大阪府堺市大庭寺遺跡5-6C泰山墨書土器3(長さん)
既に本ブログで表題大阪府堺市の大庭寺遺跡で、
古墳時代中期の5世紀前半のものとされる、
コップのような形の、取っ手付き椀型土器、同
じく5世紀頃成立とみられる台付杯土器に、
漢字で「山奉」のように見える、模様が有ると
の旨を紹介した。今回は、壷型の土器に、ほぼ
同様の系統の漢字で「奉山」のように見える、
遺物例があるとの旨の紹介である。
今度も遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が奈良
文化財研究所の発掘報告書データベース、全国
遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
91184_9_陶邑・大庭寺遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
(財)大阪府埋蔵文化財協会調査報告書第41集
/陶邑・大庭寺遺跡、1989、大阪府教育
委員会、財団法人大阪府埋蔵文化財協会。
遺跡の場所は、発掘報告書(第1pdf)
第2ページ付近の記載により、大阪府堺市小代。
遺物が出土したのは、発掘報告書第11ページ
付近の記載により、西暦1986年前後の事の
ようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第70ページ
付近(第3pdf)の記載により、5世紀末か
ら6世紀前半の、古墳時代中後期の成立と見ら
れているように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書(第9pdf)の
写真図版第106:”古墳時代B地区遺物”の、
最上段右に在り、遺物番号B314番との旨、
ナンバリングされている。古墳時代成立との事
であり、壷型土器のように、私には見える。

上図のように、今回も写真で左端の、やや下
に漢字で「奉」、その右下に「山」のように私
には見える、ややぼやけた暗い模様が有るよう
である。なお最初の模様の、今度は右にも何か
やや薄く、暗い模様が有るが、私には読めない。
山で活動した人物の墓所で、それに添えて埋
葬した物品のようにも私には見える。(2025/02/02)
古墳時代中期の5世紀前半のものとされる、
コップのような形の、取っ手付き椀型土器、同
じく5世紀頃成立とみられる台付杯土器に、
漢字で「山奉」のように見える、模様が有ると
の旨を紹介した。今回は、壷型の土器に、ほぼ
同様の系統の漢字で「奉山」のように見える、
遺物例があるとの旨の紹介である。
今度も遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が奈良
文化財研究所の発掘報告書データベース、全国
遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
91184_9_陶邑・大庭寺遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
(財)大阪府埋蔵文化財協会調査報告書第41集
/陶邑・大庭寺遺跡、1989、大阪府教育
委員会、財団法人大阪府埋蔵文化財協会。
遺跡の場所は、発掘報告書(第1pdf)
第2ページ付近の記載により、大阪府堺市小代。
遺物が出土したのは、発掘報告書第11ページ
付近の記載により、西暦1986年前後の事の
ようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第70ページ
付近(第3pdf)の記載により、5世紀末か
ら6世紀前半の、古墳時代中後期の成立と見ら
れているように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書(第9pdf)の
写真図版第106:”古墳時代B地区遺物”の、
最上段右に在り、遺物番号B314番との旨、
ナンバリングされている。古墳時代成立との事
であり、壷型土器のように、私には見える。

上図のように、今回も写真で左端の、やや下
に漢字で「奉」、その右下に「山」のように私
には見える、ややぼやけた暗い模様が有るよう
である。なお最初の模様の、今度は右にも何か
やや薄く、暗い模様が有るが、私には読めない。
山で活動した人物の墓所で、それに添えて埋
葬した物品のようにも私には見える。(2025/02/02)