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日本型十六ムサシ雪隠は東南アジアと遠い事示唆(長さん)

本ブログも、どちらかと言えば「日本の将棋
は東南アジアから伝来」派に近いのであるが。
以前に紹介した、「web版」と表現出来る
十六ムサシの雪隠部の線の引き方は、遊戯の
東南アジア文化と日本が、広い海で隔離され
ている事を物語っているように私には見える。
 増川宏一著、ものと人間の文化史29盤上
遊戯の第149ページによると、マレーシア
の狩猟型ゲーム盤の雪隠は、十六ムサシに比
べて線が2本足りない十字型であるがそれは、
第145ページの記載により、元は独立した、
グローバル標準的な狩猟型三角盤の形を受け
継いでいる為とみるのが、妥当なようである。
別の増川宏一の著書、ものと人間の文化史、
136-Ⅱ「遊戯」の第218ページ付近に、
14世紀~16世紀に栄えた遺跡で、よって
遊戯自体は14世紀成立とみられるが、南
インドのヴイジャヤナガル遺跡の遊戯盤画遺
物群の中で、75枚程度見つかり、増川宏一
がアルケルク型と呼んでいる一連の独立した
狩猟型ゲーム盤の、三角形内部の模様が、同
じ形になっている。
 つまり、三角形型の狩猟ゲームが存在とい
う曖昧情報だけ、やっとこさっとこ

日本には渡来し、アルケルク型狩猟ゲームは、
本格的には東シナ海を北上出来なかった

ようである。なお、中国の狩猟ゲームの雪隠
は、中国と東南アジアは地続きだったので、
正調アルケルク型になっている。
 この事から「黒潮に乗って文化が渡来する」
という論は、尤もらしいが、

中国から朝鮮半島を経て、日本に来る流れ
よりは、自然な状態としては弱い

と推定できるように、私にも思えてきた。東
シナ海の、文化の隔離効果としての存在は、
大きいという意味である。
 将棋に関しては時のめぐり合わせて、当時
の最高権力者ないし有名人、かつ学術文化の
指南役とも言える、

後一条天皇、藤原道長、藤原行成、藤原隆家
といった人物が、こぞって遊戯の隆盛を薦め
たり、遊戯駒作りに有利な加勢をするといっ
たような動きを、伝来してすぐの時点でした

と見られるといった、特殊な事情があった為
に、中国人が、たまたま東南アジア方面から、
自国では、囲碁に比べてゲームの出来が劣る
ので、大の大人の間では、異国ゲーム扱いだ
が、子供のおもちゃとしては適当という思考
プロセスで、伝来させたゲームが流行ったと、
本ブログでは再三繰り返した。
 つまりそのような、複数有名人お墨付きが、
波がたった一回だけの「伝来」イベントが発
生して直ぐに、ほど良い時期に存在したとい
う特殊事情としての「刀伊の入寇」が有った
からこそ、東南アジア方面伝来説が、このケー
スでは例外的に、かつたまたま奇跡的に、浮
上出来ただけなのではないかと、日本の今に
伝わる十六ムサシの雪隠形をチェックして私
には、疑われるようになったという訳である。
 つまり、

文物の東南アジア伝来元説を説くには、特殊
増幅作用を仮定する事が、一般論として必然

なのであろう。
 従って、繰り返す波の如くに発生する文化
の自然伝来型モデルを、頭から仮定したとす
れば、遊戯も朝鮮半島からの伝来が、最も骨
が太いのであろう。ごく最近は、将棋の伝来
も中国伝来元説が、どちらかと言えば更に優
勢になったのも、だから仕方が無いと言えば、
仕方が無い事なのではないかと、十六むさし
ゲーム盤の雪隠部を見て、私にも多少は感じ
られるようになったところである。(2024/05/08)

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