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大阪府堺市大庭寺遺跡5C山泰墨書土器2(長さん)

既に本ブログで表題大阪府堺市の大庭寺遺跡で、
古墳時代中期初めの5世紀前半のものとされる、
コップのような形の、取っ手付き椀型土器と
されるものに、漢字で「山奉」のように見える、
かなりはっきりとした模様が有るとの旨を紹介
した。今回は、台付杯土器に、ほぼ同様の例が
あるとの旨の紹介である。
 今度は遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が奈良
文化財研究所の発掘報告書データベース、全国
遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
91187_9_陶邑・大庭寺遺跡Ⅱ.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
(財)大阪府埋蔵文化財境界調査報告書第50集
/陶邑・大庭寺遺跡Ⅱ、1990、大阪府教育
委員会、財団法人大阪府埋蔵文化財協会。
 発掘報告書冒頭(pdfの番号はNo.1)
第2ページ付近により、遺跡の場所は、大阪府
堺市大庭寺・小代。遺物が出土したのは、発掘
報告書第8ページ付近の記載から、西暦
1986~1989年ないし、その前後の事の
ようである。
 遺物の成立年代は、調査中に便宜上分けた2
つの期のうち、前半の方であり、発掘報告書第
10ページ付近(pdfの番号はNo.1)の
により、5世紀と読取れるように思われる。
以前の紹介した、コップのような形の椀型土器
と、多分大差は無いのであろう。
 遺物の写真は、第8pdfの写真図版第85
の中段第2段目の左に在り、K117との旨、
ナンバリングされていて、そのページの下部に、
Ⅱ区8-OS出土遺物との旨のメモが在る。
古墳時代の台付杯土器のようである。

大庭寺山泰2.gif

 上図のように、杯部分の写真左端に縦に漢字
で、「山奉」のように私には見える、黒い模様
が在るように思われる。
 この遺物については、国内で普通に見かける
形の土器であり、神道の山岳信仰用の祭祀土器
のように、私には見える。コップ型土器よりは、
扱い方が、当時汎用品的だったのかもしれない。
(2025/02/01)

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