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岩手県立博物館/盛岡市で柳之御所歩兵写真を展示(長さん)
この記事を書いた約一週間前に公開された、TBSテレビ
のページからの情報として盛岡市に在る、岩手県立博物館
で、囲碁と将棋の東北地方への伝来に関する展示会があり、
本ブログで以前に、オモテ面の右側余白に「右八ケ(改行)
歩」の筋状模様がある疑いを指摘した、柳之御所遺跡の
歩兵駒の、裏オモテ写真が掲載されているとの旨のweb
情報があるようだ。ページのURLは以下のサイトである。
エイチティティピーエス://newsdig.tbs.co.jp/articles/
gallery/1659613?image=15
「TBSで西暦2025年1月10日に放送」との旨、
記載が有るようだ。
ガラス越しの写真の画像で、以下のようになっている。
![柳之御所放送分.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E69FB3E4B98BE5BEA1E68980E694BEE98081E58886.gif)
ガラスに、手前の「囲碁の説明」パネルが重なって写り、
更に、写真に当たった光も乱反射していて、上図の
webに公開された像は、条件がかなり悪い。
良く見ると、上図で矢印で示した縦の複数線の上部が、
歩の小の部のよう
である。つまり、このweb情報から、「右八ケ(改行)
歩」の4つの模様のうち、「歩」は、実際に有る可能性
が高まったとは結論出来る。
画像から、現物の展示では無くて写真である上に、展示
室のガラス越しである為、
盛岡の岩手県立博物館の展示品から、字の確認は多分無理
だと察せられると私は疑う。前記の極細く小さい4文字を
確認する目的だけで、展示会へは行か無い方が良いという
事の判る、参考となる、テレビ局放送だったようだと私は、
このニュースを評価している。(2025/01/18)
のページからの情報として盛岡市に在る、岩手県立博物館
で、囲碁と将棋の東北地方への伝来に関する展示会があり、
本ブログで以前に、オモテ面の右側余白に「右八ケ(改行)
歩」の筋状模様がある疑いを指摘した、柳之御所遺跡の
歩兵駒の、裏オモテ写真が掲載されているとの旨のweb
情報があるようだ。ページのURLは以下のサイトである。
エイチティティピーエス://newsdig.tbs.co.jp/articles/
gallery/1659613?image=15
「TBSで西暦2025年1月10日に放送」との旨、
記載が有るようだ。
ガラス越しの写真の画像で、以下のようになっている。
![柳之御所放送分.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E69FB3E4B98BE5BEA1E68980E694BEE98081E58886.gif)
ガラスに、手前の「囲碁の説明」パネルが重なって写り、
更に、写真に当たった光も乱反射していて、上図の
webに公開された像は、条件がかなり悪い。
良く見ると、上図で矢印で示した縦の複数線の上部が、
歩の小の部のよう
である。つまり、このweb情報から、「右八ケ(改行)
歩」の4つの模様のうち、「歩」は、実際に有る可能性
が高まったとは結論出来る。
画像から、現物の展示では無くて写真である上に、展示
室のガラス越しである為、
盛岡の岩手県立博物館の展示品から、字の確認は多分無理
だと察せられると私は疑う。前記の極細く小さい4文字を
確認する目的だけで、展示会へは行か無い方が良いという
事の判る、参考となる、テレビ局放送だったようだと私は、
このニュースを評価している。(2025/01/18)
埼玉県入間市新久窯跡で9C泰山墨書土器(長さん)
今回は、武蔵国分寺との繋がりのある土器窯で、
平安時代初成立の奉山墨書土器が出土し、複数
存在するようであるが、冊子にかなり鮮明な墨
跡が、須恵器ような土器に有る画像が、載って
いるとの旨の紹介である。武蔵国分寺での祭祀
内容を、示しているようである。
場所は表題のように、埼玉県入間市の、西武
池袋線の仏子駅の南、現在の入間市新久付近の
ようであり昔の地名は「東金子」と言うらしい。
今回の遺物は、書籍状に綴じられた冊子の
発掘報告書に載っており、今のところweb上
に発見され無い。
冊子の書誌は、以下の通りである。
復刻武蔵新久窯跡、立正大学/坂詰秀一、西暦
1984年、雄山閣出版㈱。
発掘報告書形式の本コンテンツ冒頭例言によ
り、遺跡の場所は繰り返すと埼玉県入間市新久。
遺物が出土したのは、西暦1963年または、
西暦1969年、ないしその近辺のようである。
遺物の成立年代は、平安時代初の9世紀前半
のものと、古文書との対応から推定されており、
武蔵国分寺の、建造時代よりは下るが、それに
関連する、瓦等の窯もとであり、遺物として大、
本、山等の、神仏習合を連想させる複数の墨書
瓦が出土する事で、知られているようである。
なお墨書の文字については、地名との関連が、
注意深く調査、されているようである。
遺物の写真は、発掘報告書形式のコンテンツ
の写真図版第97:”E地点第1号住居跡出土
遺物(Ⅱ)”の、2段目左に在り、そのページ
の遺物第3番との旨、ナンバリングされていて、
須恵器の土器であると見られているようである。
![東金子泰山.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E69DB1E98791E5AD90E6B3B0E5B1B1.gif)
上図のように、中央下部に明確に漢字で「山」
の、濃い模様があり、その左上に、「山本」な
いし、一字で「奉」のようにも見える、より、
濃い模様が在ると見る。「奉山」土器の一つだ
が、近郊の丘陵に広がる山を奉じているか、
ないしは武蔵国分寺等の、山岳信仰を習合した
寺等で使う為の、窯もとで焼いた土器のようで
もあると私見する。
古代の国分寺での祭祀が、どのようなもので
あるのかを示す、貴重な遺物の一例なのだろう。
(2025/01/17)
平安時代初成立の奉山墨書土器が出土し、複数
存在するようであるが、冊子にかなり鮮明な墨
跡が、須恵器ような土器に有る画像が、載って
いるとの旨の紹介である。武蔵国分寺での祭祀
内容を、示しているようである。
場所は表題のように、埼玉県入間市の、西武
池袋線の仏子駅の南、現在の入間市新久付近の
ようであり昔の地名は「東金子」と言うらしい。
今回の遺物は、書籍状に綴じられた冊子の
発掘報告書に載っており、今のところweb上
に発見され無い。
冊子の書誌は、以下の通りである。
復刻武蔵新久窯跡、立正大学/坂詰秀一、西暦
1984年、雄山閣出版㈱。
発掘報告書形式の本コンテンツ冒頭例言によ
り、遺跡の場所は繰り返すと埼玉県入間市新久。
遺物が出土したのは、西暦1963年または、
西暦1969年、ないしその近辺のようである。
遺物の成立年代は、平安時代初の9世紀前半
のものと、古文書との対応から推定されており、
武蔵国分寺の、建造時代よりは下るが、それに
関連する、瓦等の窯もとであり、遺物として大、
本、山等の、神仏習合を連想させる複数の墨書
瓦が出土する事で、知られているようである。
なお墨書の文字については、地名との関連が、
注意深く調査、されているようである。
遺物の写真は、発掘報告書形式のコンテンツ
の写真図版第97:”E地点第1号住居跡出土
遺物(Ⅱ)”の、2段目左に在り、そのページ
の遺物第3番との旨、ナンバリングされていて、
須恵器の土器であると見られているようである。
![東金子泰山.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E69DB1E98791E5AD90E6B3B0E5B1B1.gif)
上図のように、中央下部に明確に漢字で「山」
の、濃い模様があり、その左上に、「山本」な
いし、一字で「奉」のようにも見える、より、
濃い模様が在ると見る。「奉山」土器の一つだ
が、近郊の丘陵に広がる山を奉じているか、
ないしは武蔵国分寺等の、山岳信仰を習合した
寺等で使う為の、窯もとで焼いた土器のようで
もあると私見する。
古代の国分寺での祭祀が、どのようなもので
あるのかを示す、貴重な遺物の一例なのだろう。
(2025/01/17)
都立図書館加賀藩前田家写本将棋纂図部類抄web公開(長さん)
かなり以前の事だが、本ブログ管理人が、都立図書館
に出向いてコピーした、都立図書館蔵の加賀藩前田家
写本将棋纂図部類抄は、4年前にweb上に公開されて
いる事が最近判明した。将棋纂図部類抄図柱書き表現で
「摩訶大大将棋図/駒成の図」も、実は熊澤良尊氏の
ブログだけでなく、そこでも公開されていた。urlは、
以下の通りである。
エイチティティピーエス://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/
da/detail?tilcod=0000000015-00212434
FaceBookで「webにも無償で都立図書館
が公開した」件は広報されており、webへの公開開始
日付は西暦2021年2月24日であったようだ。
つまりこの記事を書いている約4年も前に、公開されて
いたの事であった。熊澤氏ブログの、縮小され細部が
ぼやけて曖昧な情報だけ表示し、誠に申し訳無かったと、
皆さんに対し、私よりお詫び申し上げる。
そのとき紹介した通り、水無瀬宮版の巻物の将棋纂
図部類抄と異なり、都立図書館蔵の加賀藩前田家写本
将棋纂図部類抄の、「摩訶大大将棋の各駒成の図」に、
水無瀬宮版巻物では6六升目の角に有った聖目は、
下記のように、特に検知され無い。
![摩訶大大将棋成り前田.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E691A9E8A8B6E5A4A7E5A4A7E5B086E6A38BE68890E3828AE5898DE794B0.gif)
前田藩では、摩訶大大将棋の駒の成りは、単純に相手
駒を取ったときと考えていたとしか、本ブログ管理人
には理解出来無い、図の形である。蛇足だが、それに
基づき、熊澤良尊氏は、摩訶大大将棋の将棋盤を作成す
る際、最新盤では、聖目を抜いて作成されているようで
ある。(2025/01/16)
に出向いてコピーした、都立図書館蔵の加賀藩前田家
写本将棋纂図部類抄は、4年前にweb上に公開されて
いる事が最近判明した。将棋纂図部類抄図柱書き表現で
「摩訶大大将棋図/駒成の図」も、実は熊澤良尊氏の
ブログだけでなく、そこでも公開されていた。urlは、
以下の通りである。
エイチティティピーエス://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/
da/detail?tilcod=0000000015-00212434
FaceBookで「webにも無償で都立図書館
が公開した」件は広報されており、webへの公開開始
日付は西暦2021年2月24日であったようだ。
つまりこの記事を書いている約4年も前に、公開されて
いたの事であった。熊澤氏ブログの、縮小され細部が
ぼやけて曖昧な情報だけ表示し、誠に申し訳無かったと、
皆さんに対し、私よりお詫び申し上げる。
そのとき紹介した通り、水無瀬宮版の巻物の将棋纂
図部類抄と異なり、都立図書館蔵の加賀藩前田家写本
将棋纂図部類抄の、「摩訶大大将棋の各駒成の図」に、
水無瀬宮版巻物では6六升目の角に有った聖目は、
下記のように、特に検知され無い。
![摩訶大大将棋成り前田.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E691A9E8A8B6E5A4A7E5A4A7E5B086E6A38BE68890E3828AE5898DE794B0.gif)
前田藩では、摩訶大大将棋の駒の成りは、単純に相手
駒を取ったときと考えていたとしか、本ブログ管理人
には理解出来無い、図の形である。蛇足だが、それに
基づき、熊澤良尊氏は、摩訶大大将棋の将棋盤を作成す
る際、最新盤では、聖目を抜いて作成されているようで
ある。(2025/01/16)
大将棋陣袖弱より後手早期△1九麒麟(3九)狙有るか(長さん)
今回も以前に引き続いて、麒麟のルールを2筋から1筋
に横に1目でも端筋に移動する場合だけは出来、端筋横
動き移動の、第3筋または第2筋からの際の、相手攻撃
によるその麒麟の討ち取りが直ちには出来無いという、
特殊な変更を施した、取り捨て大将棋のゲームのゲーム
の出来への影響の考察である。
この事を説明すると、後手にとって、相手の先手陣の
第十段へは、麒麟を1九の位置へ到達させ、次いで2十
位置へ移動させることにより、2十の位置から入る着手
の発生確率が増え、かつ1九の位置で、先手の反車や
香車で捕獲されるような着手が1手猶予されると、尚更
2十の位置への突入が狙えるので、将棋がこの手直し変
更で、がらりと、変わらないのかという疑問が、湧いて
くるという事である。
だがたまたまだったが、本ブログ版西暦2017年型
13×13升目108枚制普通唱導集大将棋の場合は、
このゲームに限りその問題は、ほぼ無い。
2十位置の守りが固いからである。概ね他の日本将棋類
では、袖から第2筋目の歩兵位置が、ほぼ他の場合は全
て手薄なので。1九の位置を、麒麟で狙う手は有効なの
だが。普通唱導集の大将棋に唄われている問題を、解決
する為に、そもそも元の第2筋3段目の横行の配列を、
飛龍に変えた上で、その下の
2段目に猛牛を置く交換をしたので、この将棋種では、
たまたまだったが、第2筋の歩兵の居る2十位置は守り
が固い
のである。
つまり、今述べた戦法で、麒麟に特別なルールが付与
された事を使って、端の相手陣直前位置狙いという手筋
で攻めるのも、本ブログ版の西暦2017年型大将棋に
関してだけだったのだが、有効とは考え難いという事が
有るのである。
南北朝時代に想定された否定的状況に、意外な抜け道
が有ったという事である。なお他に更に何か問題が無い
かどうか。依然として捜索してはいる。がデザインした
本人には、まだ発見されて居無い状態だ。(2025/01/15)
に横に1目でも端筋に移動する場合だけは出来、端筋横
動き移動の、第3筋または第2筋からの際の、相手攻撃
によるその麒麟の討ち取りが直ちには出来無いという、
特殊な変更を施した、取り捨て大将棋のゲームのゲーム
の出来への影響の考察である。
この事を説明すると、後手にとって、相手の先手陣の
第十段へは、麒麟を1九の位置へ到達させ、次いで2十
位置へ移動させることにより、2十の位置から入る着手
の発生確率が増え、かつ1九の位置で、先手の反車や
香車で捕獲されるような着手が1手猶予されると、尚更
2十の位置への突入が狙えるので、将棋がこの手直し変
更で、がらりと、変わらないのかという疑問が、湧いて
くるという事である。
だがたまたまだったが、本ブログ版西暦2017年型
13×13升目108枚制普通唱導集大将棋の場合は、
このゲームに限りその問題は、ほぼ無い。
2十位置の守りが固いからである。概ね他の日本将棋類
では、袖から第2筋目の歩兵位置が、ほぼ他の場合は全
て手薄なので。1九の位置を、麒麟で狙う手は有効なの
だが。普通唱導集の大将棋に唄われている問題を、解決
する為に、そもそも元の第2筋3段目の横行の配列を、
飛龍に変えた上で、その下の
2段目に猛牛を置く交換をしたので、この将棋種では、
たまたまだったが、第2筋の歩兵の居る2十位置は守り
が固い
のである。
つまり、今述べた戦法で、麒麟に特別なルールが付与
された事を使って、端の相手陣直前位置狙いという手筋
で攻めるのも、本ブログ版の西暦2017年型大将棋に
関してだけだったのだが、有効とは考え難いという事が
有るのである。
南北朝時代に想定された否定的状況に、意外な抜け道
が有ったという事である。なお他に更に何か問題が無い
かどうか。依然として捜索してはいる。がデザインした
本人には、まだ発見されて居無い状態だ。(2025/01/15)
何故麒麟端筋横一歩動+端着1手隙ルールで問題解決(長さん)
既に述べたように、麒麟が繰り出されて相手陣で
獅子に成り、獅子の喰い荒らしで勝負が付くという
大将棋/中将棋型ゲームは、奔王を序盤に斜め走り
攻撃で消耗させる、普通唱導集で、唄うときに前提
とされ、神奈川県鎌倉市御成町の鎌倉駅前駐輪場付
近で出土の木札に書かれた「搦る口王馬馬・・仲人」
で示されている戦法が前提で無く、奔王が生残って
しまうと麒麟の繰り出し時に、奔王駒が有力な邪魔
駒として働くので、そのようなゲームは出来が悪い
と考えられ、本ブログ版2017年型普通唱導集
大将棋は発生しても、生き残れなかったとみられる
との事だった。
本ブログの管理人は、踏まえて端筋での麒麟の、
横動きに限定した3と2筋から端筋へ動いたときの
一手隙の特殊ルール、及び横へ第2筋から端筋へ、
麒麟は動けるという特殊なルールを導入し、問題の
解決を試みた。それで経験的に問題が、解決したよ
うに見えた為、今回は、その程度の事で何んで旨く
行くのかという、メカニズムについて考察してみた
ので、以下に紹介する。
概ね反車と竪行の場合か多いが、麒麟で只取りが
掛かるので、
これらの駒のうちの一つが逃げている隙に、奔王を
麒麟がかわし、安全圏に達して、千日手に持ち込め
る為と判明した。
更にはそれだけで手いっぱいであって、麒麟の他に
は逃げる側は駒が動かないので、袖での麒麟駒の動
きを前記のように変えても、相手奔王の追いかけ
から逃げるだけで、麒麟が早繰り出し駒にはなら
無いから、問題が解決してしまうと結論出来た。
いろいろな駒で、本ブログの管理人がテストした
ところ、相手陣を目指して進撃してきた麒麟を討ち
取れるのは、3筋と端筋に、縦に走りかつ、初期配
置を考慮すると互いには繋がらない、駒、典型的に
は3筋に竪行、1筋に反車を置いた状態で、麒麟は
第2筋から相手陣へ向かい、4筋に置いた斜めに跳
んで2升目根本から狙う奔王で、麒麟が自陣に戻れ
ないように、麒麟を進めるプレーヤの側から、相手
麒麟に、取りを掛け続けて相手麒麟を追い詰める、
以上
1通りのパターンときにしか、麒麟の捕獲は現実
には無理
である事が、ほぼ判明した。
他の組み合わせで、ほとんど麒麟は、中段では
妨害を振り切って前進し続けると、考えてよさそう
だった。
そのとき、麒麟の今までの、駒の動かし方ルール
だと、奔王で麒麟は捕まるのだが。本ブログが示し
た、端筋へは横に、麒麟が1目動いて入り、筋変え
が出来、かつ、端筋に入った直後の、このケースは
反車による麒麟取りが禁手になると、奔王はただち
には麒麟が捕獲できずに、取りを掛けては、麒麟が
逃げるの動作が繰り返される。そして遂には反車か
竪行、又はその両方の只取りが、麒麟で掛かる事が
判った。
その為、そのときだけは次の着手で取りの掛かっ
た竪行ないし反車駒を逃がす着手が必要で、奔王で
麒麟を追う手が指せず、1手の隙で、麒麟が2筋目
から
4筋目へ、逃げ出す事が可能になる。
そうなると、それまでとは違い、奔王で麒麟を
取る手が、千日手の繰り返しになってしまう。
それを避ければ、またその隙に、麒麟は、相手奔
王の攻撃から基本的に逃れて、自陣に逃げ込めるの
で、本ブログのルール変更が、旨く機能していると
いう訳だった。
だから、
本ブログ2017年版13×13升目108枚制
普通唱導集大将棋では、日本将棋の千日手のルール
が、そのままでは採用出来ず、中将棋風に強める
必要もある
事も同時に分かった。変更し無いと、引き分けが多
くなりすぎとなる。
一例だが2枚程度迄が対象の、連続駒取りを仕掛
ける千日手では、日本将棋で連続王手を掛け続ける
千日手と同様、攻撃側が手を変えなければならない
とする必要が有りそうである。なお、この変更案に
ついては、大分前に、一般的に取り捨てゲームでは
発生し易いとの理由で、本ブログでは提案した事が
有ったと記憶する。
繰り返すが、奔王、一例竪行、反車の3枚で麒麟
を追いかけているとき、麒麟駒が逃げ回るという着
手しか、基本的にして居無いので。
このルール変更で、麒麟が早繰り出し駒に変貌して、
何か別の味方駒と連携して、攻撃戦術を取るという
事が、頻繁に起こるとは考え難い。
以上のメカニズムで、余り問題が起こらず、長年
存在した、「『成麒麟の喰い荒らし戦法』が主力な
駒数多数将棋など、走り駒が早々に消耗するような
特殊な定跡が発生しているといった、事情が無い限
り、奔王が有る駒数多数将棋ては、一般的に成立す
るわけが無い」という、大将棋・中将棋系棋士に、
南北朝時代には既に有ったと見られる認識は、21
世紀の第1四半期が終わる現時点で、ようやく覆り
つつあるように、本ブログ管理人に認識される。
(2025/01/14)
獅子に成り、獅子の喰い荒らしで勝負が付くという
大将棋/中将棋型ゲームは、奔王を序盤に斜め走り
攻撃で消耗させる、普通唱導集で、唄うときに前提
とされ、神奈川県鎌倉市御成町の鎌倉駅前駐輪場付
近で出土の木札に書かれた「搦る口王馬馬・・仲人」
で示されている戦法が前提で無く、奔王が生残って
しまうと麒麟の繰り出し時に、奔王駒が有力な邪魔
駒として働くので、そのようなゲームは出来が悪い
と考えられ、本ブログ版2017年型普通唱導集
大将棋は発生しても、生き残れなかったとみられる
との事だった。
本ブログの管理人は、踏まえて端筋での麒麟の、
横動きに限定した3と2筋から端筋へ動いたときの
一手隙の特殊ルール、及び横へ第2筋から端筋へ、
麒麟は動けるという特殊なルールを導入し、問題の
解決を試みた。それで経験的に問題が、解決したよ
うに見えた為、今回は、その程度の事で何んで旨く
行くのかという、メカニズムについて考察してみた
ので、以下に紹介する。
概ね反車と竪行の場合か多いが、麒麟で只取りが
掛かるので、
これらの駒のうちの一つが逃げている隙に、奔王を
麒麟がかわし、安全圏に達して、千日手に持ち込め
る為と判明した。
更にはそれだけで手いっぱいであって、麒麟の他に
は逃げる側は駒が動かないので、袖での麒麟駒の動
きを前記のように変えても、相手奔王の追いかけ
から逃げるだけで、麒麟が早繰り出し駒にはなら
無いから、問題が解決してしまうと結論出来た。
いろいろな駒で、本ブログの管理人がテストした
ところ、相手陣を目指して進撃してきた麒麟を討ち
取れるのは、3筋と端筋に、縦に走りかつ、初期配
置を考慮すると互いには繋がらない、駒、典型的に
は3筋に竪行、1筋に反車を置いた状態で、麒麟は
第2筋から相手陣へ向かい、4筋に置いた斜めに跳
んで2升目根本から狙う奔王で、麒麟が自陣に戻れ
ないように、麒麟を進めるプレーヤの側から、相手
麒麟に、取りを掛け続けて相手麒麟を追い詰める、
以上
1通りのパターンときにしか、麒麟の捕獲は現実
には無理
である事が、ほぼ判明した。
他の組み合わせで、ほとんど麒麟は、中段では
妨害を振り切って前進し続けると、考えてよさそう
だった。
そのとき、麒麟の今までの、駒の動かし方ルール
だと、奔王で麒麟は捕まるのだが。本ブログが示し
た、端筋へは横に、麒麟が1目動いて入り、筋変え
が出来、かつ、端筋に入った直後の、このケースは
反車による麒麟取りが禁手になると、奔王はただち
には麒麟が捕獲できずに、取りを掛けては、麒麟が
逃げるの動作が繰り返される。そして遂には反車か
竪行、又はその両方の只取りが、麒麟で掛かる事が
判った。
その為、そのときだけは次の着手で取りの掛かっ
た竪行ないし反車駒を逃がす着手が必要で、奔王で
麒麟を追う手が指せず、1手の隙で、麒麟が2筋目
から
4筋目へ、逃げ出す事が可能になる。
そうなると、それまでとは違い、奔王で麒麟を
取る手が、千日手の繰り返しになってしまう。
それを避ければ、またその隙に、麒麟は、相手奔
王の攻撃から基本的に逃れて、自陣に逃げ込めるの
で、本ブログのルール変更が、旨く機能していると
いう訳だった。
だから、
本ブログ2017年版13×13升目108枚制
普通唱導集大将棋では、日本将棋の千日手のルール
が、そのままでは採用出来ず、中将棋風に強める
必要もある
事も同時に分かった。変更し無いと、引き分けが多
くなりすぎとなる。
一例だが2枚程度迄が対象の、連続駒取りを仕掛
ける千日手では、日本将棋で連続王手を掛け続ける
千日手と同様、攻撃側が手を変えなければならない
とする必要が有りそうである。なお、この変更案に
ついては、大分前に、一般的に取り捨てゲームでは
発生し易いとの理由で、本ブログでは提案した事が
有ったと記憶する。
繰り返すが、奔王、一例竪行、反車の3枚で麒麟
を追いかけているとき、麒麟駒が逃げ回るという着
手しか、基本的にして居無いので。
このルール変更で、麒麟が早繰り出し駒に変貌して、
何か別の味方駒と連携して、攻撃戦術を取るという
事が、頻繁に起こるとは考え難い。
以上のメカニズムで、余り問題が起こらず、長年
存在した、「『成麒麟の喰い荒らし戦法』が主力な
駒数多数将棋など、走り駒が早々に消耗するような
特殊な定跡が発生しているといった、事情が無い限
り、奔王が有る駒数多数将棋ては、一般的に成立す
るわけが無い」という、大将棋・中将棋系棋士に、
南北朝時代には既に有ったと見られる認識は、21
世紀の第1四半期が終わる現時点で、ようやく覆り
つつあるように、本ブログ管理人に認識される。
(2025/01/14)
千葉県君津市上湯江遺跡で8C山泰墨書土器(長さん)
今回は、千葉県の鹿野山の麓の遺跡で古代の
井戸跡から出土した、「祭祀用」と発掘者に
見なされている土器2つに、余りに
明快に「山夲」と書かれておるものの、字同
士が接近している為報告書では「奉」と釈文
されているという、極めて明快な泰山・奉山
墨書遺物の紹介である。
千葉県の鹿野山等を奉じる祭祀が奈良時代
頃に、君津市の遺跡で行われたようである。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140879_1_ー君津市ー上湯江遺跡5.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
上湯江遺跡Ⅴ、2022、株式会社新昭和・
君津市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
千葉県君津市上湯江字若宮1488番1。
遺物が出土したのは、西暦2020年前後の
事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第104
ページ付近の記載から、8世紀の奈良時代と
されているように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
15の下から3段目中央に第30番土器が、
最下段右端に、第37番土器が有るが、特
に後者は、新品の土器の模様程度に墨書が
鮮明である。
まず第30番遺物から下に示す。
![上湯江横山泰.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E4B88AE6B9AFE6B19FE6A8AAE5B1B1E6B3B0.gif)
上図のように第30番土器には、反時計回り
に倒れて横に「山夲」と書いてあると、私見
する。
![上湯江山泰.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E4B88AE6B9AFE6B19FE5B1B1E6B3B0.gif)
37番土器には、上から下へ土器を普通に置
いたときの向きに、はっきり縦に「山夲」と
書いてあるように、私は読む。
古代に千葉県の鹿野山等を、君津市の平地
から奉じる祭祀が行われたのではないかと私
見する。それにしても、きれいな古代の泰山・
奉山型墨書土器が出土したものである。
(2025/01/13)
井戸跡から出土した、「祭祀用」と発掘者に
見なされている土器2つに、余りに
明快に「山夲」と書かれておるものの、字同
士が接近している為報告書では「奉」と釈文
されているという、極めて明快な泰山・奉山
墨書遺物の紹介である。
千葉県の鹿野山等を奉じる祭祀が奈良時代
頃に、君津市の遺跡で行われたようである。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140879_1_ー君津市ー上湯江遺跡5.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
上湯江遺跡Ⅴ、2022、株式会社新昭和・
君津市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
千葉県君津市上湯江字若宮1488番1。
遺物が出土したのは、西暦2020年前後の
事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第104
ページ付近の記載から、8世紀の奈良時代と
されているように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
15の下から3段目中央に第30番土器が、
最下段右端に、第37番土器が有るが、特
に後者は、新品の土器の模様程度に墨書が
鮮明である。
まず第30番遺物から下に示す。
![上湯江横山泰.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E4B88AE6B9AFE6B19FE6A8AAE5B1B1E6B3B0.gif)
上図のように第30番土器には、反時計回り
に倒れて横に「山夲」と書いてあると、私見
する。
![上湯江山泰.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E4B88AE6B9AFE6B19FE5B1B1E6B3B0.gif)
37番土器には、上から下へ土器を普通に置
いたときの向きに、はっきり縦に「山夲」と
書いてあるように、私は読む。
古代に千葉県の鹿野山等を、君津市の平地
から奉じる祭祀が行われたのではないかと私
見する。それにしても、きれいな古代の泰山・
奉山型墨書土器が出土したものである。
(2025/01/13)
鳥獣戯画の香部欠写は裏の絵滲み(長さん)
既に述べたように、以下の図書に写真の載る、
鳥獣戯画/丙巻/将棋に、漢字で「香部欠写」
に見えるような、模様が有る疑いが有った。
国立博物館/土屋貴裕監修/鳥獣戯画を
読む/鳥獣戯画を読み解く、西暦2023年、
金の星社/図書印刷㈱で印刷。将棋の絵の載
る問題の図は、その第31ページの右上。
今回は、別のコンテンツの鳥獣戯画/丙巻/
将棋図を調べて、裏の動物画の色材の、滲み
らしいとの、本ブログなりの結論に達したの
で、以下に紹介する。
第1のコンテンツは以下の通り。
名古屋大学/伊藤大輔著/鳥獣戯画を読む、
西暦2021年、名古屋大学出版会/大洋社
(印刷)。
図はその第171ページの左上最上段中央。
![鳥獣戯画名古屋.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E9B3A5E78DA3E688AFE794BBE5908DE58FA4E5B18B.gif)
「欠」の字が、金の星社/図書印刷の写真
と、かなり違って不明確との印象が目立つ。
第2のコンテンツは以下の通り。
文星大学/上野憲示監修/決定版鳥獣戯画の
すべて、西暦2021年、㈱宝島社/㈱光邦
(印刷)。
図はその第045ページの左上最上段中央。
![鳥獣戯画宝島.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E9B3A5E78DA3E688AFE794BBE5AE9DE5B3B6.gif)
欠と写が、やはり、この書籍の図でもはっ
きりし無い。
第3のコンテンツは以下の通り。
国立博物館/土屋貴裕他著/謎解き鳥獣戯画、
西暦2021年、㈱新潮社/大日本印刷㈱
(印刷)。
図はその9~24ページ付近の綴じたページ
の丙巻の中の最初のページの上段中央に有る。
![鳥獣戯画新潮社.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E9B3A5E78DA3E688AFE794BBE696B0E6BDAEE7A4BE.gif)
欠、写が字画によって、ひどく濃淡が出て
いる事がはっきり判り、本ブログ管理人にも、
裏に書いた動物画の、色材の滲み出しが原因
の偶然模様であって、字は特に無いのだろう
と、比較的容易に推定できるように思う。
以下私見だが。
ほぼ同一年代頃の成書だが、大日本印刷㈱の
書籍印刷が、他の3コンテンツに比べて、か
なり良かったという差
があり、その為、前記本記事中の「第3コン
テンツ」によって、結論が導き出せたと、私
には認識された。(2025/01/12)
鳥獣戯画/丙巻/将棋に、漢字で「香部欠写」
に見えるような、模様が有る疑いが有った。
国立博物館/土屋貴裕監修/鳥獣戯画を
読む/鳥獣戯画を読み解く、西暦2023年、
金の星社/図書印刷㈱で印刷。将棋の絵の載
る問題の図は、その第31ページの右上。
今回は、別のコンテンツの鳥獣戯画/丙巻/
将棋図を調べて、裏の動物画の色材の、滲み
らしいとの、本ブログなりの結論に達したの
で、以下に紹介する。
第1のコンテンツは以下の通り。
名古屋大学/伊藤大輔著/鳥獣戯画を読む、
西暦2021年、名古屋大学出版会/大洋社
(印刷)。
図はその第171ページの左上最上段中央。
![鳥獣戯画名古屋.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E9B3A5E78DA3E688AFE794BBE5908DE58FA4E5B18B.gif)
「欠」の字が、金の星社/図書印刷の写真
と、かなり違って不明確との印象が目立つ。
第2のコンテンツは以下の通り。
文星大学/上野憲示監修/決定版鳥獣戯画の
すべて、西暦2021年、㈱宝島社/㈱光邦
(印刷)。
図はその第045ページの左上最上段中央。
![鳥獣戯画宝島.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E9B3A5E78DA3E688AFE794BBE5AE9DE5B3B6.gif)
欠と写が、やはり、この書籍の図でもはっ
きりし無い。
第3のコンテンツは以下の通り。
国立博物館/土屋貴裕他著/謎解き鳥獣戯画、
西暦2021年、㈱新潮社/大日本印刷㈱
(印刷)。
図はその9~24ページ付近の綴じたページ
の丙巻の中の最初のページの上段中央に有る。
![鳥獣戯画新潮社.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E9B3A5E78DA3E688AFE794BBE696B0E6BDAEE7A4BE.gif)
欠、写が字画によって、ひどく濃淡が出て
いる事がはっきり判り、本ブログ管理人にも、
裏に書いた動物画の、色材の滲み出しが原因
の偶然模様であって、字は特に無いのだろう
と、比較的容易に推定できるように思う。
以下私見だが。
ほぼ同一年代頃の成書だが、大日本印刷㈱の
書籍印刷が、他の3コンテンツに比べて、か
なり良かったという差
があり、その為、前記本記事中の「第3コン
テンツ」によって、結論が導き出せたと、私
には認識された。(2025/01/12)
国立博/土屋貴祐/図書印刷鳥獣戯画将棋図に香部欠写(長さん)
今回は、鳥獣戯画の一般向け解説書(子供
向け)の丙巻将棋図の中に、「香(車)部
欠写」のようにも読める、漢字の書き込み
字模様が、成書の写真を画像処理すると
現れる場合があるという、注意喚起の報告
である。
9×9升目の小将棋のはずが、香車と歩兵
を置く、袖の列が無いとの旨を加筆した物
だと疑われる。
たまたま発見した成書は、鳥獣戯画の、
一般向け解説書のうちの以下の本である。
国立博物館/土屋貴祐監修/鳥獣戯画を
読む/鳥獣戯画を読み解く、西暦2023
年、金の星社/図書印刷㈱で印刷。
問題の図はその第31ページの右上の、
良く知られた丙巻将棋図である。
![鳥獣戯画金の星社.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E9B3A5E78DA3E688AFE794BBE98791E381AEE6989FE7A4BE.gif)
上図のように、字の間がかなり空いてい
るが、僧侶風の右側の将棋棋士の右ひざと、
その下、やや左にズレながらだいたい等間
隔に「香部欠写」と、薄く書いてから、
少なくとも後3文字については、消した
ようにも見える字が、強く画像処理すると
浮き出る。第1字目は不明確だし、第2字
目も「部」て無く「記」かもしれない。
「記」でも、意味は同じであるが。何れに
しても、
将棋が7升目の為、袖の香車列が2列無い
と察した何者かが、加筆
したようにも、私には見える。
平安末期に9升目平安将棋も有った事を
示す、この字列自体が貴重な史料になる可
能性があると私見する。
鳥獣戯画の丙巻「将棋図」を見る機会が
あればプレーヤのうち右側僧侶の、右ひざ
の「香」のような「奔」のような「奉」の
ような汚れ模様のような部分に、注意され
るとよろしいかもしれない。鳥獣戯画丙巻
は、製作時には両面画であったと私は聞い
ており、反対側の模様も、右側プレーヤ僧
の右上には確かに何か見える。その類なの
かもしれないが。漢字と間違えそうな、
不思議な模様だと私は思う。(2025/01/11)
向け)の丙巻将棋図の中に、「香(車)部
欠写」のようにも読める、漢字の書き込み
字模様が、成書の写真を画像処理すると
現れる場合があるという、注意喚起の報告
である。
9×9升目の小将棋のはずが、香車と歩兵
を置く、袖の列が無いとの旨を加筆した物
だと疑われる。
たまたま発見した成書は、鳥獣戯画の、
一般向け解説書のうちの以下の本である。
国立博物館/土屋貴祐監修/鳥獣戯画を
読む/鳥獣戯画を読み解く、西暦2023
年、金の星社/図書印刷㈱で印刷。
問題の図はその第31ページの右上の、
良く知られた丙巻将棋図である。
![鳥獣戯画金の星社.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E9B3A5E78DA3E688AFE794BBE98791E381AEE6989FE7A4BE.gif)
上図のように、字の間がかなり空いてい
るが、僧侶風の右側の将棋棋士の右ひざと、
その下、やや左にズレながらだいたい等間
隔に「香部欠写」と、薄く書いてから、
少なくとも後3文字については、消した
ようにも見える字が、強く画像処理すると
浮き出る。第1字目は不明確だし、第2字
目も「部」て無く「記」かもしれない。
「記」でも、意味は同じであるが。何れに
しても、
将棋が7升目の為、袖の香車列が2列無い
と察した何者かが、加筆
したようにも、私には見える。
平安末期に9升目平安将棋も有った事を
示す、この字列自体が貴重な史料になる可
能性があると私見する。
鳥獣戯画の丙巻「将棋図」を見る機会が
あればプレーヤのうち右側僧侶の、右ひざ
の「香」のような「奔」のような「奉」の
ような汚れ模様のような部分に、注意され
るとよろしいかもしれない。鳥獣戯画丙巻
は、製作時には両面画であったと私は聞い
ており、反対側の模様も、右側プレーヤ僧
の右上には確かに何か見える。その類なの
かもしれないが。漢字と間違えそうな、
不思議な模様だと私は思う。(2025/01/11)
何故普通唱導集大将棋定跡化克服は駒配転で終わらず(長さん)
既に紹介したように、西暦2017年型本ブログ
版13升目108枚制普通唱導集大将棋(取捨て
将棋)には、そのままだと、成り麒麟を作ろうと
して、麒麟を繰り出したときに、残存する相手の
奔王等で、捕獲されやすいという難点がある。
どうやらそれが西暦1300型普通唱導集大将棋
に、斜め走り駒攻撃を、仲人位置で、嗔猪と桂馬
で止める「余りに、いつも過ぎる定跡」が、当の
普通唱導集で唄われているように発生したときに、
単に、横行、飛龍、猛牛を、飛龍、猛牛、横行に、
順繰り入替えで解決する程度で済まなかった理由
のようである。
そう考えていい根拠としては、(故)岡崎史朗
日本将棋の七段(1970年当時)の「中将棋の
指し方」麒麟駒ルール説明に書いてある文言が私
には思い出される。
13ページ付近の「駒の格」のところで、
「麒麟は成ると獅子になり最高位の駒であるが、
それ自身は、小駒なので注意を要する」との旨等
がある。SteveEvans氏の、PC対人間
対局ソフト”ShogiVeriants”の
データファイルで、麒麟の価値が高くなっており、
岡崎史朗七段の記載と、大差あるという点を私が、
本ブログで、話題にした事があったが、岡崎史朗
氏の解説を謎として残したまま、こうして長年月
が経った。
今になってようやくこのチグハグさの原因が私
にも、飲み込めるようになって来た。すなわち
”ShogiVeriants”では、中将棋等
で、麒麟を早繰り出しする戦法を、想定して居無
い。その為人間のプレーヤーが、麒麟の早繰り出
しを
無理にして、失敗したと気がついたとき麒麟を
切れば済むものを、手損する麒麟救済戦略をとり
続けた為に、敗退する傾向を岡崎氏は戒めている
ようである。
恐らく西暦1300年段階で13升目108枚
制普通唱導集(横行が竪行と飛車の間)に「常に
同じで在り過ぎる定跡」の問題が発生したときに、
駒の配置変換で、大将棋の範囲内で、問題を改善
しようという試みは、本ブログの管理人が西暦
2017年にしたように、存在したのであろうが。
結局、麒麟がのろますぎると、中将棋をも指す
ようになったプレーヤが気がついて、元から獅子
の有る中将棋だけを、プレーするように、流れが
シフトしてしまったと考えて、現時点で良さそう
なように、私には思える。
麒麟の動きのルールを変えるというアイディア
自体は「縦横動きを跳びでは無くて、踊りにすべ
きである」との旨提案する、大阪電気通信大学の、
高見友幸氏の先であったが。麒麟が端筋に真横に
移動したときに、
「相手からの捕獲を一手猶予する」というルール
を考案したのは、私が史上初だった疑いが濃い
と思うようになった。
この麒麟の特別なルールで、何か問題が出そう
であるという兆候は、
依然として本ブログ管理人には発見されてい無い。
麒麟の動きが鈍い事から起こる、中段に繰り出
したときの喪失問題が、玉を詰むのを目的とする、
文字通り普通の大将棋が又、指せるようにする為
の最後の難関だった疑いが有ると、だんだんに私
には、了解・認識されるように、なって来ている。
(2025/01/10)
版13升目108枚制普通唱導集大将棋(取捨て
将棋)には、そのままだと、成り麒麟を作ろうと
して、麒麟を繰り出したときに、残存する相手の
奔王等で、捕獲されやすいという難点がある。
どうやらそれが西暦1300型普通唱導集大将棋
に、斜め走り駒攻撃を、仲人位置で、嗔猪と桂馬
で止める「余りに、いつも過ぎる定跡」が、当の
普通唱導集で唄われているように発生したときに、
単に、横行、飛龍、猛牛を、飛龍、猛牛、横行に、
順繰り入替えで解決する程度で済まなかった理由
のようである。
そう考えていい根拠としては、(故)岡崎史朗
日本将棋の七段(1970年当時)の「中将棋の
指し方」麒麟駒ルール説明に書いてある文言が私
には思い出される。
13ページ付近の「駒の格」のところで、
「麒麟は成ると獅子になり最高位の駒であるが、
それ自身は、小駒なので注意を要する」との旨等
がある。SteveEvans氏の、PC対人間
対局ソフト”ShogiVeriants”の
データファイルで、麒麟の価値が高くなっており、
岡崎史朗七段の記載と、大差あるという点を私が、
本ブログで、話題にした事があったが、岡崎史朗
氏の解説を謎として残したまま、こうして長年月
が経った。
今になってようやくこのチグハグさの原因が私
にも、飲み込めるようになって来た。すなわち
”ShogiVeriants”では、中将棋等
で、麒麟を早繰り出しする戦法を、想定して居無
い。その為人間のプレーヤーが、麒麟の早繰り出
しを
無理にして、失敗したと気がついたとき麒麟を
切れば済むものを、手損する麒麟救済戦略をとり
続けた為に、敗退する傾向を岡崎氏は戒めている
ようである。
恐らく西暦1300年段階で13升目108枚
制普通唱導集(横行が竪行と飛車の間)に「常に
同じで在り過ぎる定跡」の問題が発生したときに、
駒の配置変換で、大将棋の範囲内で、問題を改善
しようという試みは、本ブログの管理人が西暦
2017年にしたように、存在したのであろうが。
結局、麒麟がのろますぎると、中将棋をも指す
ようになったプレーヤが気がついて、元から獅子
の有る中将棋だけを、プレーするように、流れが
シフトしてしまったと考えて、現時点で良さそう
なように、私には思える。
麒麟の動きのルールを変えるというアイディア
自体は「縦横動きを跳びでは無くて、踊りにすべ
きである」との旨提案する、大阪電気通信大学の、
高見友幸氏の先であったが。麒麟が端筋に真横に
移動したときに、
「相手からの捕獲を一手猶予する」というルール
を考案したのは、私が史上初だった疑いが濃い
と思うようになった。
この麒麟の特別なルールで、何か問題が出そう
であるという兆候は、
依然として本ブログ管理人には発見されてい無い。
麒麟の動きが鈍い事から起こる、中段に繰り出
したときの喪失問題が、玉を詰むのを目的とする、
文字通り普通の大将棋が又、指せるようにする為
の最後の難関だった疑いが有ると、だんだんに私
には、了解・認識されるように、なって来ている。
(2025/01/10)
都立図書館加賀藩前田家写本に摩訶大大将棋成の聖目無(長さん)
大阪府三島郡島本町の島本町教育射委員会が、
パンフレットで紹介している為に水無瀬兼成
の将棋纂図部類抄の水無瀬宮所蔵版の巻物の
内容は、かなり広く知られている。
本ブログでは以前、表題に有る都立図書館
加賀藩前田家写本の、水無瀬兼成の将棋纂図
部類抄と内容を比較して、差を紹介した事が
有った。
その際、自陣/中間段/相手陣を区別する
為の、星印である「聖目」が、水無瀬宮巻物
の「摩訶大大将棋の初期配列図」では存在し
無いのに「摩訶大大将棋の成り配列図」で、
歩兵段ラインの上段に書いてあると指摘した。
本ブログでは、将棋纂図部類抄の各将棋種
につき成りは基本、相手陣突入時が日本将棋
と同様成りのタイミングを決めているという
説を取っており、恐らく水無瀬兼成が、聖目
を書き忘れただけだろうと、そのときに解説
した記憶がある。
解釈は次の問題だとして。
最近、都立図書館加賀藩前田家写本の将棋
纂図部類抄の「摩訶大大将棋の成り配列図」
の自陣/中間段/相手陣区別の
「聖目」が、水無瀬宮所蔵版とは異なり前田
藩写本では、書かれてい無いらしい
という情報に接した。つまり、水無瀬兼成の
将棋纂図部類抄の「摩訶大大将棋の図」に関
しては、水無瀬宮所蔵版とは異なり前田藩写
本では「聖目」が、摩訶大大将棋の初期配列
図」だけでなく「摩訶大大将棋の成り配列図」
にも、両方無いので、矛盾無いように作り変
えられていると、疑われるという意味である。
その情報の出所は、熊澤良尊氏のブログで
西暦2025年年初に、摩訶大大将棋の熊澤
氏製作の盤と駒を紹介しているページである。
なお本ブログ管理人は、たまたま都立図書館
加賀藩前田家写本の水無瀬兼成の将棋纂図
部類抄の「摩訶大大将棋の成り配列図」は、
未入手
が現状である。
以下は、熊澤氏のページで、熊澤氏が製作
した摩訶大大/大将棋の盤・駒の上部で示し
ておられる将棋纂図部類抄の「摩訶大大将棋
の成り配列図」の、奔人・と金ライン付近の
拡大であるが、本ブログの管理人には、
6六の位置の升目の上隅にあるはずの「聖目」
が熊澤氏紹介の巻物に有るようには見えない。
![熊澤摩訶大大.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E7868AE6BEA4E691A9E8A8B6E5A4A7E5A4A7.gif)
上図と共に熊澤氏は、将棋纂図部類抄の、
「摩訶大大将棋の初期配列図」の写真も紹介
され、摩訶大大/大将棋の「鉤行」の字体の
輪郭等から、都立図書館加賀藩前田家写本の
ようだと、今のところ私には推定されている。
本ブログと異なり加賀藩前田家では近世に、
15升目大将棋、大大将棋、摩訶大大/大
将棋は、自陣と相手陣の区別が無く、相手駒
を取ったときに、取った駒が成るという、
杉浦大六氏所蔵、象戯図式に一例記載の成則
を想定していた様にも見え、個人的にだが私
には、新発見となったと認識され驚かされた。
(2025/01/09)
パンフレットで紹介している為に水無瀬兼成
の将棋纂図部類抄の水無瀬宮所蔵版の巻物の
内容は、かなり広く知られている。
本ブログでは以前、表題に有る都立図書館
加賀藩前田家写本の、水無瀬兼成の将棋纂図
部類抄と内容を比較して、差を紹介した事が
有った。
その際、自陣/中間段/相手陣を区別する
為の、星印である「聖目」が、水無瀬宮巻物
の「摩訶大大将棋の初期配列図」では存在し
無いのに「摩訶大大将棋の成り配列図」で、
歩兵段ラインの上段に書いてあると指摘した。
本ブログでは、将棋纂図部類抄の各将棋種
につき成りは基本、相手陣突入時が日本将棋
と同様成りのタイミングを決めているという
説を取っており、恐らく水無瀬兼成が、聖目
を書き忘れただけだろうと、そのときに解説
した記憶がある。
解釈は次の問題だとして。
最近、都立図書館加賀藩前田家写本の将棋
纂図部類抄の「摩訶大大将棋の成り配列図」
の自陣/中間段/相手陣区別の
「聖目」が、水無瀬宮所蔵版とは異なり前田
藩写本では、書かれてい無いらしい
という情報に接した。つまり、水無瀬兼成の
将棋纂図部類抄の「摩訶大大将棋の図」に関
しては、水無瀬宮所蔵版とは異なり前田藩写
本では「聖目」が、摩訶大大将棋の初期配列
図」だけでなく「摩訶大大将棋の成り配列図」
にも、両方無いので、矛盾無いように作り変
えられていると、疑われるという意味である。
その情報の出所は、熊澤良尊氏のブログで
西暦2025年年初に、摩訶大大将棋の熊澤
氏製作の盤と駒を紹介しているページである。
なお本ブログ管理人は、たまたま都立図書館
加賀藩前田家写本の水無瀬兼成の将棋纂図
部類抄の「摩訶大大将棋の成り配列図」は、
未入手
が現状である。
以下は、熊澤氏のページで、熊澤氏が製作
した摩訶大大/大将棋の盤・駒の上部で示し
ておられる将棋纂図部類抄の「摩訶大大将棋
の成り配列図」の、奔人・と金ライン付近の
拡大であるが、本ブログの管理人には、
6六の位置の升目の上隅にあるはずの「聖目」
が熊澤氏紹介の巻物に有るようには見えない。
![熊澤摩訶大大.gif](https://chiyoosan.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_041/chiyoosan/m_E7868AE6BEA4E691A9E8A8B6E5A4A7E5A4A7.gif)
上図と共に熊澤氏は、将棋纂図部類抄の、
「摩訶大大将棋の初期配列図」の写真も紹介
され、摩訶大大/大将棋の「鉤行」の字体の
輪郭等から、都立図書館加賀藩前田家写本の
ようだと、今のところ私には推定されている。
本ブログと異なり加賀藩前田家では近世に、
15升目大将棋、大大将棋、摩訶大大/大
将棋は、自陣と相手陣の区別が無く、相手駒
を取ったときに、取った駒が成るという、
杉浦大六氏所蔵、象戯図式に一例記載の成則
を想定していた様にも見え、個人的にだが私
には、新発見となったと認識され驚かされた。
(2025/01/09)
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