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西暦1014年京都朝廷政庁で2回火事(長さん)

本ブログではこれまで、西暦1010年代には、
京都の朝廷施設内で2回火災が有ったと記載して来
た。西暦1014年宣明暦2月9日と西暦1015
年宣明暦11月17日の事である。しかし、以下の
成書を読んで、3回で有るのに、ようやく私も気が
付いた。
 現代語訳小右記6/吉川弘文館/倉本一宏により、
西暦1014年は、内裏で宣明暦の2月9日晩に
火災があり、建て直しの為、その後約2年間すった
もんだが有るのだが、大内裏で、別の火事が有り、
宝物・医薬品が大量に焼失して、藤原道長が大慌て
だったと記載されているようである。日付は、

宣明暦の西暦1014年3月12日

との事である。前者では天皇の一時入居先問題が、
小右記で重視記載されているが、後者では、体調が
悪く小右記の著作者/藤原実資が、現場に駆けつけ
無いのを藤原道長が文句を言った等他、宮廷備品が
大量焼失した事が強調されているように読み取れる。
 後者の火災では、大宿直所・内蔵寮・掃部寮・右
近衛府等が焼け、「宝物も多数焼失した」と藤原
道長が述べているという事である。なお御堂関白記
には西暦1014年分が、現存して居無い。
 この日記の書き方を見る限り、

唐物を補充するとしたら、この火災の方が大量

との印象を、私は受ける。2月9日の火災は、天皇
の備品も焼けたが、根本的には寝床の消失なので、
「ハコモノ再建」が、中心のはずだったようである。
 2月9日の天皇の居所の内裏の火災のときには、
西暦1014年宣明暦1月27日の日暮れ時点で
「西に傾くペルセウス座に新彗星」という宵の西空
に典型的な出現パターンで、見慣れない彗星が大出
現したらしい。小右記には、三条天皇が余り重大視
して、い無いと取れる旨が、記載されているようで
ある。月蝕・彗星出現重視派(含藤原道長)には、
特に恨まれたのかもしれない。
 時系列では、2月9日の内裏の火災の後、次のよ
うに、小右記に記載されているように読み取れる。
 2月10日 藤原隆家は眼病の為、熊野へ行って
おり内裏の火災に際して、皇居に駆けつけ無かった。
 3月6日 藤原隆家が寝巻きのまま藤原実資を訪
ね「熊野で眼病治療したが、経過は完全というに程
遠い。大宰府権帥になって、博多で治療したいもの
だ」との旨、打ち明けた。「病気がひどいので、当
分(例えば3月12日)出仕は無理」とも記載する。
 3月12日 前記のように、大内裏で火災が在り、
宝物・医薬品、焼失多数。北宋から再度補充が必要
になる状況だったとみられる。
 6月25日 藤原隆家の使いで、僧で医療の心得
があると取れる「清賢」が、北宋の名医「恵清」の
居る博多へ、藤原隆家の眼病薬を、隼船(?)に乗っ
て購入して帰り、医薬品購入報告と、藤原実資稚児/
藤原千古への、寄生虫の薬を持参したとの旨が、
小右記に記載されている。
 6月28日 前記稚児への薬に、薬剤名が記載さ
れてい無い事に、不審を持った藤原実資は、上級公
家ご用達陰陽道の加茂光栄と安部吉平に占わせ、「
不吉」と出たので、自分の稚児/藤原千古に薬を飲
ませるのを止めた。直接医者に診せないと、何事に
も始まら無いと、言わんとしているようにも、私は
感じる。
 10月26日 藤原道長の悪口を、藤原隆家が、
藤原実資に言いつける。
 11月7日 藤原隆家が、三条天皇が居無い隙に、
藤原道長から、大宰府権帥を命じられる。
 読み落としが無いとは言え無いが、将棋史に絡ん
でくると疑われる、藤原隆家関連の動向は、この程
度の記載のように、読み取れる。

中関白家が大宰府権帥となり、火災の焼失補充品を
集めて来なければ、なら無くなる、おおごと化を狙っ
たようなタイミングで、3月12日の大内裏火災が、
如何にも旨く起こったものであるとも、言えるかの
ようなスケジュール展開

だったと私には感じられる。
 熊野での治療をあきらめて、博多から治療薬を
6月に送りつけるというのは、藤原隆家・藤原実資
の共謀した、その「地均し」のようにも、これまた
私には見える。
 2月の内裏の火災は、困窮僧侶系陰陽師の待遇不
満が裏に有るようにも私には見えるが。3月大内裏
の火災については、焼失備品調達が、おおごとにな
るような、当日「重い病気になっ」た

藤原実資にとっても、有利な火災

であったようにも、私には微かに感じられる。眼病
の三条天皇が、藤原実資を頼りにしている内容を、
小右記の前後に挟んでいて、最高権力者の藤原道長
と距離を置いている様子も、伺えるからである。
(2023/09/30)

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対面5ボマウス使用ライブルオフィスカルク日本将棋(長さん)

今回は、これまでの装備
1)独ドキュメントファウンデーション/
ライブルオフィス/カルクという表計算ソフト
2)5ボタンマウス×2(税込み計440円)
3)フリー・マウスボタン機能変更ソフト:
XMouseButtonControl.exever.2.20.5
ポータブルと、それで調整した3~5ボタン
機能(3はctrl+マウス左クリック、4は
ctrl+x、5は「マウス右クリック+ST+
エスケープ」で値(テキスト)貼り付け。
4)あら氏の、180°回転マウス機能変更
フリーソフト。
5)BABA氏の4)を、Pauseキーで
画面の前面に出すフリーソフト
を装備し、32bitでwindows10の
パソコンに、シートに将棋盤、セルは将棋駒を
表す駒文字を入れるが、その他に敵味方の駒で
あるという意味の書式が登録されている事を示
す標識として、背景に薄色を付けた上で将棋駒
を登録するという陣容で、先手と後手が、実際
に対面して日本将棋を指すテストを行った。こ
こでパソコンを、64bitのものにし無いの
は、逆さマウスの動作が、保障されてい無い為
である。ただし実際に「動作し無い場合がある」
との情報は入ってい無い。結果的には、

後手は、キーボードを使用する機会はほぼ無く

大きなトラブルが発生する予兆は無かった。
下は、以上の装備をした、実際の将棋ソフトの
PC上の画面である。後手からは残念ながら、
画面は常に、ひっくり返って見える。

表計算日本将棋.gif

 下記に、テストしたノートパソコンと、
5ボタンマウスを2台繋いで、ソフト群を
立ち上げた様子を示す。

日本将棋用ノートPC.gif

 一応、後手用に6)更に予備的にキーボード
(USB)を1台つないだ。上の写真で白い
長方形の物品は、外付けのキーボードである。
 これで将棋を指し、1手毎にあら氏の逆さ
マウスで、マウスの動きを反転させてみた結果、

正しく操作しているうちは、特に問題無く普通
の将棋が表計算ソフトで二人で対面して指せる

事が判った。後手が写真の白いキーボードに手
を触れる局面は、一局対局した範囲では特に今
回は無かった。
 強いて発生した問題としては、上図のように
5ボタンマウス同士のグレードが、かなり違う
物品を使って見たが、カーソルの速度が先手と
後手で大差が有る(後手が速い)ようだった。
懐の許す限り、似たようなグレードの5ボタン
マウスを使用した方が良いだろう。
 表計算ソフトとして独ドキュメントファウン
デーション/ライブルオフィス/カルクだけで
可能という点を、それは「米マイクロソフト/
オフィス/エクセルと同じ」という意の情報が、
web上で渦巻くと、個人的に主観する中で、
当初は夢にも予想も出来ない状態で出発したが。
良くここまで来たものだと、我ながら感心して
いる。(2023/09/23)

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群馬県高崎市新町戸崎遺跡で昭和初盤上遊戯絵小皿(長さん)

今回は群馬県高崎市のカネボウ系工場女子寮
跡から瀬戸美濃染付け小皿に「囲碁」とされ、
2人の人物が、盤上遊戯をしているとみられる
絵が描かれている遺物が、出土しているとの
旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
132332_1_新町戸崎遺跡2.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
高崎市文化財調査報告書第488集
新町戸崎遺跡2、2023、高崎市教育委員会。
 発掘報告書の末尾抄録によると遺跡の場所は、
群馬県高崎市新町2330-40。遺物が出土
したのは西暦2020年前後の事のようである。
なお調査地は、新町紡績所=のちのカネボウ系
工場の明治末から西暦1938年頃迄に建設完
了した「女子寄宿舎」とされているようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第46ページ
の記載により、瀬戸美濃染付け手書き小皿で、
西暦1941年~西暦1946年の昭和/太平
洋戦争末期の頃のものと推定されているように、
読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書第108ページの
写真図版の上段”遺物廃棄場SU1”の最上段
左から2番目にあり、遺物番号CR類第131
番との旨、ナンバリングされている、近現代の
欠けた皿のように見える。

新町戸崎将棋図.gif

 上図のように、下の方に2人の人物が、盤上
遊戯をしているようであり、上部に字が約6行
書いてあって、第1~第2行の読みは、私には
良く判らないが、3行目から「一局棋事する 
海人」等と読めるように私見する。
 6升目程度の升目が記載され、発掘報告書第
46ページ付近で、囲碁の絵であるとの旨、簡
単に紹介されている。
 皿に描かれた、たまたまの意匠であろうか。
発掘報告書にも、それ以上説明は無い。比較的
珍しい部類の、柄に間違い無いように思われる。
ただ、19路の囲碁盤なのか、9升目の将棋盤
なのかは、描かれた絵の様子からは、

判然とし無いように、私は解釈

する。
 会社より設置された設備の一部では無く、ど
こかの一般家庭からの借り物であり、囲碁や将
棋の文化が、社会で継続していた事を示してい
るという情報以上のものを、残念ながら含んで
い無いように私見する。発掘報告書にも、戦時
中で「一般からの作業員の外部入居が考えられ
る」と取れる記載が有りその通りと私も考える。
遺物廃棄場SU1からは、複数のビール瓶が、
共出土しているようである。(2023/09/28)

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重ね厚みによる瓦の強度変化テスト(長さん)

今回は、瓦(植木鉢型)を使って、瓦の重ねによる
強度の増加の簡単な実験を行った。
 将棋ゲームの初期配列を、瓦製の盤や土器に墨書
して情報を残す場合、配列を繋ぎ部分を幾分重複さ
せて瓦何枚かに分けて書き、その瓦を重ねて粘土で
止め、瓦が割れる事による、情報消失を防ぐだろう
との内容を以前、本ブログで表明した事がある。
 具体的には西暦1397年より1~2年前に、
自軍を本ブログ版普通唱導集大将棋に見立てていた
とも疑われる、栃木県小山市のその時代の城主の
小山若犬丸は、鎌倉府に攻められて、福島県いわき
市の遠野地区に落ち延びた際、自軍の指揮を高揚さ
せる目的で、普通唱導集時代の大将棋の初期配列を
宣伝し、勇姿を後代に残す為情報保存を図り、その
時代の将棋種の初期配列と成の情報を記した瓦の類
の塊を、その地に多数埋めた可能性が有るとの意を、
本ブログで指摘した。
 さて、瓦は縦横に比べて厚みが薄いと、永年、山
崩れで落下等すると、割れてしまうと考えられる。
そこで、

字数/升目数の多くなる、大将棋の初期配列は、情
報保存するとすれば、盤を過度に大きくし無いよう
にする為に瓦何枚かに分けて書くし、埋設保存する
際等には、内容が判からなくならないようにすると
ともに、同じく割れないようにする為、粘土で接続
させる等、厚みを枚数分で増やす工夫をする

だろうと予想された。
 今回、盤状では無く側面に墨書するとし、3号鉢
の、極小型の植木鉢状物品をラップで包んでパウチ
して、

民家の2階の窓から、コンクリの地面に落として、
割れの様子を見るテストを行った。

前記の議論のうち、重ねで厚みが増える分の、効果
を見たのである。
 結果、繋げた方が、強度は実際上がるようである。
 以下の写真は、今回用いた、植木鉢を4つ重ねて
ラップで包んだ物品である。

4個鉢元.gif

 色から察してケンガイ鉢に分類されると見られる。
 この状態で4メートル前後の高さから、コンクリ
道路に落下させたところ、以下の写真のように、

2個はコナゴナに割れたが、1個は無事。もう1個
は欠けた状態

になった。この鉢は想定される記録盤よりは薄いと
みられ、かつ西暦1397年頃、石が敷き詰められ
た環境は、少なかったとみられる。630年弱の間
に何が起こるのかは謎だが。かなり現実よりも、

過酷な条件なのではないかと、疑われる。

植木鉢落下状態.gif

 次いで、バラバラにした同様の物品は、同様の高
さから落とすと、当然かもしれないが皆コナゴナに
割れた。
 以下は、4連繋げて落とした前者の場合で、生き
残った2枚の鉢の様子の写真である。

植木鉢非破損物.gif

 以上の事から、小型にして対厚み比が大きくない
ようにした、盤または土器を、重ねて塊状にして
保存すると、大型のまま対厚み比が小さい盤を1枚
保存した場合はもちろんの事、小盤を各々一枚一枚
バラバラにして、保存した場合に比べても、衝撃に
対する割れ易さは、かなり減少が期待出来る事が、
実際に確かめられたのではないかと私は信じる。
 以前の議論のとき、本ブログでは述べたが。瓦に
墨書した物品は、複数、例えば数十組作られたとし
たら。一組に部分的な情報しか残らなかったとして
も、中には完品で出土する物もあり、現代に情報を
伝える事も、夢物語では無いように思う。(2023/09/27)

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小右記藤原隆家宣明1014年12月中在京(長さん)

本ブログでは、既に述べたように藤原隆家が
宣明暦の(主に)西暦1015年1月頃、
大宰府から後一条天皇玩具の黄金平安小将棋
(恐らく「原始追っ付け日本平安小将棋」立
体成金塊金将駒28個/増量2個分付き)を、
運搬したと仮定している。
 大宰府権帥に眼病希望で11月に就任した
ので、直ちに眼病治療の旅をするだろうと
見たのである。
 しかしながら最近、現代語訳小右記(吉川
弘文館/倉本一宏)の6に、

ネガティブな情報が有るのを発見

した。

 西暦1014年宣明暦12月17日に、
京都の皇后領花山院が火災消失し、現場で、
小右記著作者の藤原実資と会っている

と記録されているようである。
 藤原隆家に関する藤原実資の情報は、頻度
中程度であり、月あたり2件程度で、西暦
1014年宣明10月から西暦1015年
宣明5月まで、ペースは落ちてい無い。隆家
下向の式典が内裏であり、5月は前記日記
に登場する頻度が高く、そこから先は隆家が
交易品を京都に送る等し無い限り、しばらく
記載が消える。
 つまり、

西暦1014年12月にも、京都に藤原隆家
が居た事を示す記事が書かれているという事
であり、

西暦1014年10月から、翌年大宰府に出
陣の儀に当たる式典をし、ついで藤原実資と
和歌を交わして下向したという西暦1015
年4月22日~24日まで、毎月記載される
というペースである。ただし、

小右記に西暦1015年1月~3月末の抜け
があるのが、痛い。

 全体を眺めると、とかく藤原道長の悪口を
藤原実資に告げる事の多かった「藤原隆家は、
三条天皇が退席していて居無い席で藤原道長
から西暦1014年相当11月上旬に、独断
で、大宰府行きを告げられ哀れな和歌を西暦
1015年5月24日を詠んで、九州に下向
した」という印象が持てるような書き方を、
小右記を通読してみると、しているように私
には読み取れる。
 西暦1014年10月26日が藤原実資に
よる、藤原隆家の藤原道長悪口紹介であり、
次いで11月6日が藤原道長による「独断的
藤原隆家、大宰府権帥就任決定」。その後、
11月11~12日夜に藤原隆家と藤原実資
が何事か密談。12月17日に前記火山院の
家事での実資・隆家の出くわし、飛んで西暦
1015年4月13日に、藤原隆家から藤原
実資へ、三条天皇から「自分が気分が良いと
き、藤原道長の調子が悪い」と聞いたという
意味の、藤原道長に対する悪口連絡となって
いる。
 藤原道長の孔雀が卵を産んだ話が記載され
るのは、小右記では落丁した後直ぐの、西暦
1015年宣明暦4月11日と同4月16日
である。この孔雀は仮説将棋盤・駒と一緒の
一例北宋王朝期中国交易商人周文裔を介した
輸入、但し御堂関白記に「藤原蔵規取り扱い」
と書かれているというのが、本ブログの従来
の説である。
 小右記の落丁期を狙って西暦1015年の
宣明1月から3月へ、藤原隆家は大宰府へ、
眼病治療に行ったと変えるのは、苦し紛れ
なら通るかもしれないが。

大宰府権帥に就任が決まった11月に直ちに、
眼病治療を開始し無い不自然さが、説明出来
無いことには変わりない

と、この史料との整合性の悪さに、私は現在
頭を抱えた状態である。
 ただし、藤原隆家が往復早馬だけを使って、
忍びで、医者に診てもらいに行ったとしたら、
西暦1014年11月13日から12月17
日は33~34日有るから、飛脚が片道10
日で書物を伝達出来た当時なら、九州での眼
病治療が入院期間無しなら、京都から往復は
出来たであろう。
 行きはwebによるとまだ十代の藤原蔵規
を伴い、手ぶらで大急ぎ。帰りは、嵩張らず
割れ物でも無い周文裔が持ってきた将棋具や
御香を従者/大宰府軍に持たせて、早馬とい
う手はずであろうか?
 その後、博多から若狭湾まで、藤原蔵規と
孔雀を積んで、周文裔が唐船で、大荷物ない
し生物の新内裏備品を輸送という事ならば、
藤原道長の孔雀/卵話や、三条天皇の西暦
1015年4月13日の、「眼は余り見え無
いが上機嫌」話とは一応矛盾は無いのであろ
うとは、私も考えるのだが。
 なおそのケースは、本ブログ版日本へのい
わゆる「将棋の伝来」は、私がイメージし、
この記事の冒頭のように宣明暦西暦1015
年正月では無く、ユリウスまたはグレゴリオ
暦西暦1015年正月かもしれない。全ては
周文裔等と繋がりの有る、藤原道長独断の
藤原隆家下向命令等、日程計算の上での事だっ
たのかもしれないようにも見えると、私には
疑われるようになって来た。(2023/09/26)

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5ボ/マウス使用ライブル/カルク持駒将棋駒台トラブル対策(長さん)

以上述べたように、5ボタンマウスの
第4ボタンに「カット」、第5ボタン
に「値(テキスト)貼付け」コマンドを、
ゲーミングマウスの、ボタンの動作を
調整するweb上のフリーソフトで登録
した状態で、独ドキュメントファウンデー
ション社/ライブルオフィス/カルクの
シートを将棋盤、セルに駒文字を書いて
実行させる日本の将棋で、予め先手用、
後手用の駒台に別々に、イ)駒の向きと、
ロ)駒のオモテ表示の為の「文字の配置」
のイ)とロ)の両方を「書式登録」した
状態で、相手側から駒を取り、持駒台に
乗せようとすると、

書式を保持した状態で値(テキスト)貼付
けの動作の、どこかがおかしくなる

という問題が発生していた。
 今回はその解決策を、ようやく見い出し
たので、以下に概要報告する。
 持駒を打つ(盤に戻す)ときに、書式ご
と移動してしまい、

後に何も残ら無いのがそもそものトラブル
の原因

であった。そこで別の所から書式を消失し
た移動後のセルに、新たに正しい元の書式
を移動して来るしか、ボタンが5個までの
マウスで、キーボードは使いたく無ければ、
そうするしか無いとの結論になった。
 さてそれでは説明するが今回は、テスト
将棋種として、駒の数が少ないので判り易
い、京都将棋を依然として題材として使用。

セルに淡く色付けして、駒台の書式が消失
すると、気がつくようにしてテスト

してみた。つまり取り合えず、独ドキュメ
ントファウンデーション社/ライブル
オフィス/カルクのシートを将棋盤、セル
に駒文字を書いて実行させる、日本の将棋
では、駒の数が持駒将棋としては最大に近
づくと見られる

日本将棋の場合も、先手/後手それぞれの
全ての駒について、駒の向きを単に変える
だけでなくて、駒の居る升に、薄く色付け
するしかトラブルの回避はやりようも無い

との結論になった。
 以下は、話を戻してテスト用の京都将棋
で、先手の持駒台から駒を盤に戻す、
トラブルが発生した打駒の局面例を表して
いる。

間違い発見.gif

先手が、表計算シート記号で「▲E3と金
(1三と金)」と、先手の持駒台に有った
と金/香車を、と金側で打って王手を掛け
た局面であるが、と金の移動前に在った
駒台の書式が消えている。

トラブルの原因は、たったこれだけの事

であったようだ。
 5ポイントマウスには、独ドキュメント
ファウンデーション社/ライブルオフィス/
カルクのコピーや、書式のみ貼り付けを
行う、専用ボタンを作る余裕は無いので。
どんな持駒有り将棋に係わらず、持駒台を、
図の右に長く伸ばし、書式登録済みサイン
のある色セルを、駒を盤に打つ事によって

消失する分を補充するように消失分、右隅
領域から頻繁に、持駒台領域の左隅へ、
書式が消えた分移動して来るしかない

と私は考えた。
 持駒が多数発生する、長い手順と手数の
掛かる将棋の場合、上図で右隅の色付き
セルは最悪枯渇するかもしれないが。その
場合は更に右へ100行でも200行でも、
書式登録済みセル群を予め作成しておいて、
独ドキュメントファウンデーション社/
ライブルオフィス/カルク、米アパッチ社/
オープンオフィス/カルクに共通の、集団
方形領域セル移動機能(マウス左クリック→
領域設定→領域内左クリック→左マウス
シフト)で、書式登録済みセル群を、画像
表示外の遠くの右領域から、図の右隅領域
へ、集団引っ張り移動させて、補充するし
か少なくとも私には、方策が考え付かない。
 エレガントな解決では無いが。今述べた
方法が、現実的には、一番速いように私に
は思えて来た。(2023/09/25)

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5ポマウスボタン機能変更表計算ソフト京都将棋(長さん)

今回は直前に引き続いて、XMouseButtonControl
 Ver.2.20.5ポータブル(フリーソフト)
を使用して、独ドキュメントファウンデーション社/
ライブルオフィス/カルクのシートを盤、セル文字
を将棋駒として行う、日本の将棋で京都将棋の
場合の動作チェックである。
 一手毎に元駒~成駒が交換(文字の配置が転換)
される過酷条件で、正常に動作するのかどうかと
いう旨のテストをした。
 やはり、持駒台位置セルに予め、正しくそれぞれ
の側の駒の向き・元の駒名を表示出来る文字の配置
が「書式登録」されていれば、問題無く動作し続け
るが、一旦誤って、書式登録外の位置に相手から
取った駒を移動しようとしてトラブルが発生すると、
以後の回復動作を、冷静にし無いと挙動がガタガタ
になるようである。
 なお、京都将棋のシートは、以下のような姿に
なる。

京都将棋初期.gif

 作は近代で作者田宮克哉氏。以下私見だが、将棋・
中将棋・チェスに詳しい、故大山康晴永世名人の知
人の印象である。日本将棋の香車の成と、チェスと
将棋との対応から角行成り銀将、チェス兵駒のよう
な桂馬に成らせた歩兵と飛車に成る金将を考えたが、
金将を飛車成させると即王手将棋になる為、成りを
金将と歩兵は交換したような、ルールになっている
と覚えると判り易そうである。そうすれば、
「京都銀閣きんけいひふ」の呪文が無くてもルール
を覚えられる。最近知ったが、二歩・打ち歩詰め、
行き所無し駒の発生は、一切お構い無しの細則が有
るそうである。
 この将棋を表計算ソフト指しすると、一手毎に
文字の配置を操作して、成と元の駒を行き来させな
ければならなくなる。煩雑なので、駒台には元駒で
乗るように、相手から駒を取ったときに、成駒なら
ひっくり返すのは、継続させた。
 「文字の配置」機能を頻繁に行うと、駒台へ
移動させたときに、何か誤動作の原因になるのかも
とも考えて、この将棋のテストをしたのだが。

「文字の配置」操作の多用は、5ボタンマウスの
第5ボタンの誤動作とは、余り関係が無い

ようだ。
 独ドキュメントファウンデーション社/
ライブルオフィス/カルクには、貼り付けた値
(テキスト文字)は、表示されるものの他に、

それまでの操作でボードに溜まっているデータが、
見えないが、複数付いている

事が、「貼り付けの候補」のタグを、右クリックで
開いた、セル操作のプルダウン・リストの中から
チョイスすると表記されている事で、「成元駒行き
来が頻繁である」が特徴の、京都将棋の特徴とは余
り関係無く、今回初めて判った。
 表示され無いが、セルが空(NULL)
では無い所に貼り付けをしようとしてしまうと、張
り付かないという間違いや、「自駒向き+元駒表示」
書式設定をセルにし忘れているNULLセルに貼り
付けて、駒がセルに表示されないという間違いをし
たときを起因して起こる、複雑なデタラメ動作は、
この「蓄積された使わない、沈んだキャラクター」
の存在に、起因してどうやら起こるらしいとアタリ
が私にも付いた。それにしても、マニュアル情報が
全く無い表計算ソフトで、誤動作原因を解明し無い
といけないというのは、イザというときには不便な
ものではある。

誤操作に起因するにしても、何か手を打って緩和策
を取るという事が、出来無い

からだ。
 米マイクロソフト/オフィス/エクセルでは、「
セルごとに出てくる『貼り付け候補』」という概念
が、表計算ソフトにさほど詳しく無い私は、これま
で余り出合った記憶が余り無いので。表計算ソフト
という世界に余り強く無い私にとっては、今のところ
「何んだこれは」の連続状態である。(2023/09/24)

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5ボマウスボタン機能変更表計算ソフト将棋チェック(長さん)

既に述べたが、5ボタンマウスの第4・第5ボ
タンの機能のコントロールが可能なフリーソフト、
XMouseButtonControl Ver.2.20.5
ポータブルを使用して、独ドキュメントファウン
デーション社/ライブルオフィス/カルクの場合
だけであるが、表計算ソフト/シート指し
持駒有将棋を指したときに、第5ボタンの
調整で、値貼り付け(テキスト貼り付け)が
出来るように見える。ただし以前述べたように、
実態のはっきりしない、ある種の操作ミスで、
張り付かないか、予め登録した自駒の向きで、
元駒名を表示させるように調整したはずの「書
式が消える」というトラブルが発生していた。
今回は、その継続調査の結果報告である。

第5マウスボタンに「マウス右クリック+s+
t+エスケープ」を登録した状態で、操作ミス
し無ければ、いつも正常に駒台持駒貼り付け
出来る

事が判った。
 以前述べたように、ひとつには、独ドキュメ
ントファウンデーション社/ライブルオフィス/
カルクの場合、値貼り付け(テキスト貼り付け)
が終了した時点で「エスケープキー」を押さな
いと、クリップボードに貼り付けセル内容が、
残り続けて次回の続けて「値/テキスト貼付け」
をすると動作が、正常に行われない場合がある
ようである。だから、第5マウスボタンには、
「マウス右クリック+s+t」ではなくて必ず
「マウス右クリック+s+t+エスケープ」
を登録する必要があると結論された。
 この状態で、テストを繰り返した所、動作
異常を起こすのは、

元駒書式が予め正しく登録されてい無いセルに
貼り付けようとしているか、または、表示され
ないが貼り付けようとしているセルがNull
では無くて、既に何か値(=テキスト)が登録
されている場合の、どちらかに限られるようだ

と判明した。正しい操作をしている限り、前記
の第5マウスボタン「マウス右クリック+s+
t+エスケープ」で、独ドキュメントファウン
デーション社/ライブルオフィス/カルクの
表計算ソフト/シート指し持駒有将棋の持駒台
への、取った相手駒の移動は、正常に行われる
事が、ほぼ確認された。
 5ボタンマウスともなると、通常の使い慣れ
た3ボタンマウスとは、操作の趣がだいぶん変
わるので。ゆっくり指して、操作を間違えない
ようにするしか、今のところ、やりようも無さ
そうであった。
 その点で、普通の木製ボードと木の将棋駒を
使った将棋に比べて特に日本将棋系を指す場合、

マウスボタンの操作を間違えたときの、言わば
「バンカーショットからの這い上がり」に、
緊迫した局面を指しているとき、表計算ソフト
で指す場合の方が、いらいら感が有るのは確か

なようである。
 しかしながら、表計算ソフト指しの場合の利
点は、何と言っても、

待ったで、局面が正しく戻せる

事にあるように思われる。カルクの類も、
米マイクロソフト社/オフィス/エクセルと
同じで、反時計回り回転マークを押せば、使用
中であれば、入力した内容を、たぶんだが最初
まで元戻し出来る。
 慎重に将棋の棋譜を研究する際は、パソコン
で、表計算ソフトを使って結論を出した方が、
将棋の研究中、悪手を指したと気が付いた時に、
局面を元に戻して、手を変える事が出来るので、
より正確な結論が得られるように使ってみて私
にもしみじみと思えるようになって来た。
 元々何がしかの専用ゲームソフトと違って、
パソコンにルールや盤・駒種類、その並び順を
指示される事無く、単なる駒木地とベニア板が
置いてあって、それに墨書して将棋を指す機能
と同じであるというのが、表計算ソフト指将棋
の特徴な訳であるから。現行の日本将棋の盤駒
道具や専用コンピュータソフトに、敢えて張り
合う必要も最初から無いと言う事なのであろう。
(2023/09/23)

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小山若犬丸は小田氏の乱以降福島県菊田荘に居す研究(長さん)

既に本ブログでは小山若犬丸が西暦1396~
7年、ないし、その少し前に、大将棋の史料
を作成しているかもしれないと、したうえで、
西暦1387年前後の茨城県笠間市付近の
難台山の小田氏の乱以降は、福島県いわき市
の菊田荘に潜伏していたので、そこで作成し、
その地に埋葬した可能性があるとしている。

どこを探せば、そんな史料が出るのか、あた
りを付けるのに、場所の情報が要ると見た

のである。しかし私が記載した時点で、その
「菊田荘に小山若犬丸が居る」という情報が
成書のうる覚え記載であった為、以下の成書
を再度チェックした。

結果中世東国史研究家、千葉大学名誉教授の
佐藤博信氏の研究を、「鎌倉幕府東国支配の
研究」等で江田郁夫氏が紹介している比較的
近年の説

である事が判った。
 「鎌倉幕府東国支配の研究」(高志書院/
江田郁夫/2008年)、84ページの記載
によると、それ以前には、鎌倉大草紙により、
渡辺世祐氏が、福島県田村市に小山若犬丸は
最期の福島県会津若松市までの移動以前は居
たとされていたとの事である。福島県田村市
が福島県いわき市に変わったのは、佐藤博信
氏からのようである。
 江田郁夫氏は、田村市よりいわき市の方が
可能性が高い理由として、西暦1404年に
いわき市の菊田荘を、鎌倉府の御料所として
いる「仰々しさ」をあげているようである。
 佐藤博信氏は、西暦1386年の若犬丸小
山城占拠以前の居所は、小山市付近、難台山
合戦以降が福島県いわき市菊田荘と、してい
るとの前記紹介成書の記載になっている。
 それに対して栃木県宇都宮市の元栃木県立
博物館の江田郁夫氏は、南北朝時代の菊田荘
の豪族が、小山氏一族の藤井氏・上遠野氏で
ある事等から、小田氏難台山の城の合戦以前
も、そしてそれ以降も小山若犬丸は、福島県
いわき市の菊田荘に居る事が、多かっただろ
うとしている。
 以上の結果から、近年は小田氏の難台山の
乱以降は、小山若犬丸の居所は、福島県田村
市ではなく、福島県いわき市遠野地区の何処
かであるとする説が、出てきている事は、前
記成書を信じる限りやはり確かなようである。
(2023/09/22)

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小山若犬丸が普通唱導集大将棋を残したいならどうする(長さん)

これまでの本ブログの史料調査は「何が
有るか判らないからヤミクモに探す」と
言うべき方法であった。実際にはそうで
あろうから、それで間違ってい無いので
あろうが。
 逆に今まで述べたように栃木県小山市
に関連する小山若犬丸は普通唱導集時代
の大将棋を熟知していたと疑われるので、
自分が小山若犬丸で、大将棋とはどんな
ゲームであるかを、半永久に残したいと
いう志を持っているとすれば、どのよう
な史料を、能動的に残すだろうかと今回
は、一例として考えてみた。

瓦状の”盤”四枚に、13×5段の初期
配列陣を4列5段20升目ずつに分けて
墨書し、4枚盤を重ねて間に粘土を挟ん
で地中に複数埋める

のではないかと、疑われる。
 その4枚盤の墨書内容は、順に以下の
ような感じだろう。

若犬丸1.gif

若犬丸2.gif

若犬丸3.gif

若犬丸4.gif

作ってから後で気が付いたが。駒名の文
字は、縦書きの可能性の方が大か?
 裏面には、「辺駒除玉将飛車成金将
成三枚酔象成太子麒麟成獅子鳳凰成奔王
此即駒百八枚応永太将碁 小山若犬丸」
とでも、縦書き墨書するのかもしれない。
 そもそも瓦4枚に初期配列を分けるの
は、瓦だと大きくするほど、割れ易くな
る為であり、4枚重ねて粘土で繋ぐのは、
厚いと、割れ難いからだと予想される。
 小山若犬丸ごときが、こんな史料を
造るのに財力が不足な訳も無く、何百年
後に、何処かに埋めて1組ぽっちでは、
山崩れが数百年間に何回かあったりして
後で見つける事が出来る、はずも無いと
当然考えるだろうから。瓦盤2~300
枚は用意して、そこらじゅうに、合計
数十組程度は埋設し、質より量で情報保
存を図っているとも、期待できるだろう。
 数十組作っても全国に分散させては、
見つかる可能性も低くなるだろうし、そ
れは行為自体難しいだろうから。自分が
かつて居していて、比較的作業がやり易
すかった場所の近くに集中して、埋めて
いるのではないかと思われるのだが。

 具体的にはその場所は、福島県いわき
市付近の菊田荘(現:遠野地区)

では無かろうか。栃木県小山市の小山城
周辺は、西暦1396年前後に一瞬奪還
しても、直後に要撤退は若犬丸には折込
済みだったに、記録の様子から見て違い
ないから。生まれ故郷の小山市周辺には、
神鳥谷曲輪で角行駒が出土してはいるも
のの、埋設大将棋瓦は無いような気も、
私にはする。
 何れにしてもこんな事は、当の本人に

やる気があるとすればが前提だが。

 比較的に長期間、若犬丸が平穏に過ご
したとみられる地点で、長時間かけて作
成して埋め散らすような気が私にはする。
 以上のような仮想史料は、掘り出した
ら水で洗って接着させている、間の粘土
の3層を、取り除いて墨書内容を読めば
どんな将棋だったのか、現代でも察しが
付くのは、当たり前なので、若犬丸の目
論見(?)は達成されるだろう。

出土したら、本ブログにとっても万歳三
唱だ。

 発掘報告書群を見るとかなり稀な、珍
しい物品に属すはずであり、類例は無い
ように認識するが。
 元々福島県いわき市何がし遠野町何が
しという地点は、今まで集中的に発掘調
査が行われた事の無い、栃木県栃木市星
野のごとくの言わば、「ルバロワ石核」
でも田んぼから忽然と出土しそうな一帯
なようである。仮に将来福島県いわき市
のその地点を発掘調査すると、ポツンと、
今述べたような粘土でくっついた瓦墨書
遺物盤が、我が国の考古学誌記録に現れ
ても、余り不自然感は、無いかもしれな
いと私は疑う。
 いわき市のホームページや、同市の教
育委員会発行発掘報告書を見れば判るが。
現地に南北朝時代に、栃木県小山市拠点
の小山氏の分家、藤井氏一族が居した事
は、文献に記録がある。しかしながら、
小山若犬丸が年単位で潜伏可能だった事
から明らかなように。その菊田荘

藤井氏一族の南北朝時代の館位置伝説等
は、どうやら記録が今に伝わってい無い

ようだ。その為、とっかかりが不足で、
事有っても、いわき市遠野地区を集中的
に調査する事が過去余り無かったらしい。
しかも、かなり広い面積が有るようだ。
 だから食器に比べて密度は低そうな、
前記のような形態の史料が出る予兆が、
今まで全く無かった事は、一応仮説と矛
盾してはい無いように私には思えるので
ある。(2023/09/21)

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