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現行の駒数多数将棋の起源。数世紀インド起源で無い事が判る訳(長さん)

本ブログに於いて、いわゆる19×19の駒数多数将棋の最初
の発明者は、中国の晁無咎(晁補之)という事になっている。
囲碁から着想したと見られ、外国、たとえばインドから中国へ
の輸入品では無いという事である。
 中国の晁無咎の広将棋は、記録が残って居無いが、同時期に
大将棋が別に中国に有ったらしく、同名の日本の二中歴大将棋
が、玉・金・銀・銅・鉄という構成である事から見て、

中国の晁無咎(晁補之)の19路広将棋も、陰陽五行説に則っ
たもの

と、異制庭訓往来の示唆からも推定される。
 現在の将棋史界では、極東の駒数多数将棋が、陰陽五行説に
準拠したものであるという考えが、少なくとも将棋史の専門家
の間では強い。遊戯史全体では、将棋史がマイナーなので、強
く主張すると、トンチンカンな質問も来る事が有るようだ。
 文献を探している研究者も居るようなので、水無瀬兼成の、
将棋纂図部類抄の、出だしを読むように薦めておく。だから、
実際本ブログでも、この考えに賛成の立場であり、以下、

極東の駒数多数将棋は、陰陽五行説に準拠したものである

と仮定する。
 では三十六禽が、数が36個(柱)であるという点で、
ナイル川流域のエジプト文明起源であるという如くに、
別の古代の四大文明地域等から、陰陽五行説に準拠した極東の
駒数多数将棋は、中国に原初輸入される可能性は、有るのか無
いのかを、今回は論題とする。結論から書く。

無いと見られる。何故なら陰陽五行説は、中国起源だから

である。では、以下に説明を加える。
 すなわち、

四大文明で中国の隣組である、インダス文明のインドには、
陰陽道や、五行説は無い。

 この点については、現代の成書は結構稀少と、本ブログでは
認識する。例えば、次の文献がある。

「科学史」、木村陽ニ郎編、東洋大学(当時)大綱功執筆、
㈱有信堂高文社、西暦1971年、第13章インドの科学。

それによるとインドの原子論は、地、水、火、風の四大元素説

だ。5行では無い。そのため、インドで駒数多数将棋が生ま
れ、北宋王朝時代に中国に輸入されて、晁無咎が広将棋序を記
したとすると、

平安大将棋の将駒は、地将、水将、火将、風将に対応する、
4将7枚制の将棋になっていた可能性が高い

と、私は思う。だから、インドで原初に発明されたチャトラン
ガは、駒の総数や升目の数について、チェスや小将棋に近いも
ので、駒数多数のゲームは小から大への進化であると私は思う。
だから、

事実上、大将棋は中国発のアイディアを、日本で更に発展させ
たもの

と、結論できると私は考えている。すなわち、

 インドに10世紀以前に、駒数多数将棋が有るという説に、
客観的根拠が乏しいのはもちろんの事、現在の中国で発生した
陰陽道と、駒数多数将棋との深い結びつきから考えても、その
可能性を示す兆候は、かなり乏しい

のではないか。
 つまり、いわゆる特許法で言う、オリジナリティという概念
を、無理やり適用すると、”二桁升目を使う事を、特徴とする
チェス・象棋様ゲーム”という

この国際特許の主な独立請求項の発明者は、北宋時代の中国人

だと言う事にやはり、なるのだろう。
 なお、陰陽道がインド起源ではなくて、中国がオリジナルで
ある事は、以前、本ブログで三十六禽を紹介した、南方熊楠の
”四神と十二獣について”という著作の中で、”八木”という
苗字の思想史研究者を、南方熊楠が批判して、”陰陽道の概念
が、インド起源であるという説は、間違いだ”と論じていた。
 今では、史学も更に進んだので、南方熊楠の著作集よりも、
詳しい陰陽道のインド起源説否定情報が、成書を探すと上記の
ように出てくるという状況だと、私は認識している。
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 なお、本日西暦2019年1月6日に、日本時間で9時頃か
ら、10時頃が東京の最大の欠けで、部分日食があるとの事だ。
今年は、地球が赤道の膨らんだ西洋梨型のため、月の軌道の黄
道面との交点の黄経が、永年後退するため、食年が太陽年より
短いのが原因で、18年強の周期で”食の季節が、年初、年中央、
年末と、3回ある珍しい年だ。
 外は晴れているようなので、日食サングラスで、欠けた太陽
を見てみようかと思う。
(追記)関東、10時JST。日食良く見えてます。(2019/01/06)

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