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大阪府大阪市細工谷遺跡で奈良期奔金墨書土器(長さん)

今回は、既に「百済尼」と濃く黒く墨書
が在る事で著名な表題の遺跡の遺物に、
ベンガラ色で淡く、より大きく「奉金」
と書かれているようにも見えるという、
鋳銭に係わる、難波京内奈良時代遺跡の
遺物の紹介である。
 今回の遺物は、次の成書内に「尼寺」
系統墨書土器の一つとして載っている。
発掘された日本列島/(19)98、
文化庁、西暦1998年。
 繰り返すと、遺跡の場所は大阪府大坂
市天王寺区細工谷1丁目。遺物が出土し
たのは、西暦1996年前後。和同開珎
の鋳造物が、全国で初めて共出土し、
奈良時代の、8世紀のものと考えられ、
墨書については渡来人の、百済王氏に
属する女性の所有物との意味では無いか
と見られているように成書から読取れる。
 その前記成書、第47ページ付近の、
左上「尼寺」関連の墨書土器・皿と前記
成書で解釈されている遺物の、第2段目
左に、今回ここで紹介する遺物の写真が
在る。

細工谷奔金.gif

 上図のように、右側に縦に成書にある
ように「百済尼」と読める墨書が有るが、
それより大きくベンガラ色で、やや左の
中央やや下に、「奉」その右下で百済尼
の字のやや左下に「金」のように見える
漢字のような模様が、私には有るように
見える。
 出土はし無いが、飛鳥~奈良の朝廷の
依頼を受け、当時金貨の鋳造も、少なく
とも百済王氏の一族の間で、細工谷遺跡
で試みられていたという事なのではない
だろうかと、私はこの遺物を見て疑った。
(2025/01/22)

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麒麟駒動きを袖で変えるルールの理由付け(長さん)

本ブログ版2017年型13×13升108
枚制普通唱導集大将棋の麒麟ルールの改善版
では、麒麟の駒の動かし方のルールは中将棋
のそれと類似であるが袖動きに特別ルールを
導入する試行をし、その結果次のように現在
なっている。
 「前後左右に1升目跳ぶ。斜めに歩み。但
し袖の2筋列目から1列目へ入るとき、斜歩
みに加えて、左袖で左に歩んで袖列へ、右袖
で右に歩んで袖列へ行ける。また袖の3筋列
目から、袖列に1升目跳んで横動きで入ると
きと、袖の2筋列目から、前記の特例動きで、
横に歩んで入る、横動きのときに限り、次の
相手の着手で、動いた麒麟を相手が取る事が、
出来無いものとする。以上のルールは、その
着手で麒麟が成って、獅子に変わった場合に
も適用される。」
 この特別なルールは、麒麟が成った獅子を
含めて、麒麟以外には全く適用され無いので、

いっけんいると異形性が高い

と言える。
 ルールは人為的なものなので、理由付けが
必要な性格では本来無いのだが。覚え易さを
含めて、麒麟にしか全く適用され無いルール
が、何故これで良いような気になれるのか。
理屈をここでは考えてみた。
 13×13升目の将棋盤が、万華鏡のよう
に、左右に鏡で将棋駒戦士には駒が写って
見え、跳びの動きのとき、鏡の高さは低いの
で、跳び駒だけ、一瞬姿が消え、端列に着地
すると見えると、先ずは仮定する。そしてそ
の際に、鏡像と合わせて動いた相手の駒は2
つに見え、

一手幻惑されて、直後の攻撃が不能になる

と考えれば良いようである。
 更に万華鏡であるにも係わらず、麒麟は、
実際には移動する端筋が、鏡の中に写って
いて現実の端筋の隣に有るかのように見える
鏡の中の端筋へ一瞬だが、量子論で許せる
時間だけ移動出来るとする。
 その為に、端2筋目から端筋への歩み動き
が、鏡の中の端筋に、横一升目跳んで2升目
へ移動しているので出来ると考える。他の種
類の駒は、この将棋では、例えば飛龍も猛牛
も、普通に端筋へ歩めるよう踊りのルールを
元々変えてあるので、この「量子論的滲み出
し運動」を導入し無ければなら無い将棋駒は、
この将棋には無い。
 次に、端列2筋列目および端列3筋列目か
ら端筋へ、跳んで入ったときには、端筋と、
万華鏡の中の端筋に写った像の2箇所に、
次の相手の着手の時だけ、量子的に2箇所に
麒麟が、どちらも確率1/2で存在するよう
になると仮定する。量子的に複数の箇所に、
確率的に麒麟が存在して位置が不確定性原理
の世界になるので、次の着手で、相手は1手
だけ猶予してから、移動した麒麟駒を狙わな
ければ、取れ無いと考える。
 他の駒では、走りで横動きの駒でも、走っ
ている途中での駒が、将棋盤上の駒戦士から、
見え続けながらの移動なので、端列移動直後
の駒は麒麟以外なら狙えると考えれば、ツジ
ツマは一応合う。
 横跳びの駒が本ブログ版2017年型13×
13升108枚制普通唱導集大将棋では麒麟
しか無いから、端筋での将棋駒の、次の相手
の着手のときの、量子論的1/2確率存在
状態という概念を導入したとして、その論が
適用されるのは。よって麒麟以外には無いと
考えれば、この奇妙なルールを、覚え易くす
る事は、不可能では無いような気が、私には
最近して来た。よって「麒麟に関するルール」
で無くて、横へは1升目置いて2升目に、跳
ぶ事しか出来ない駒に関するルールに、この
ケースは、一般化して良いのかもしれないと
思う。「万華鏡将棋盤仮説」は「元々将棋盤
や囲碁盤が、星図起源である」と理屈をコネ
レば、横袖筋に、このような性質が有っても
良いような気がして来た。(2025/01/21)

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発掘された日本列島’95柳之御所カラー歩兵(長さん)

既に述べたように、表題の、文化庁/凸版印刷㈱
作成の、発掘された日本列島/(19)95の、
第102ページの右下の、モノクロ写真を、以前
に強く画像処理し、

右の字が消え、

「八か少」になるとの旨を述べた。現物そのもの
では無く、単に紙に写真を印刷しただけのケース
は、コンテンツにより、細かい刻書模様は、実在
し無いのに、写真に有る場合があるとの事だった。
 実は、文化庁/凸版印刷㈱作成の、発掘された
日本列島/(19)95には、別のページに同じ
歩兵将棋駒のカラー写真も在る。第56ページ
右下である。今回は、その写真のオモテ面も、
強く画像処理した。

柳之御所歩兵発掘日本列島.gif

 上図のように「右」の字は全く無いようであり、
理由は、依然としてはっきりし無いが、デジタル
化したときに出来る、恐らく偶然模様であるよう
だ。更に、別の3文字については、

「八点(改行)少」のようでもあって、真ん中の
「ケ」であるはずの文字も、実際には何なのか、
不明確である。

 以前述べた、「右八ケ歩」の字は、かなり鮮明
なカラー写真のチェックにより、8×8升目32
枚制平安小将棋が、平安時代末に柳之御所遺跡で
指されていたという証拠と言えるほど、現物には
鮮明に、存在してい無いであろうと結論出来る。
以上のような、誠に

残念な結果

に終わった。(2025/01/20)

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発掘された日本列島’95の柳之御所歩兵(長さん)

以前、㈱山田出版社/明和印刷㈱作成の、都市
平泉の遺産、西暦2003年に、柳之御所遺跡
出土の歩兵駒が、82ページ付近に載っており、
画像のオモテ面の歩兵の字の右に、「右八ケ歩」
のように見える、刻書のような模様が有るとの
旨、本ブログで紹介した。8×8升目32枚制
の平安小将棋の存在を示唆する、重大な内容で
あるので今回は、別の書籍の同じ駒の画像で、
模様の存在を確かめた。
 表題の、文化庁/凸版印刷㈱作成の、発掘さ
れた日本列島/(19)95の、今回は、第
102ページの右下の、モノクロ写真を、強く
画像処理してみた。

柳之御所歩兵発掘白黒.gif

 上図のように、「八か(「一の下にの」の
「か」の変体かな)少」のように見える模様が、
この画像については、有るようでもあり、歩兵
が8個の将棋が、柳之御所では平安時代末に、
行われていたという事を示すように、解釈可能
な文字の存在は、完全否定出来無い。が、

「右」の字が、縦横線の画像処理により浮き出
た偶然模様だった

ようである。よって、

説の根拠として、不自然感が現れて来た。

書籍によって画像で、元の書籍に有った文字の
うち、痕跡も残さないような、いっけんは字に
見える模様が、別の書籍の画像処理で、現れる
ことがあるようである。
 残念ながら、柳之御所遺跡で、平安小将棋を
指したとして、8升目将棋だったという説につ
いてかなり曖昧だと言わざるを得ないように私
には、思えてきた。(2025/01/19)

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岩手県立博物館/盛岡市で柳之御所歩兵写真を展示(長さん)

この記事を書いた約一週間前に公開された、TBSテレビ
のページからの情報として盛岡市に在る、岩手県立博物館
で、囲碁と将棋の東北地方への伝来に関する展示会があり、
本ブログで以前に、オモテ面の右側余白に「右八ケ(改行)
歩」の筋状模様がある疑いを指摘した、柳之御所遺跡の
歩兵駒の、裏オモテ写真が掲載されているとの旨のweb
情報があるようだ。ページのURLは以下のサイトである。
エイチティティピーエス://newsdig.tbs.co.jp/articles/
gallery/1659613?image=15
「TBSで西暦2025年1月10日に放送」との旨、
記載が有るようだ。
 ガラス越しの写真の画像で、以下のようになっている。

柳之御所放送分.gif

 ガラスに、手前の「囲碁の説明」パネルが重なって写り、
更に、写真に当たった光も乱反射していて、上図の

webに公開された像は、条件がかなり悪い。

 良く見ると、上図で矢印で示した縦の複数線の上部が、

歩の小の部のよう

である。つまり、このweb情報から、「右八ケ(改行)
歩」の4つの模様のうち、「歩」は、実際に有る可能性
が高まったとは結論出来る。
 画像から、現物の展示では無くて写真である上に、展示
室のガラス越しである為、

盛岡の岩手県立博物館の展示品から、字の確認は多分無理

だと察せられると私は疑う。前記の極細く小さい4文字を
確認する目的だけで、展示会へは行か無い方が良いという
事の判る、参考となる、テレビ局放送だったようだと私は、
このニュースを評価している。(2025/01/18)

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埼玉県入間市新久窯跡で9C泰山墨書土器(長さん)

今回は、武蔵国分寺との繋がりのある土器窯で、
平安時代初成立の奉山墨書土器が出土し、複数
存在するようであるが、冊子にかなり鮮明な墨
跡が、須恵器ような土器に有る画像が、載って
いるとの旨の紹介である。武蔵国分寺での祭祀
内容を、示しているようである。
 場所は表題のように、埼玉県入間市の、西武
池袋線の仏子駅の南、現在の入間市新久付近の
ようであり昔の地名は「東金子」と言うらしい。
 今回の遺物は、書籍状に綴じられた冊子の
発掘報告書に載っており、今のところweb上
に発見され無い。
 冊子の書誌は、以下の通りである。
復刻武蔵新久窯跡、立正大学/坂詰秀一、西暦
1984年、雄山閣出版㈱。
 発掘報告書形式の本コンテンツ冒頭例言によ
り、遺跡の場所は繰り返すと埼玉県入間市新久。
遺物が出土したのは、西暦1963年または、
西暦1969年、ないしその近辺のようである。
 遺物の成立年代は、平安時代初の9世紀前半
のものと、古文書との対応から推定されており、
武蔵国分寺の、建造時代よりは下るが、それに
関連する、瓦等の窯もとであり、遺物として大、
本、山等の、神仏習合を連想させる複数の墨書
瓦が出土する事で、知られているようである。
 なお墨書の文字については、地名との関連が、
注意深く調査、されているようである。
 遺物の写真は、発掘報告書形式のコンテンツ
の写真図版第97:”E地点第1号住居跡出土
遺物(Ⅱ)”の、2段目左に在り、そのページ
の遺物第3番との旨、ナンバリングされていて、
須恵器の土器であると見られているようである。

東金子泰山.gif

 上図のように、中央下部に明確に漢字で「山」
の、濃い模様があり、その左上に、「山本」な
いし、一字で「奉」のようにも見える、より、
濃い模様が在ると見る。「奉山」土器の一つだ
が、近郊の丘陵に広がる山を奉じているか、
ないしは武蔵国分寺等の、山岳信仰を習合した
寺等で使う為の、窯もとで焼いた土器のようで
もあると私見する。
 古代の国分寺での祭祀が、どのようなもので
あるのかを示す、貴重な遺物の一例なのだろう。
(2025/01/17)

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都立図書館加賀藩前田家写本将棋纂図部類抄web公開(長さん)

かなり以前の事だが、本ブログ管理人が、都立図書館
に出向いてコピーした、都立図書館蔵の加賀藩前田家
写本将棋纂図部類抄は、4年前にweb上に公開されて
いる事が最近判明した。将棋纂図部類抄図柱書き表現で
「摩訶大大将棋図/駒成の図」も、実は熊澤良尊氏の
ブログだけでなく、そこでも公開されていた。urlは、
以下の通りである。
エイチティティピーエス://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/
da/detail?tilcod=0000000015-00212434
 FaceBookで「webにも無償で都立図書館
が公開した」件は広報されており、webへの公開開始
日付は西暦2021年2月24日であったようだ。
つまりこの記事を書いている約4年も前に、公開されて
いたの事であった。熊澤氏ブログの、縮小され細部が
ぼやけて曖昧な情報だけ表示し、誠に申し訳無かったと、
皆さんに対し、私よりお詫び申し上げる。
 そのとき紹介した通り、水無瀬宮版の巻物の将棋纂
図部類抄と異なり、都立図書館蔵の加賀藩前田家写本
将棋纂図部類抄の、「摩訶大大将棋の各駒成の図」に、
水無瀬宮版巻物では6六升目の角に有った聖目は、
下記のように、特に検知され無い。

摩訶大大将棋成り前田.gif

 前田藩では、摩訶大大将棋の駒の成りは、単純に相手
駒を取ったときと考えていたとしか、本ブログ管理人
には理解出来無い、図の形である。蛇足だが、それに
基づき、熊澤良尊氏は、摩訶大大将棋の将棋盤を作成す
る際、最新盤では、聖目を抜いて作成されているようで
ある。(2025/01/16)

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大将棋陣袖弱より後手早期△1九麒麟(3九)狙有るか(長さん)

今回も以前に引き続いて、麒麟のルールを2筋から1筋
に横に1目でも端筋に移動する場合だけは出来、端筋横
動き移動の、第3筋または第2筋からの際の、相手攻撃
によるその麒麟の討ち取りが直ちには出来無いという、
特殊な変更を施した、取り捨て大将棋のゲームのゲーム
の出来への影響の考察である。
 この事を説明すると、後手にとって、相手の先手陣の
第十段へは、麒麟を1九の位置へ到達させ、次いで2十
位置へ移動させることにより、2十の位置から入る着手
の発生確率が増え、かつ1九の位置で、先手の反車や
香車で捕獲されるような着手が1手猶予されると、尚更
2十の位置への突入が狙えるので、将棋がこの手直し変
更で、がらりと、変わらないのかという疑問が、湧いて
くるという事である。
 だがたまたまだったが、本ブログ版西暦2017年型
13×13升目108枚制普通唱導集大将棋の場合は、

このゲームに限りその問題は、ほぼ無い。

2十位置の守りが固いからである。概ね他の日本将棋類
では、袖から第2筋目の歩兵位置が、ほぼ他の場合は全
て手薄なので。1九の位置を、麒麟で狙う手は有効なの
だが。普通唱導集の大将棋に唄われている問題を、解決
する為に、そもそも元の第2筋3段目の横行の配列を、
飛龍に変えた上で、その下の

2段目に猛牛を置く交換をしたので、この将棋種では、
たまたまだったが、第2筋の歩兵の居る2十位置は守り
が固い

のである。
 つまり、今述べた戦法で、麒麟に特別なルールが付与
された事を使って、端の相手陣直前位置狙いという手筋
で攻めるのも、本ブログ版の西暦2017年型大将棋に
関してだけだったのだが、有効とは考え難いという事が
有るのである。
 南北朝時代に想定された否定的状況に、意外な抜け道
が有ったという事である。なお他に更に何か問題が無い
かどうか。依然として捜索してはいる。がデザインした
本人には、まだ発見されて居無い状態だ。(2025/01/15)

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何故麒麟端筋横一歩動+端着1手隙ルールで問題解決(長さん)

既に述べたように、麒麟が繰り出されて相手陣で
獅子に成り、獅子の喰い荒らしで勝負が付くという
大将棋/中将棋型ゲームは、奔王を序盤に斜め走り
攻撃で消耗させる、普通唱導集で、唄うときに前提
とされ、神奈川県鎌倉市御成町の鎌倉駅前駐輪場付
近で出土の木札に書かれた「搦る口王馬馬・・仲人」
で示されている戦法が前提で無く、奔王が生残って
しまうと麒麟の繰り出し時に、奔王駒が有力な邪魔
駒として働くので、そのようなゲームは出来が悪い
と考えられ、本ブログ版2017年型普通唱導集
大将棋は発生しても、生き残れなかったとみられる
との事だった。
 本ブログの管理人は、踏まえて端筋での麒麟の、
横動きに限定した3と2筋から端筋へ動いたときの
一手隙の特殊ルール、及び横へ第2筋から端筋へ、
麒麟は動けるという特殊なルールを導入し、問題の
解決を試みた。それで経験的に問題が、解決したよ
うに見えた為、今回は、その程度の事で何んで旨く
行くのかという、メカニズムについて考察してみた
ので、以下に紹介する。
 概ね反車と竪行の場合か多いが、麒麟で只取りが
掛かるので、

これらの駒のうちの一つが逃げている隙に、奔王を
麒麟がかわし、安全圏に達して、千日手に持ち込め

る為と判明した。
更にはそれだけで手いっぱいであって、麒麟の他に
は逃げる側は駒が動かないので、袖での麒麟駒の動
きを前記のように変えても、相手奔王の追いかけ
から逃げるだけで、麒麟が早繰り出し駒にはなら
無いから、問題が解決してしまうと結論出来た。
 いろいろな駒で、本ブログの管理人がテストした
ところ、相手陣を目指して進撃してきた麒麟を討ち
取れるのは、3筋と端筋に、縦に走りかつ、初期配
置を考慮すると互いには繋がらない、駒、典型的に
は3筋に竪行、1筋に反車を置いた状態で、麒麟は
第2筋から相手陣へ向かい、4筋に置いた斜めに跳
んで2升目根本から狙う奔王で、麒麟が自陣に戻れ
ないように、麒麟を進めるプレーヤの側から、相手
麒麟に、取りを掛け続けて相手麒麟を追い詰める、
以上

1通りのパターンときにしか、麒麟の捕獲は現実
には無理

である事が、ほぼ判明した。
 他の組み合わせで、ほとんど麒麟は、中段では
妨害を振り切って前進し続けると、考えてよさそう
だった。
 そのとき、麒麟の今までの、駒の動かし方ルール
だと、奔王で麒麟は捕まるのだが。本ブログが示し
た、端筋へは横に、麒麟が1目動いて入り、筋変え
が出来、かつ、端筋に入った直後の、このケースは
反車による麒麟取りが禁手になると、奔王はただち
には麒麟が捕獲できずに、取りを掛けては、麒麟が
逃げるの動作が繰り返される。そして遂には反車か
竪行、又はその両方の只取りが、麒麟で掛かる事が
判った。
 その為、そのときだけは次の着手で取りの掛かっ
た竪行ないし反車駒を逃がす着手が必要で、奔王で
麒麟を追う手が指せず、1手の隙で、麒麟が2筋目
から

4筋目へ、逃げ出す事が可能になる。

 そうなると、それまでとは違い、奔王で麒麟を
取る手が、千日手の繰り返しになってしまう。
 それを避ければ、またその隙に、麒麟は、相手奔
王の攻撃から基本的に逃れて、自陣に逃げ込めるの
で、本ブログのルール変更が、旨く機能していると
いう訳だった。
 だから、

本ブログ2017年版13×13升目108枚制
普通唱導集大将棋では、日本将棋の千日手のルール
が、そのままでは採用出来ず、中将棋風に強める
必要もある

事も同時に分かった。変更し無いと、引き分けが多
くなりすぎとなる。
 一例だが2枚程度迄が対象の、連続駒取りを仕掛
ける千日手では、日本将棋で連続王手を掛け続ける
千日手と同様、攻撃側が手を変えなければならない
とする必要が有りそうである。なお、この変更案に
ついては、大分前に、一般的に取り捨てゲームでは
発生し易いとの理由で、本ブログでは提案した事が
有ったと記憶する。
 繰り返すが、奔王、一例竪行、反車の3枚で麒麟
を追いかけているとき、麒麟駒が逃げ回るという着
手しか、基本的にして居無いので。

このルール変更で、麒麟が早繰り出し駒に変貌して、
何か別の味方駒と連携して、攻撃戦術を取るという
事が、頻繁に起こるとは考え難い。

 以上のメカニズムで、余り問題が起こらず、長年
存在した、「『成麒麟の喰い荒らし戦法』が主力な
駒数多数将棋など、走り駒が早々に消耗するような
特殊な定跡が発生しているといった、事情が無い限
り、奔王が有る駒数多数将棋ては、一般的に成立す
るわけが無い」という、大将棋・中将棋系棋士に、
南北朝時代には既に有ったと見られる認識は、21
世紀の第1四半期が終わる現時点で、ようやく覆り
つつあるように、本ブログ管理人に認識される。
(2025/01/14)

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千葉県君津市上湯江遺跡で8C山泰墨書土器(長さん)

今回は、千葉県の鹿野山の麓の遺跡で古代の
井戸跡から出土した、「祭祀用」と発掘者に
見なされている土器2つに、余りに

明快に「山夲」と書かれておるものの、字同
士が接近している為報告書では「奉」と釈文

されているという、極めて明快な泰山・奉山
墨書遺物の紹介である。
 千葉県の鹿野山等を奉じる祭祀が奈良時代
頃に、君津市の遺跡で行われたようである。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
140879_1_ー君津市ー上湯江遺跡5.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
上湯江遺跡Ⅴ、2022、株式会社新昭和・
君津市教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
千葉県君津市上湯江字若宮1488番1。
遺物が出土したのは、西暦2020年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第104
ページ付近の記載から、8世紀の奈良時代と
されているように、私には読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
15の下から3段目中央に第30番土器が、
最下段右端に、第37番土器が有るが、特
に後者は、新品の土器の模様程度に墨書が
鮮明である。
 まず第30番遺物から下に示す。

上湯江横山泰.gif

上図のように第30番土器には、反時計回り
に倒れて横に「山夲」と書いてあると、私見
する。

上湯江山泰.gif

37番土器には、上から下へ土器を普通に置
いたときの向きに、はっきり縦に「山夲」と
書いてあるように、私は読む。
 古代に千葉県の鹿野山等を、君津市の平地
から奉じる祭祀が行われたのではないかと私
見する。それにしても、きれいな古代の泰山・
奉山型墨書土器が出土したものである。
(2025/01/13)

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