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大阪府八尾市久宝寺南遺跡で弥生期泰山墨書土器(長さん)

表題の遺跡は後になり南遺跡と北遺跡に別けら
れたが、互いに至近であり、全体的に複数時代
の墨書遺物が出土しているとの旨本ブログでは
過去紹介している。とりわけユニークなのは、
弥生時代中~後期成立の、漢字のように見える
模様の有る弥生式土器が出土している事である。
以前に本ブログの独自の読みとして、「龍馬」
と読めるような、大きな煤模様の有る土器遺物
を紹介し「牧場主」の存在を示唆している。
 今回は、泰山と読める弥生土器が、弥生時代
の地層から久宝寺南遺跡で出土しているとの旨
の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
139339_5_久宝寺南その1.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
久宝寺南(その1)、1987年3月、
財団法人大阪文化財センター。
 発掘報告書冒頭の第1ページの調査に至る
経過により、遺跡の場所は大阪府八尾市西
久宝寺。遺物が出土したのは、冒頭例言によ
り、西暦1982年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、第2pdf第277ペー
ジ付近の記載により、遺物は第5遺構面に属す
る河川跡から出土し、弥生時代のものと考えら
れているように読取れる。中期後半とすれば、
西洋紀元前後、約2000年前の遺物である。
 遺物の写真は、発掘報告書第5pdfの、
写真図版第196:”D地区第5遺構面河川・
水田から水路出土遺物(2)”の左下に在り、
遺物番号で”第141-8、第1河川跡”と
付記されている、首の長い土器である。なお、
数字の141の意味が、スケッチ図として対応
しておらず、私には謎である。

久宝寺南泰山.gif

 上図のように、写真で右端に寄っているが、
首の中央部分に縦に、漢字で”奉山”のように
も見える、淡く暗い模様がある。
 渡来人の祭祀用の土器であり、日本の山岳部
で、鉱脈捜索をする際の成功と、安全を祈願
する、彼らの所有物なのかもしれない。つまり、
(疑)龍馬墨書土器の紹介の際も述べたが、
牧畜業をも営みながら、鉄製武具の製作・加工
を山に入って貴金属捜索を行いながら業とする、
弥生時代の渡来帰化人の、大阪近郊でのかなり
多人数の存在が疑われるように思われる。この
地点から、更に地方に乗り込んでゆく、渡来人
の日本列島での活動の起点が、弥生時代後期、
大阪府の八尾市付近に、存在したのでは、ない
のだろうか。(2024/05/09)

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