墨田区両国で明治期ゴイタ様軍人将棋版札ゲーム(長さん)
日本将棋系将棋駒型の地方で遊ばれているカード
ゲームに「ごいた」が有ることは良く知られている。
が最近本ブログ管理人は、明治30年代には、
東京で、軍人将棋のカードゲームも有ったという
話に接した。
芥川龍之介の小説「少年」の「お母さん」の巻に、
墨田区両国で、販売されていたと取れる旨が、
載っているとの事である。
紹介しているのは、東京の江戸東京博物館の、
西暦2002年当時学芸員の湯川説子氏で、成書
名と記載ページは、以下の通りである。
「銀花(季刊)」/129号・特集「こどもの世界」、
文化出版局、西暦2002年3月。その第167
ページ付近に記載されている。
基本的に2人ゲームで、札を出して、軍人将棋と
同じ要領で、強い方が勝って札を取り、勝率が高い
方が勝ちになるゲームのように、芥川の文から読取
れるように思われる。「ごいた」との直接的関連性
は無いかもしれない。
が明らかに「ごいた」にしても軍人将棋型札にし
ても、この系統のカード型ゲームは、明治期に相次
いで成立したと疑う事が出来、遊戯史上は、貴重な
情報だ。
江戸東京博物館は、芥川龍之介が書いている
ゲーム、そのものの札を所持している事が、上記
成書の176ページの下の図から、明らかに判る。

軍人将棋とは、人間についても絵が書いてある点
は、将棋の駒より丁寧ではあるが、本質的に違うと
いうほどのものでは無い。むしろ、下部に札の点数
が書いてあり、ルールを把握し易いように、工夫が
ある点に注目される。カードの方が駒よりも、大型
を作り易いので、そのように出来たように私は上図
を見て認識する。
札は、15種類か、或いはそれより少し多いよう
であり、将棋駒の軍人将棋と形は同じかもしれない。
前記小説の「少年」の時代設定は、西暦1890
年代の、明治30年代頃のようであり、下町の
「駄菓子屋で販売されている、行軍将棋の画札で」
と、記載されているとの旨、湯川説子氏が前記成書
で芥川龍之介の小説の一節を、紹介している。
(2025/01/02)
ゲームに「ごいた」が有ることは良く知られている。
が最近本ブログ管理人は、明治30年代には、
東京で、軍人将棋のカードゲームも有ったという
話に接した。
芥川龍之介の小説「少年」の「お母さん」の巻に、
墨田区両国で、販売されていたと取れる旨が、
載っているとの事である。
紹介しているのは、東京の江戸東京博物館の、
西暦2002年当時学芸員の湯川説子氏で、成書
名と記載ページは、以下の通りである。
「銀花(季刊)」/129号・特集「こどもの世界」、
文化出版局、西暦2002年3月。その第167
ページ付近に記載されている。
基本的に2人ゲームで、札を出して、軍人将棋と
同じ要領で、強い方が勝って札を取り、勝率が高い
方が勝ちになるゲームのように、芥川の文から読取
れるように思われる。「ごいた」との直接的関連性
は無いかもしれない。
が明らかに「ごいた」にしても軍人将棋型札にし
ても、この系統のカード型ゲームは、明治期に相次
いで成立したと疑う事が出来、遊戯史上は、貴重な
情報だ。
江戸東京博物館は、芥川龍之介が書いている
ゲーム、そのものの札を所持している事が、上記
成書の176ページの下の図から、明らかに判る。

軍人将棋とは、人間についても絵が書いてある点
は、将棋の駒より丁寧ではあるが、本質的に違うと
いうほどのものでは無い。むしろ、下部に札の点数
が書いてあり、ルールを把握し易いように、工夫が
ある点に注目される。カードの方が駒よりも、大型
を作り易いので、そのように出来たように私は上図
を見て認識する。
札は、15種類か、或いはそれより少し多いよう
であり、将棋駒の軍人将棋と形は同じかもしれない。
前記小説の「少年」の時代設定は、西暦1890
年代の、明治30年代頃のようであり、下町の
「駄菓子屋で販売されている、行軍将棋の画札で」
と、記載されているとの旨、湯川説子氏が前記成書
で芥川龍之介の小説の一節を、紹介している。
(2025/01/02)