高知県いの町八田奈呂遺跡で14C山泰墨書土器(長さん)
今回は、高知県いの町の八田奈呂遺跡で、
中世の須恵器の破片に、山奉と書いて有る
ように見える、薄い模様が有るとの旨の
紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
11198_1_八田奈呂遺跡2.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
八田奈呂遺跡Ⅱ、西暦2000年3月、
(財)高知県文化財団埋蔵文化財センター。
発掘報告書冒頭例言により、遺跡の場所は
高知県吾川郡いの町八田。遺物が出土した
のは西暦1996年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第45
ページ付近の第31スケッチ図:”第4区
遺構外出土遺物”の図のように、遺物は、
第4区で出土した須恵器であるが、発掘
報告書の第70ページ付近の記載により、
14世紀、南北朝時代の頃の成立のものの
ように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版
(PL)第9の、下のコマの下段左に在り、
遺物番号第199番との旨ナンバリング
されていて、東播系須恵器との旨付記され
ている。中世の須磁器土器の破片のようで
ある。

上図のように、極淡いが漢字で「山奉」
と書いてあるように見え、現地の山地を奉
じた、祭祀用土器甕の破片のようでもある。
中世の、山の見える発掘地点の地域の山岳
信仰の存在によるものかもしれないと、私
は疑う。(2025/02/03)
中世の須恵器の破片に、山奉と書いて有る
ように見える、薄い模様が有るとの旨の
紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
11198_1_八田奈呂遺跡2.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
八田奈呂遺跡Ⅱ、西暦2000年3月、
(財)高知県文化財団埋蔵文化財センター。
発掘報告書冒頭例言により、遺跡の場所は
高知県吾川郡いの町八田。遺物が出土した
のは西暦1996年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第45
ページ付近の第31スケッチ図:”第4区
遺構外出土遺物”の図のように、遺物は、
第4区で出土した須恵器であるが、発掘
報告書の第70ページ付近の記載により、
14世紀、南北朝時代の頃の成立のものの
ように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版
(PL)第9の、下のコマの下段左に在り、
遺物番号第199番との旨ナンバリング
されていて、東播系須恵器との旨付記され
ている。中世の須磁器土器の破片のようで
ある。

上図のように、極淡いが漢字で「山奉」
と書いてあるように見え、現地の山地を奉
じた、祭祀用土器甕の破片のようでもある。
中世の、山の見える発掘地点の地域の山岳
信仰の存在によるものかもしれないと、私
は疑う。(2025/02/03)