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カンボジア将棋オーク。ラオキムリァン氏より将棋(長さん)

新版・カンボジア語実用会話集(連合出版・
1995年)の巻末に索引・語彙という名称
で、簡易カンボジア日本語辞書が有るという
情報が、web上に存在する。今回は、表題
のように、その著者、ラオ・キム・リァン氏
及び、ラオ・えりか氏からの情報により、

カンボジアの将棋、オーク・チャトラング
または、オーク・シャトランジ(松岡信行氏)
のオークが、”将棋”という意味である

との旨を述べる。
 以前述べたように、カンボジア日訳辞書に、
オークが、ある種の鳥の事らしいという記載
がある。しかし、カンボジア日訳辞書は門外
漢に調査が容易な辞書ではない。オークのオ
という母音で始まる単語は、どうやらカンボ
ジア・クメール語では特殊なようだから、そ
の発音に似た単語が複数、分散して存在する
可能性がある。
 幸いweb上に、カンボジア語実用会話集
の巻末に、簡易カンボジア日本語辞書がある
という情報があった。ので、該成書を入手し
て、調べなおした。この簡易辞書は、

英語のアルファベット順に近いように、
カンボジア文字(クメール文字)とは無関係
に、発音記号順に、カンボジア語の単語が並
んでいる。

その為、oの項を引くと、直ちに、発音記号
”ok”が出てきて”①将棋、王手!。②(
ひじで)叩く。”との旨記載が発見

出来た。なお、オークの対応カンボジア文字
は、独立母音にオの母音記号を付けた字と、
一番簡単なkの子音記号の2文字単語との事
である。知っている人間には、たいした事が
無かったであろう。ともあれ以上から、

オーク・チャトラングとは”カンボジア将棋
のチャトラング(将棋)”の意味と判る。

ようするに中将棋の鯨鯢と同じで、将棋将棋
と二つ並べた、だけのようである。つまり、

オーク・チャトラングは、本ブログのように
カンボジア・チャトラングと訳しても、極端
に遠くは無かった

ようだ。これでめでたく解決と言う事だ。
(2020/11/01)

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福島県二本松市二本松家老屋敷跡で将棋駒出土か(長さん)

福島民友新聞2020年10月28日によると、
以下の発掘展で、表題の遺跡で出土したとみら
れる、出土将棋駒が展示されているそうだ。
【二本松】上級武士の暮らし紹介 二本松藩
家老屋敷の発掘展(場所:二本松市歴史資料館)

紹介した新聞記事のサイトは、以下の通り。
https://www.minyu-net.com/tourist/naka/FM20201028-551161.php

具体的に家老の名前が丹羽図書と挙がっている。
ただし丹羽図書は、丹羽浅見家の4~7代の通
称だと言う事である。
目下、私にはこれ以上の事は判らない。
出土したとみられる駒は、そうだとして江戸時
代成立の駒に、恐らく間違いは無いとみられる
が、続報を待ちたい。(2020/10/31)

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豊臣秀吉は1595年5月頭物品を振舞う(長さん)

以下、御湯殿の上の日記の秀吉の大将将棋の話
の続きである。
 本ブログでは、先に述べたように方広寺鐘銘
の豊臣秀次版のような働きを、後陽成天皇の使
用する将棋駒の玉駒問題が演じたのではないか
と、今の所疑っている。ずはり言ってしまえば、
後陽成天皇が”双王将で日本将棋を指したい”
と欲しているのに、豊臣秀次が”双玉に替える
よう”に主張して譲らなかった。そのため

豊臣秀吉が腹を立て、豊臣秀次に関白を辞して
豊臣秀頼に譲るように命令していたが、秀次は、
従わないのでトラブルになったというストーリー
を予想

しているのである。なお豊臣秀次と後陽成天皇
間のイザコザに、豊臣秀吉が割って入って来た
のは、水無瀬兼成が、後陽成天皇へ日本将棋駒
を贈呈した西暦1590年が、関白職に関して、
豊臣秀吉から豊臣秀次に交代する、ちょうど、
境の時期だった為と見られる。
 今回は続群書類従補遺三の御湯殿の上の日記
の、西暦1595年5月5日前後の記載を調査
し、その結果、

豊臣秀吉という人名が出てくるのが、5月3日
と5月5日に2回の計3回だけである

との旨と、豊臣秀次対後陽成天皇の間に仲違い
があり、間に入る意図が、豊臣秀吉に有りそう
だとの旨を以下に述べる。では説明を開始する。
 続群書類従の補遺三に御湯殿の上の日記の
1595年の記載が全部あり、問題の5月5日
付近の前後を見ると、豊臣秀吉とみられる人物
名は、5月3日と5月5日にしか出てこない。
5月5日のうち、後半の太閤(豊臣秀吉)が、
天皇の将棋を”大将へ王将を替えろ”との主旨
である。
 その他の2回は、皇室に判るように何らかの
物品を、300羽引き出物として配ったとの旨
(1595年5月3日)と、同じく何らかの物
品を1000疋、振舞った(1595年5月5
日)という記載である。振舞ったのは、

関白と皇室との間で、何か気まずい事が有った
ので、お詫びのために、贈答品を出した

と取れる。また、豊臣秀吉の存在を強調したと
も取れる。
 前者に関しては、簡単に言うと後陽成天皇の
使用する将棋の玉駒を巡って、後陽天皇成側は、
水無瀬駒の玉将を王将に替えてほしいと主張し
たが、豊臣秀次が”そのまま玉将で良い”と主
張して

譲らなかったので、喧嘩になった

という事があるとすれば、説明が簡単であろう。
だから、喧嘩両成敗のつもりで、

”それなら(皇族の使う)将棋の玉は大将では
どうですか”と言ってみた(1595年5月5
日の御湯殿の上の日記後半)と考えれば、説明
が簡単

だ。そして重要な点は、かたくなな豊臣秀次が、
①藤原隆家が後一条天皇へ手配した原始黄金
玩具将棋の玉駒が、ネフライト製ホータン玉駒
である事を、子孫の婿養子の水無瀬兼成から聞
いていて知っているし、
②白河天皇の時代に大江匤房が、9×9升目の
標準型平安小将棋を制作した時点で、双王型に
したのだが、勝手にそうしただけだという事も
知っているし、
③関白として藤原忠実の流の一人ある豊臣秀次
としては、双玉を推薦する立場に本来あるとい
う事も、豊臣秀吉と違って知って居た。

つまりは①~③が全て、お見通しだったと、恐
らく仮定できるという点

だろう。つまり、知識が余りに有りすぎる人間
同士によって、16世紀も終わりごろになって、
11世紀の日本の将棋の玉駒を巡る

院政期の院対摂関家のイザコザが蒸し返された

という事なのではないのだろうか。
 これでは、天皇も抱きこんで、大坂幕府を安
定化させようとするのが自身の立場の、

豊臣秀吉が怒るのも、当然と言えば当然だった

のであろう。つまり、秀次切腹の顛末について、

豊臣秀次が、余りに将棋史に詳しかった事が、
豊臣政権にとって、命取りになった可能性も、
全く無いとは言えないのではないか。

以上のように大胆だが、依然本ブログでは以上
のような疑いを持つのである。(2020/10/30)

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1960年頃作アメリカ・ジェタンのチェック(長さん)

梅林勲・岡野伸著の世界の将棋(2000)
によると、西暦1960年代初期に、アメリカ
のSF小説家とみられる
エドガー・ライス・バローグスが、ジェタンと
いう名称で、10升40枚制のチェスを発表し
ているとの事である。ほぼ典型的なチェス類で
あるが、天竺大将棋の副将型の動きをするとい
う点で、駒の動きが特殊である。今回は、小説
の中で、たまたま現われただけとみられるが、
ゲームとしての造りの良し悪しをチェックして
みた。回答から書くと、小説の内容に合わせる
ため、最終的にルールを変更しているので駄作
になったのだが、基本的に途中までは、真面目
に調節した形跡のあるゲームである。
 では報告する。
 以下は、以降のチェックで間違えないように、
駒名を工夫した、このチェス類ゲームの初期配
列である。

ジェタン初期.gif

ただし、副官と王子は、天竺大将棋型の3升目
までの動きをし、王子は跳び越え可能である。
力士、金剛、飛龍、猛牛で象、駱駝、馬、車位
置駒を表現したが、曲がりながらも動けるので、
注意が必要である。中馬は、中国シャンチーの
馬の動きとみられる。三歩はこの将棋の神殿駒
であり兵の類。インドの中世将棋、
ハリハラチャトランガと同じく、3歩まで歩め、
駒を取るときには、斜め前動きだとみられる。
その他、王子はゲーム中1回だけ、自在天王の
ように動けるが、相手駒はそのとき取れない。
勝負は王子を取れば勝ちだが、司令官を司令官
で取っても勝ち。ただし、司令官を司令官以外
の駒で取ると、引分けになってしまう。以下で
は、引分け回避で指すを一応仮定した。また、
双方3枚以下になったときには、詰みの手筋が
有っても、長手数(11手以上)になるときに
は、引分けになる。
 ゲームを進めると、一例として、次の局面に
到達する。

ジェタン途中.gif

この局面では、後手王子は詰んで居るようにも
見えるが、自在天王動きをして、逃げてしまう。
 更に進めると、以下の局面に到達して、この
ケースには引分けで終わる。

ジェタン指了.gif

このゲームは、やはりザッと指すと、引分けが
多そうである。
 前記の途中局面で指了になるのなら、まあま
あの出来なので、

小説の内容に合わせるために、細則を調整した
り、終端条件を変えたのが、ゲームとしての出
来に響いた

ようだ。だからエドガー・ライス・バローグス
は、ゲームデザイナーとしても、それなりの腕
を持つ人物ではあったようである。(2020/10/29)

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1960年アメリカのチェス”ジェタン”は何者(長さん)

梅林勲・岡野伸著”世界の将棋”(2000)
19ページに、西洋チェス類として”ジェタン”
というゲームが記載されている。今回は、駒数
多数チェス類として普及したゲームなのかどう
かを問題にする。回答から書く。

”こちら亀有公園前派出所”の4人将棋と同じ
であり、SF小説の中で、チョイ役で現われた
だけと見られる。

では、論を開始する。
 世界の将棋によれば、これは西暦1960年
代初期に、アメリカのSF小説家、エドガー・
ライス・バローグス(Burrowghs)が、
”人気者マーチン”とみられる表題のSF小説
で発表した、仮想の火星人チェスとの旨で、
紹介されている。web上に”火星人のチェス”
としてゲーム名が、今も散見される。
 10×10升目で駒数は40枚、2段目が最
前列である。玉駒を中央右に置き、王子が玉。
副官は中央左で司令官。どちらも、天竺大将棋
の副将の動きで、袖駒も、方向が制限されかつ
歩数が少なくなるが、同系統の動きをする。
ただし、玉の王子は跳び越えが可能なだけでな
く、ゲーム中一回だけ、跳び越えない条件で、
副将型の動きが10升分できる。そのときには、
相手駒を取れない。
 袖駒の象・駱駝駒は、猫叉動きで折れ曲がら
なくても良い自由と、嗔猪動きで折れ曲がらな
くても良い自由動きを3回する。跳び越え不可。
名称は意味が私には良く判らないが、オドワー
ル(またはフライヤー)、ドワールとしたよう
だ。
 その更に袖に本来の馬位置と車位置に駒が有
るが、たまたまそうしたのだろうが天竺大将棋
の副将のような動きであって馬や車とは別であ
り、猫叉動きで折れ曲がらなくても良い自由と、
嗔猪動きで折れ曲がらなくても良い自由動きを
2回する。駒の名称は、パドワールとテオンと
の事である。
 本来の馬駒は、端筋のポーン位置にあり、
シャンチーの馬同様の動きで、塞馬脚が有る。
ソートという名前らしい。
 ポーンは神殿(パンテオン)という名称に変
わるが、跳び越え不能で3升目まで前進できる。
不成りである。
 通常は王子を取られると負けだが、司令官で
司令官を取っても勝てる。しかし、

司令官が、相手の司令官以外の駒で取られると、
引分けでゲームが終わる

という謎のルールも有る。引分け必然の疑いが
有る。また駒枯れ引分けルールも有り、同一の
強さの駒が、双方に3枚以下づつ残るだけにな
り、以降10手で勝負が付かないと見られる場
合、引分けになるとされる。以上一応、ゲーム
としての体裁は整えてあるようである。つまり
1段目駒を、

天竺大将棋の副将動きにしている理由が謎だが、
通常の西洋チェスのパターンを、一応踏襲して
いる地球人のチェスと、判断は出来そうである。

 問題はこのゲーム以前に類似なゲームがあり、
その拡張かどうかであろう。私が知りえる限り
だが、斜めは無理だったと記憶するが、類似の
試作チェス型ゲームを、このゲームより成立後
に、東京都千代田区の奥のカルタ店で見かけた
記憶がある。
 嗔猪動きで折れ曲がらなくても良い自由動き
を1~4回出来るというチェス様ゲームだった
と記憶し、私は購入している可能性が有る。が、
前世紀の1970年代の話だと思うので、はっ
きりしない。今回紹介した、世界の将棋の
ジェタンの方が、私の接した新作ゲームより、
成立は先のはずである。

ゲーム系統樹としては弧立に近く、SF作家が
即興かつ思いつきで作ったもの

であろう。
 さて、そこでこのゲームの実像を更に探る為、
SF小説”人気者マーチン”につき、web上
で調査をした。すると、

日本番組名を”ブラボー火星人”とする、日本
では1964年の東京オリンピックの前後の頃
に、ニッポン放送で放映された、SF小説の
テレビドラマ化したもの

である事が判る。個人的に、私は何回か”三バ
カ大将”と組み合わせて、このテレビ番組は見
た記憶がある。よってwebの情報に間違いな
いは無いと思う。更にwikipediaには、
毎回のタイトルも載っている。それを見る限り、
問題のジェタンは、

ワンカットシーンで、何処かに現われた程度の
ゲームであり、物語りの流れの主要な部分では
なさそう

である。私が記憶する範囲では、どこで放映さ
れたか判らない。
 王子が副主人公から、司令官が主人公の火星
人のマーティン氏から準えたようにも見え、

火星人のマーチン氏が物語り中でも、でっち上
げた臭いという設定の、火星人のゲームとされ
るもの

という、事だったのかもしれない。ただし原作
者は、頭をひねって考え出した事だけは、ほぼ
確かだと見られる。
 何れにしても直線動きを天竺大将棋副将型に
しただけで、単に西洋チェスを、大幅ではある
ものの、単に変形させた作り物のゲームであり、
元になる、有る程度指されたゲームは、恐らく
無いのであろう。そして逆に、ジェタンにヒン
トを得た同様の名称のゲームが、日本の奥野
カルタ店で、西暦1970年代頃に、一時的に
売り出された事も有るというのが、実体だろう。
だから、冒頭の結論に書いたように、基本的に
は指された事の無いゲームと、言って良いので
はないかと、今の所一応、私は考えている。
(2020/10/28)

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今昔物語は”夜中”の使い方が近世(長さん)

摩訶大大将棋、摩訶大将棋の成立年代の問題
に関連して、内容的に山姥が出てくる、
今昔物語の成立年代の特定を、以前から本ブ
ログでは問題にしている。以前に、辰刻から
午刻までの時間が、平安時代の”時の奏”の
存在する時代には、きっちり4時間ではなく
て、2時間強から4時間までの不確定性が有
る事から、その認識の感じられない今昔物語
の一部の説話に関して、中世鎌倉時代中期以
降の成立ではないかとの旨を論じた。今回は、
表題のように、

”夜中”が午前0時きっちりを指しているよ
うであり、上代から中世前期の、春・秋、昼
夜中分時期に22時48分~翌日1時12分
的では無い

との旨の議論をする。では以下に議論を開始
する。
 岩波書店の新日本古典文学大系(2001)
には今昔物語集索引の冊が別冊にあり、問題
の”夜中”が、以下の箇所に書かれていると
ある。なお○内の数字は新日本古典文学大系
の巻数を表している。
③424ページの5行目。425ページの
14行目。
④79の3行目。254の5行目。349の
1行目。
⑤24の5行目、119の1行目。153の
1行目。164の1行目。321の6行目。
 この中で、特に第③巻の”夜中”が顕著な
のであるが、何れも

”午前0時過ぎに”と意訳できるような内容

に私には見える。
 ところが、平安時代の院政期頃には、夜間
の時制は、5分割された”更点法”を用い、
日暮れ、宵、夜中または夜半、暁、夜明けの
5領域に分割されていた旨が、以下の成書に
ある。
岡田芳朗編”暦の大事典”、朝倉書店
(2014)、第12章日本の時刻制度。
 それによると、夜間の時制は上代から不定
時法であったものの、巾を決めて時刻が表現
され、春分少し前か秋分少し後の、昼夜が
ちょうど12時間00分に中分される季節に、
以下のようになっていたとされる。(地方時)
日暮:18時00分~20時24分。
宵口:20時24分~22時48分。
夜中:22時48分~01時12分。
暁口:01時12分~03時36分。
夜明:03時36分~06時00分。
従って、

夜中過ぎとは、01時12分より少し後の事
であり現代のように午前0時過ぎを指さない。

源氏物語等で、夜中という熟語が使われるが、
”夜中になって、それを過ぎ”と書かれ、
夜中という時刻に巾が有る事が判る。

所が今昔物語の夜中は、0時0分というポイ
ント時刻を指すような、ニュアンスになって
いる。

具体的に第3巻の424ページの5行目、
425ページの14行目、実際にはもう一箇
所有って、426ページの第1行目を見ると、
夜中という時刻に巾が有るように、私には読
めない。
 その為、あたかも

安土桃山時代頃に、今昔物語が成立している
かのように、私には個人的にだが感じられる。

本ブログの管理人は、古文文法に詳しく無い
為、以上の記載は流動的だが。
 前回議論したときにもそうだったが、
今昔物語は、時刻表現が妙に近代的であり、

今昔物語の成立年代のnet上の通説につい
ては、その点に関して妙な所がある。

以上の心象を、今回は個人的に強く抱くよう
になったのである。(2020/10/27)

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藤原道長日記1015年4月10日御覧のみ(長さん)

以前に藤原道長は、孔雀と、
(仮説)原始平安小将棋具を一族で入手し
たとしたら、北宋百科辞典の太平御覧にて、
両方について、内容確認するだろうとの旨
の推測をした。しかし実際としてはその時、
講談社の藤原道長御堂関白記(2009)
から、”個別、孔雀に関しては御堂関白記
にあるように百科辞典の『修文殿御覧』に
て確認した”という証拠しか無いと、私は
以前は認識していた。
 しかし、それは

誤りだ。

御堂関白記の原文に”修文殿”が

抜けている

のを、次の書籍で発見した。
藤原道長「御堂関白記」を読む、倉本一宏
著、講談社選書メチエ(2013)。
 古文書の写真が今述べた書には掲載され、

”御覧”としか、書いてない。だから、ど
ちらとも取れると見られる。

以上が結論だが、以下に説明を加える。
 講談社選書メチエ(2013)の方には、
170ページ付近に、倉本一宏氏の解説が
ある。それによると藤原道長の御堂関白記
の西暦1010年8月29日の所に、書物
を収集した旨と、その中のリストに、
修文殿御覧が入っているとの旨記載がある。
つまり倉本氏は、藤原道長が西暦1015
年4月10日には、

わざわざ、他人や他所の百科辞典を見には
行かないだろうと、仮定している

と取れる。
 そこで講談社の藤原道長御堂関白記”中”
(2009)の中身を見ると、6種類の書
籍の名前が羅列されていて、その一つに、
”修文殿御覧”が、確かに入っている。
 以上の事から、確かに御覧は修文殿御覧
の事を指している確率が、高いと私も見る。
 しかしながら、

将棋具や孔雀に接したときに、藤原道長が
どの御覧で調べたのかについては、厳密に
は確定しない

と、私には確認された。つまり、藤原道長
の居所に太平御覧が無くても、大内裏や、
たとえば火事対応で臨時の、別の場所に
太平御覧が有れば、たまたまそれで”孔雀”
を調べてみる可能性も、無いとは言えない
と言う事だと私は考えている。(2020/10/26)

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カンボジアオークチャトラング。オークは鳥(長さん)

岡野伸・梅林勲著の世界の将棋には
シャッツロンという名で載っている、
カンボジア象棋またはカンボジアチェス
は、解明:将棋伝来の『謎』や、
高橋浩徳著・伝統ゲーム大事典、
朝倉書店(2020)では、
オーク・チャトラング、または
オークチャトラング等とされている。
では、チャトラングはシャッツロンの
同類として、”オーク”は何なのかを
ここでは問題にする。回答から書く。

名詞の”樹木”や冠詞ではなくて”鳥の
一種”のようである。

では、議論を開始する。
 名称が変わった事に関しては、
松岡信行氏の前記著書
”解明:将棋伝来の『謎』”2014
大阪商業大学アミューズメント研究叢書
に書いてある。
 残念ながら、今の所私には調べてもよ
く判らないが、

シャッツロンとチャトラングは、日本語
のカタカナを無理やりつけた、原音に
余り近くない、同一語と推定して良い

ように思われる。どちらもシャトランジ
に似ているので、そのクメール語訳だろ
う。問題は、冠詞のように見える、”オー
クだと考えられる。が”東南アジアの
樹木”の事では、カンボジア語のケース
は無いらしい。
 マレーシア語だとすれば、オークは、
”木の類”の事のようなのだが。以下の
辞書に、そのような情報は今の所見つか
らない。
カンボジア語辞典、坂本恭章、大学書林、
西暦1988年。
この書の506ページに、?):kとい
う発音記号が付いていて、鳥の一と記載
されている。

音を借りたが、マレーシア語の木が、カ
ンボジア語ではたまたま”鳥”になった

ように、私には見える。
 よって”オーク”には、余り大きな意
味がないのかもしれない。”カンボジア
で著名な鳥”の意味であろうか。そこで
本ブログでは、以下カンボジアの象棋は、
オーク・チャトラングではなく、予定で
は、”カンボジア・チャトラング”と表
記したいと考えている。(2020/10/25)

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高浜Ⅰ遺跡出土、将棋駒の裏面の写真(長さん)

以前述べたように、戦国時代、16世紀初頃の
将棋盤の出土で知られる島根県出雲市高浜遺跡
からは、将棋駒も出土している。
以前私は、これらの将棋駒に関し一方の方の
写真のみ見ていた。が、最近別のもう一枚の写
真が載っているweb上のサイトを発見した。
robounosasa氏の近況雑感 rakutenブログ
December 22, 2010
urlは以下の通り。
https://plaza.rakuten.co.jp/ennkaku/diary/
 写真は、以下のようなものであり、たぶん
西暦2010年12月に新聞発表されたものと
同じであろう。左の駒は以前、本ブログで□将
駒と紹介した記憶が有る。右側は、今回がたぶ
ん始めてだ。

島根県出雲2駒.gif

右側のもう一枚だが、こっちの方も何の駒かは、
私には判らない。写真を見る限り、墨跡が有る
ようにも私には見えるが。(2020/10/24)

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太平御覧の項目名は象経、象戯、象戯経(長さん)

日本に残刷が多数残り、藤原道長が目に
できる10世紀出版の中国北宋王朝時代の
百科辞典、太平御覧の将棋関連項目名につ
いて、再度以下では議論する。結論から述
べると項目名が何になっているのかに関し

依然不明だが、”芸文類聚”と類似であり、
象経、象戯、象戯経の何れか

であると見られる。
 では、議論を開始する。
 唐王朝時代初期に出された、辞書
”芸文類聚”には、以下のように書いてあ
るとの情報が、web上にある。

象戯
周武帝造象戯。王褒爲象經序曰、一曰、天文、
以觀其象、天日月星是也。二曰、地理、以法
其形、地水木金土是也。三曰、陰陽、以順其
本、陽數爲先本於天、陰數爲先本於地是也。
四、時……、五曰、算數……、六曰、律呂……、
七曰、八卦……、八曰、忠孝……、九曰、君臣
……、十曰、文武……、十一曰、禮儀……、
十二曰、觀徳……

情報元のwebサイトは、以下の通り。

https://sites.google.com/site/2hyakka/shogi/shogikyo

上のサイトには”芸文類聚”と”太平御覧”
の項目名は、近似との旨の情報がある。
 以上の事から、当時京都の大内裏に仮に、
”芸文類聚”が有れば、藤原道長は、それ
にも接し得たであろうから、象戯という熟
語は知りえたが、

意味は掌中歴に、囲碁の名人、双六の名人、
その他のゲームルールを足して書いたよう
な書物(象+戯)の事と理解したはず

だと、推定できるだろう。そして、前記
サイトから、藤原道長も読んだかどうかは
不明だが、少なくとも百科辞典太平御覧の
将棋関連項目名は、象経、象戯、象戯経の
どれかであるらしいと判る。
 藤原道長は修文殿御覧しか読んだという
証拠は無いため、中国北宋王朝時代の”
将棋”が理解できたという確証は無い。
 北周武帝の象経著作よりも、修文殿御覧
の成立の方が、早いと私は認識している。
そして太平御覧の推定項目名は象戯だとし
ても、北周武帝作の象経序文が、実質紹介
内容だと判れば、これ以上は取りあえず、
全体としての議論へは響かないように考え
る。
 なお多分だが、出来の芳しくないゲーム
との認識で、イスラム諸国のシャトランジ
を、他の貴族と同じく藤原道長が、ぼんや
りと知っていただろうと、依然本ブログで
は考える立場を取る。安倍晴明が太平広記
を読んでいたとすれば、宝応将棋もイスラ
ムシャトランジも安倍晴明には判って、藤
原道長には、宝応将棋が全く判らないと言
う事は、もしかすると有ったかもしれない。
 ともあれ太平御覧の実質的な内容である
象経の紹介について、項目名を何にしてい
たのかについて、今後機会が有ったら、正
確に確認する事にしたい。(2020/10/23)

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