山岳信仰の祭祀用に使い、
渡来人作の為、当時の自国文字の漢字で「山泰」
と書いたのかもしれないと、私は疑っている。
(2025/01/31)

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福島県楢葉町高橋遺跡で縄文晩期泰泰山山墨書土偶(長さん)

今回は文化庁編の発掘された日本列島/
2016年からの情報として、表題の
福島県双葉郡楢葉町に在る縄文晩期の
遺跡である高橋遺跡で、性別不明な土
偶に漢字で、奉奉山山と書いたような、
マジックインキの線のような模様が
有るとの旨の紹介である。
 成書の書誌は以下の通りである。
発掘された日本列島/2016、文化
庁、西暦2016年。
 遺物の紹介は、第55ページ付近に
在る。
 遺跡の場所は、福島県双葉郡楢葉町。
遺物が出土したのは、福島第一原発の
事故以降のようである。
 遺物の成立年代は、前記成書の同
ページに「縄文後期から晩期」とあり、
恐らく紀元前数世紀の土偶だと、私は
読む。
 遺物の写真は、同ページ下の土偶群
の写真のうち、最下段の左側端の一体
である。

高橋泰泰山山.gif

 上図のように、口の左側と首の左側
に滲んで「奉」。首のもとの部分の、
一番最初の奉の真下に少し大きく、中
央が滲んで、「山」。その直ぐ右下に、
それより少し小さく「山」と書いてあ
るようにも見える。山は比較的細い線
のマジックインキで悪戯書きしたよう
な、黒いヨゴレである。
 弥生時代の西暦紀元の頃に拾われて、
付近の山を奉じる祭祀用に再利用され
たのかもしれないと、私は疑う。
 鉱脈捜索をした先人を祭る為、男性
型の土偶に、作り変えられた物品なの
かもしれないと、性別が私には判らず
そう思う。(2025/01/30)


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福島県富岡町小浜代遺跡で奈良期猿型山泰瓦(長さん)

今回は、発掘された日本列島2019に、
多賀城所属の宿駅に関連した施設跡では
ないかとされている表題遺跡に、奈良期
8世紀初成立と見られる、建物の瓦とし
て使用する物品が猿の上半身の造形物と
なっている、須恵器と同じ材質の軒瓦用
物品があり、猿形の肩に、漢字で「山奉」
と書いたように見える、模様があるとの
旨の以下紹介である。
 宗教施設が付属しており、神仏習合の
山岳信仰が存在して、遺跡が丘陵地帯に
在る為、周囲の山を奉じたとみられる。
 さて発掘された日本列島/2019の
書誌は、次の通り。
 「発掘された日本列島」/2019、
文化庁、西暦2019年。
 その第46ページ付近に、紹介する遺
物の写真が有る。
 遺跡の場所は福島県双葉郡富岡町小浜。
遺物が出土したのは、西暦2015年前
後かないし、それよりかなり以前のよう
である。
 遺物の成立年代は、現地で第3期とし
た、多賀城関連の瓦の一つとみられ、
材質が須恵器土器と同じでかつ、写実的
に猿を表現した、造形物である。

浜通り猿瓦山泰.gif

 上図のように、猿の肩に、やや暗いの
で、画像処理をしても見難いが、縦に、
図では暗く「山」、その下に反転して
白くなってしまったが、書籍の写真では、
黒く「奉」に見えるような漢字模様が
在る。
 遺跡は海岸線近くであるが、丘陵地で
山があり、かつ宗教施設が在ったような
形跡が有るとされ、厩猿信仰及び山岳
崇拝等の神事が、神仏習合の宗教施設で
行われたのかもしれないと、私は疑う。
(2025/01/29)

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(お知らせ)本ブログはSSブログの終了まで存在予定(長さん)

このブログは、SSブログの終了まで、「引っ越し」予定
は無しです。そして、終了後、次のサイトへ移動予定です。

https://df233285.livedoor.blog/

(追記)
本ブログの将棋史記事が日毎連投で3000件を超えました。
御通読、誠に感謝いたします。(長さん)
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角升目直ちに退避ルール挟み将棋のチェック(長さん)

以下は、普通の将棋盤を使う、挟み将棋型
ゲームの、出来の良し悪しに関する議論で
ある。
 68/361が18.8%程度、
14/81が17.3%程度で五十歩百歩
な為、4人制囲碁盤挟み将棋(隅交点に
特別な規則付き)と、7個手前に対面して
将棋駒を並べる角目に特別な規則付きの
挟み将棋で、出来が悪い事に変わりは無い
との結果になったとの旨の以下紹介である。
 さて言うまでも無く、通常現代に伝わる
挟み将棋は18枚制9×9将棋盤ゲームで
あり、以前に述べたように、四隅に将棋の
穴熊囲いのような陣を作ると、ゲームが
硬直化して、出来が芳しくない。
 そこで、日本将棋で香車を置く雪隠の
升目には、双方、突入したら次の自分の
着手で、必ず退避し無ければならないとい
う、角升目に関する特別なルールを導入し
てみる。
 つまりその為、

本来は18枚制だが4枚駒が減り、14枚
を初期配列してゲームをする事になる。

以下に、上記の説明に従った駒の初期配列
について図で示す。以下の例では、現代に
伝わるように、歩兵駒を使い、敵味方は、
一方を歩兵、他方を裏返し置いて「と」金
にして、向きは普通の将棋のようにし区別
するようにして、挟み将棋をする。

挟み初期.gif

 ここから、出発してゲームを進めると、
確かに四隅に双方、将棋の穴熊囲い型の駒
の塊を作る事は難しい。が、元々18枚が
14枚になり、升目数の81升目に対して、
割合が17.3%強と、スカスカな為、

相手の攻撃が来ても、詰める事はこの駒
密度では困難

である。つまり、穴熊囲いは防止出来るが、

その改善効果が焼け石に水

である。
 下記に、有効な攻めが無くなり、指掛け
とせざるを得なくなった、局面例を示す。

挟み指掛.gif

「穴熊囲い戦法」をプレーヤが2人共に知
らず、将棋駒9個持ちで挟み将棋を始めた
として、ゲームとして尤もらしくサマにな
るのは、有る程度練習すると残8~9個の
間だけだと、明らかに気が付くはずだ。
 よって、17枚制の四隅の角の交点に、
同様の規則を施した、68枚19×19路
の、囲碁盤を使った4人制の特別なルール
付きの挟み将棋型碁盤ゲーム同様、少なく
とも

通常の、挟み将棋の持つゲームとしての難
点を、特殊なルールの導入で回避出来無い

と、少なくとも本ブログの管理人には考え
られるようになった。
 今に伝わる、挟み将棋型ゲームで、恐ら
く通常の碁盤・碁石か、ないし、将棋盤と
向きの有る2人制しか無理の将棋駒で、
ゲームの出来の良い、挟み将棋類のボード
ゲームは、実際には無いと、近世の絵画等
を見たときには、心して置く必要が有るの
ではないかと考える。以上の事から私は、
更に強く、歴史的にも現代的にも、意味の
あるゲームの普及度を、更に疑うように
なって来た。(2025/01/28)

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4人挟み19路型取合い爆発せず(長さん)

以前に、先手から見て左に相手プレーヤが
居て、2人でプレーする囲碁盤を使った、
一人あたり18個碁石持ちの、挟み将棋状
のゲームを紹介した。プレーヤが、将棋の
穴熊囲いのような陣を作って、局面が膠着
し無いように、プレーヤ間と、その対角線
向こうの雪隠位置の角交点に、碁石を移動
したら、次の自分の着手で、その雪隠の石
をただちに移動させる手を着手し無ければ
ならないという、

特別なルールを作って、膠着化を回避した

という仮説をたててみたと、本ブログで
示した。それでも、自陣で相手から離れた
位置の雪隠の角点を中心に、双方、穴熊囲
い状の配置は可能だから、そのような挟み
将棋状の碁石ゲームは、依然硬直化し成立
し無いとの結論であった。勝負するという、
本来のボードゲームをしない、特殊な目的、
つまりは暇つぶしをする目的のときだけ、
そのようなボードゲーム状遊びが、行われ
たのでは無いかという事であった。
 その際、4人制の同系統ゲームは、雪隠
交点に関する特別ルールの適用が、4人だ
と適用し難くなるので、今述べた同系統の
ゲームは不能であるとの説明を本ブログで、
そのときにした。が実際にテストした結果、

誤りである

事が判ったので、訂正し、先ずはお詫びす
ると共に、状況を以下に説明する。

雪隠点4交点共に、

どのプレーヤが侵入しても、自分の次の着
手で、脱出する着手をし無ければならない
とし、初期配列の碁石数を、各プレーヤで、
自身の一番手前に17個並べる初期配列で

両端を空ければ、ゲーム自体は一応出来

そうであった。

挟み19升4人初期差替え.gif

 上図は、小さな○軍、Y軍、大きな○軍、
X軍と、順に反時計回りで着手し、挟み将
棋型ゲームを、4人で行うような例であり、
○軍同士、X軍とY軍は、同盟を組んでい
て、味方のどちらの駒で、他の相手の石を
挟み将棋の要領で挟んでも、攻められ側の
碁石が取れるというルールで、プレーする
ものである。
 実際にやってみると、

序盤に爆発的な駒の取り合いは起こらない。

これは、361個も交点が有るので、68
個の碁石では、定常的に「行き場所余り」
な為である。
 終始、だらだらとゲームは進行し、下の
ような局面で、一例では指掛けで、プレー
ヤは4人共に、勝負をつけるのは、諦めて
しまうとみられる。

挟み4人指掛.gif

 つまり、

初期の段階で硬直化

してしまい、ゲームとして、成立し無いが、
浮世絵師が、

稀には見た事が有るので、描く程度

の事は、そのケースもあったかもしれない。
 つまり4人碁とされるものは、実際には、
碁石/碁盤を使ってする、4人挟み将棋型
ゲームだった可能性も、有るようだ。
 4人制のケース、穴熊陣による「ダラケ」
は、確かに冒頭に述べたように、4交点の
特別な着手点ルールを作ると起こら無いが、

盤交点が計361点も有るので68個の石
では、広すぎて逃げ場が多すぎ

改善効果としては、焼け石に水の形となる
ようだ。
 以上の事から、挟み将棋型ゲームで、
ボードが囲碁盤か将棋盤/将棋駒に限られ
るケースは、出来の良いゲームが、歴史的
には全く現れ無かったのでは無いかと、私
には、疑われるようになってきた。
(2025/01/27)

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「絵本大人遊型挟み碁」に4人制無し(長さん)

前に、近世の文献「絵本大人遊」に、「はさみ」
という名称の囲碁の碁石/盤を使用するボード
ゲームがあるらしいとの旨、本ブログで紹介した。
その際、4人制もあるのでは無いかとしたが、
ほぼ「絵本大人遊」型り挟み碁には、4人制が
有る可能性はないように考えられるようになった。
 4人制にしてしまうと、序盤に石の取り合いが
爆発し、後半、各々のプレーヤ毎の石数が少なく
なって、着手の選択肢が少なくなってしまうので、
面白みが無いと、思えるようになったからである。
 前後と左右で同盟を組んでどちらで挟んでも、
敵側の石が取れるようにすると、

両側から挟めるので、挟む着手の可能性が増加し
過ぎて、序盤に急激に石数が減少してしまう

であろう。よって4人で碁盤を使う挟み将棋、言
うならば「挟み碁」ゲームは、知られるほどに、
ポピュラーにプレーされたとは、考え難いように
思えた。
 さて、では何故「絵本大人遊」型挟み碁が2人
制で、将棋盤を使わなかったかだが。
 まずは古文書の挿し絵のように、プレーヤは
90°対面して左側はやや左に、右側はやや右に
座して、実際に挟み将棋ルールで碁を打つという
か、碁石を指したのであろう。こうしたのは、

挟み将棋のゲームとしての難点に、有る程度気が
付いた者によるデザインの「新作ゲーム」だった

からだと考えられる。
 プレーヤ同士の間と、その対角線の向こうの、
雪隠の角点には「碁石を置いても、次の着手で、
直ぐに移動し無ければならない」というルールに、
恐らく、改善されていたと考えられる。
 挟み将棋は、

日本将棋の穴熊囲いのように駒を置くと、勝負が
永久につかないから

である。初期配列では、隣同士に間の角の交点を
除いて、18個の石を、互いに色を変えて、各
プレーヤの手前に一列に並べて、ゲームをスター
トするのだろう。こうすると、挟み将棋では戦術
としてお馴染みの、斜めに駒を規則正しく並べる
配列が、2人のプレーヤの座る位置から最も遠い
対角線向こうの隅の交点にも石が置け無いので、
きれいに作れるし、互いの駒の向きが180°
違いでは無くて、90°違いなのも、将棋の駒と
違って碁石には向きが無いから気にならなくなる。
 とは言っても、左側のプレーヤは自陣の左の隅
の角に、右のプレーヤは自陣の右の角に、将棋の
穴熊陣を作ってしまい、盤中央で動かす石の数を、
ご愛想程度に減らしてしまうと、このゲームは、
永遠に終わら無いのだが。
 元々、イチャイチャしたい、男女カップル等が
暇な一日、ほとんど無意味なボードゲームをする
という嗜好のゲームだったと考えれば、これでも
一応、良い事になる。4隅のうちの2角に碁石を
置いても、直ぐに出なければならない交点のある
ゲームは、その点でも4人では無理だから、この
ゲームは、2人制が定番だったろう。「だから、
大人遊びのゲームだ」というのが、この古文書の
表題の意図だったのではないかと私は疑っている。
(2025/01/26)

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山梨県北杜市金生遺跡で縄文晩後山泰墨書土偶(長さん)

今回は、紀元前数世紀頃成立とみられる
山梨県の金生遺跡で発掘された土偶に、
漢字で「山奉」と書かれたような、影の付
いた写真が在るとの旨の紹介である。
 今回は、発掘報告書とは関係ない、国立
博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館
編等「日本の美術2007.12/499」
に載った情報であり、遺物についての詳細
は、良く判らない。
 繰り返すと、コンテンツは冊子の書籍で
あり「日本の美術2007.12/499」、
独立行政法人国立文化財機構/(東京国立
博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館・
九州国立博物館)、至文堂、西暦2007
年12月である。
 遺跡の場所は、山梨県内の山梨県北杜市
大泉町谷戸寺金生であろうが、前記成書か
らは今のところよく判らない。何時遺物が
出土したのかも、今のところ不明である。
遺物の成立年代は、縄文時代晩期後半とさ
れているので、西暦紀元前数世紀であろう。
 遺物の写真は、巻頭カラー写真図版の、
第24図に記載されている。人体型の土偶
のような発掘による出土遺物である。

金生土偶山泰.gif

 上図のように、体の左側の首の、顔の口
の影の下に漢字で「山奉」のように見える
不思議な影模様が在り、左肩にもやや薄く
同じく、漢字で「山奉」と書いてあるよう
にも見える。
 紀元前2~3世紀頃に、渡来人が来て、
偶然この土偶を拾い、自身の道教系の信仰
心に従い、山梨県の八ヶ岳等の付近の山を
奉じた祭祀用に、土偶を転用された疑いも、
完全否定は出来無いのではないかと、個人
的に思う。(2025/01/25)

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江戸期の文献に囲碁で挟み将棋をする絵画(長さん)

江戸時代の絵本で「絵本大人遊」という古文書
の挿絵に、いっけん囲碁のようであるが、上部
に平仮名で「はさみ」という説明が付記され、
柏書房が2006年に発行した「江戸の女たち」
に、碁盤で遊ぶ「挟み将棋」の絵であるという
旨の説明があるので、以下に紹介する。以前に
「四人碁」として紹介したゲームも囲碁では無
くて、挟み将棋を、4人で打っていたのかもし
れない。
 古文書を紹介している成書の書誌は、繰り返
すと以下の通り。
「絵で見る 江戸の女たち」、原田伴彦・
遠藤武・百瀬明治、西暦2006年、柏書房㈱。
 その第98ページ上段に第7章”遊び歳時記”
「はさみ」とあり、挿絵が左に在り、その中の
右上に、2人の女性が90°隣り合いで、碁盤
で何かボードゲームをしている。

はさみ碁.gif

 なお、上図の下の男性は、ヨガポーズをして、
別の遊びをしている。この絵には実際には、4
種の遊びの姿が、描かれているようである。

はさみ碁全体.gif

 升目は中半端な表現で、仔細はっきりし無い
が、説明文として、「現在でも地方によっては、
碁盤で挟み将棋をしている」との旨と私には読
み取れる、真偽を確認してい無いが説明がある。
 以前に4人で碁盤に対面してゲームをする、
近世の挿絵を紹介した事があったが。或いは、
その絵も4人囲碁では無くて、2人同士で組む、
挟み将棋だったのかもしれない。前記成書の
説明では、将棋と全く同じルールであるように
されてはいるが。19路かつ、交点置きの囲碁
で、初期配列を含めて、ゲームのルールが将棋
盤の「挟み将棋」と全く同じかどうかは、単純
には言い辛いのではないかと、私は疑っている。
(2025/01/24)

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別版で諸将棋図式「大大将棋17目」は「間」にも(長さん)

今回は、江戸時代の駒数多数将棋の情報本、
「諸将棋図式」の目次の、大大将棋、升目数/
駒数表現の、版による揺れの紹介である。
 松岡信行氏が「解明:将棋伝来の『謎』」
で、比較的時期が相次いでで、西暦1694
年板と、西暦1696年板との2版、別々に
有るとの旨を紹介している事に、以下はよる。
 目次で、大大将棋の升目数/駒数表現が、
「17目駒数192枚となっておりX間
(けん)駒数Y枚形式になって居無い」との
意味の指摘が大分前に、大阪電気通信大学
高見友幸氏から出ている。本ブログの管理人
は松岡氏の前記書籍を正確に読むべきだった。
 つまり、そもそも諸将棋図式に、強い興味
を持た無かった本ブログ管理人は、板が元禄
時代に1694年と1696年と、別々に
2版存在したのに、注意を払ってい無かった。
 だから、高見氏の指摘に

不完全さが有る

のに、ようやくここへ来て気がついた。どう
やら、元禄7年の西暦1694年板と元禄9
年の西暦1696年板とで、

片方だけ、大大将棋17目駒数192枚との
旨が記載され、

松岡氏の冒頭書籍から、他方には「大大将棋
17間(けん)192枚」と、他の将棋種と、

同形式で書いてある

というのが実態らしい。だからどうなるかは、
高見氏の論文を参照して頂くことにして。少
なくとも、

諸将棋図式には、書写版により内容に揺れが
有るという性質の古書

であり、議論する時、注意が必要なようだ。
 言い訳をすると、公文書館で御金を払って
コピーし無ければ入手出来無いコンテンツと、
本ブログ管理人は、現時点で認識しているの
で。諸将棋図式のこの議論には、係わり辛い
というのが本音であった。「大大将棋は太古
の囲碁升目数将棋」という論に合流すると見
られる高見氏の論の含意には、元々私も賛成
だが。自分のブログで諸将棋図式の大大将棋
目次表現形式にはこれまで余り触れなかった。
 以上のような事情が有る為。
 版による差について、松岡信行氏が「解明:
将棋伝来の『謎』」で判り易く論じて、かつ、
大大将棋の「目」が「間」になっている方の
版を自身の、アミューズメント研究叢書に
掲載されている点について、先ずは深く感謝
する事に致したいと考える。(2025/01/23)

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