(コラム)本ブログが連続2500件達成(長さん)
西暦2016年11月初から始まった本ブログが、
おかげ様で1日も更新が欠ける事無く、2500日
を通過した模様である。
次回の目標は、将棋記事数2900件達成である。
奇しくもこの時期、高見友幸研究室の摩訶大将棋
を取り扱う事になった。その摩訶大将棋の、
記事コーナーは、290件ちょうどで現在しばらく
停止しており、切良くその10倍の記事数が次目標
という訳である。こう挑発して書き込みが再開する
のを、願うという意味を込め、前記、後1年強迄の
継続を、当方の当面の目標にたてた。高見友幸氏の
「研究室ブログの摩訶大将棋コーナー5」の記事数
が、よって増加すると、
当方のブログ継続の目標は逃げ水の如くに高くなる
事になる。
懸念要因は、windows10でwebがアク
セスし続けられるかどうかだと考える。win7で、
ネットに繋がらなくなった記憶が生々しいからだ。
それ以外は下世話なストップ要因が、幾らもあろう。
溝口和彦氏の遺産である、普通唱導集で唄われて
いる大将棋に関する、新しくかつ、決定的な史料が
発見され無いと、本ブログは原則的に「浮かび上が
れないもの」という、根本状況と見られるのだが。
ともかく、飛び飛び書き込みになっても良いから、
記事数を増やして、実質的に休止状態になっている、
高見友幸氏のブログの内、摩訶大将棋書込みよりも、
桁違いに多い記事数の駒数多数将棋に関するブログ
が存在するという状況をとりあえず作りたいものだ
と、ここまで来ると次の中間目標が、かなり簡単に
設定出来るようになったと考えている。(2023/09/15の2)
おかげ様で1日も更新が欠ける事無く、2500日
を通過した模様である。
次回の目標は、将棋記事数2900件達成である。
奇しくもこの時期、高見友幸研究室の摩訶大将棋
を取り扱う事になった。その摩訶大将棋の、
記事コーナーは、290件ちょうどで現在しばらく
停止しており、切良くその10倍の記事数が次目標
という訳である。こう挑発して書き込みが再開する
のを、願うという意味を込め、前記、後1年強迄の
継続を、当方の当面の目標にたてた。高見友幸氏の
「研究室ブログの摩訶大将棋コーナー5」の記事数
が、よって増加すると、
当方のブログ継続の目標は逃げ水の如くに高くなる
事になる。
懸念要因は、windows10でwebがアク
セスし続けられるかどうかだと考える。win7で、
ネットに繋がらなくなった記憶が生々しいからだ。
それ以外は下世話なストップ要因が、幾らもあろう。
溝口和彦氏の遺産である、普通唱導集で唄われて
いる大将棋に関する、新しくかつ、決定的な史料が
発見され無いと、本ブログは原則的に「浮かび上が
れないもの」という、根本状況と見られるのだが。
ともかく、飛び飛び書き込みになっても良いから、
記事数を増やして、実質的に休止状態になっている、
高見友幸氏のブログの内、摩訶大将棋書込みよりも、
桁違いに多い記事数の駒数多数将棋に関するブログ
が存在するという状況をとりあえず作りたいものだ
と、ここまで来ると次の中間目標が、かなり簡単に
設定出来るようになったと考えている。(2023/09/15の2)
大阪電気通信大学摩訶大将棋水無瀬配列改善まとめ(長さん)
これまで、玉囲いを一旦膨張させる為。オリジナル
の摩訶大大将棋/水無瀬兼成/将棋纂図部類抄版を、
19升目から21升目に拡張して、ゲームの出来を
チェックして来た。「将棋纂図部類抄よりも、やや
弱陣が良い」と結論出来たようなので、まとめとし
て、元の19升目陣に戻して、初期配列を書き直し
てみる。
水無瀬兼成/将棋纂図部類抄の摩訶大大将棋の
オリジナル初期配列は、以下の通りである。
結局「やや弱い陣の摩訶大大将棋/摩訶大将棋」
の初期配列は、以下のように表現されると結論出来
るように私は考える。
袖の市松模様の変更が見た目には目立つが、実際
には、2段目「猛豹」付近の配列の変動が「キモ」
となっている。
藤原定家の明月記の「四位(葉室)仲房只今病気・・」
の意味の項を見ても、摩訶大大将棋が考案計画され
た時代は、将棋のルールといえば、現代の中将棋/
130枚大将棋プラス狛犬程度の種類の駒の、動か
し方ルールが、将棋類のルールのほぼ全てだったの
ではないか。そして水無瀬兼成が複写した、曼殊院
将棋図、「摩訶大(大)将棋図の巻」は、配列を決
めた者の
政治的力で、統一性がかろうじて図られた程度の
コンテンツ
に過ぎない事を示している、一つの示唆事実なの
ではないかと、私は考えるのである。実際には、
日本の中世の人間は、ミャンマーのシットゥインの
ようなイメージで、それぞれの将棋種の配列の重み
を、さほど感じてい無かったのではないかと、私に
は疑われるという事である。(2023/09/15)
の摩訶大大将棋/水無瀬兼成/将棋纂図部類抄版を、
19升目から21升目に拡張して、ゲームの出来を
チェックして来た。「将棋纂図部類抄よりも、やや
弱陣が良い」と結論出来たようなので、まとめとし
て、元の19升目陣に戻して、初期配列を書き直し
てみる。
水無瀬兼成/将棋纂図部類抄の摩訶大大将棋の
オリジナル初期配列は、以下の通りである。
結局「やや弱い陣の摩訶大大将棋/摩訶大将棋」
の初期配列は、以下のように表現されると結論出来
るように私は考える。
袖の市松模様の変更が見た目には目立つが、実際
には、2段目「猛豹」付近の配列の変動が「キモ」
となっている。
藤原定家の明月記の「四位(葉室)仲房只今病気・・」
の意味の項を見ても、摩訶大大将棋が考案計画され
た時代は、将棋のルールといえば、現代の中将棋/
130枚大将棋プラス狛犬程度の種類の駒の、動か
し方ルールが、将棋類のルールのほぼ全てだったの
ではないか。そして水無瀬兼成が複写した、曼殊院
将棋図、「摩訶大(大)将棋図の巻」は、配列を決
めた者の
政治的力で、統一性がかろうじて図られた程度の
コンテンツ
に過ぎない事を示している、一つの示唆事実なの
ではないかと、私は考えるのである。実際には、
日本の中世の人間は、ミャンマーのシットゥインの
ようなイメージで、それぞれの将棋種の配列の重み
を、さほど感じてい無かったのではないかと、私に
は疑われるという事である。(2023/09/15)