奈良県明日香村西橘遺跡で飛鳥期奔狛木簡(長さん)
今回は、多分西暦1992年前後に、明日香村の
西橘遺跡から出土した、200~300枚の木簡の
中に「仕奉狛之」と書いてあるようにも私には見え
る報告書に第10番と書かれた木簡があるとの旨の
紹介である。専門家に「仕奉白ス(レ)之」と釈文
されているらしい。
遺物の写真がweb上に公開され、発掘報告書に
載っている。発掘報告書が奈良文化財研究所の、
発掘報告書データベース、全国遺跡報告総覧に登録・
公開されている。pdfファイル名は、以下の通り。
139043_1_西橘遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
明日香村文化財調査報告書第18集
西橘遺跡発掘調査報告書、西暦2024年3月、
明日香村教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、奈良県
高市郡明日香村大字橘21番地。遺物が出土したの
は、西暦1992年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書の出土木簡の考察
により、西暦670年前後と推定されているように、
私には読取れる。飛鳥時代の後期との旨の事である。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第23の”木
簡(二)”の上段中央に有り、木簡番号10番と
ナンバリングされているうちの、表題を書いた面で、
左側の方である。
上図のように、「口仕奉白之」といっけん読める
が、白と之の間が左にズレていて、白のヨゴレを
無理にだが読むと、「奉狛(犬)」のようにもなる。
以下間違いが無いとみられる専門家の釈文によると、
「白」とは「前白(文書)」の事らしく「奉白」で
名詞では無くて、「仕奉」が「奉仕(使役)」の意
味の名詞。「白」は「前白」の略で更には「上曰」
の意味で、「うやうやしく報告する」という動詞。
「之」(ヲ)が目的語との事である。残念ながら、
この解釈が正しく「白」は「狛犬」や「白犬」では、
この場合には無いのであろう。中央線がズレたのは、
たまたまなのか。私には謎である。なお、「仕奉」
者のリスト氏名が、この木簡の裏面に書いてあるら
しい。(2024/04/19)
西橘遺跡から出土した、200~300枚の木簡の
中に「仕奉狛之」と書いてあるようにも私には見え
る報告書に第10番と書かれた木簡があるとの旨の
紹介である。専門家に「仕奉白ス(レ)之」と釈文
されているらしい。
遺物の写真がweb上に公開され、発掘報告書に
載っている。発掘報告書が奈良文化財研究所の、
発掘報告書データベース、全国遺跡報告総覧に登録・
公開されている。pdfファイル名は、以下の通り。
139043_1_西橘遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
明日香村文化財調査報告書第18集
西橘遺跡発掘調査報告書、西暦2024年3月、
明日香村教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、奈良県
高市郡明日香村大字橘21番地。遺物が出土したの
は、西暦1992年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書の出土木簡の考察
により、西暦670年前後と推定されているように、
私には読取れる。飛鳥時代の後期との旨の事である。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第23の”木
簡(二)”の上段中央に有り、木簡番号10番と
ナンバリングされているうちの、表題を書いた面で、
左側の方である。
上図のように、「口仕奉白之」といっけん読める
が、白と之の間が左にズレていて、白のヨゴレを
無理にだが読むと、「奉狛(犬)」のようにもなる。
以下間違いが無いとみられる専門家の釈文によると、
「白」とは「前白(文書)」の事らしく「奉白」で
名詞では無くて、「仕奉」が「奉仕(使役)」の意
味の名詞。「白」は「前白」の略で更には「上曰」
の意味で、「うやうやしく報告する」という動詞。
「之」(ヲ)が目的語との事である。残念ながら、
この解釈が正しく「白」は「狛犬」や「白犬」では、
この場合には無いのであろう。中央線がズレたのは、
たまたまなのか。私には謎である。なお、「仕奉」
者のリスト氏名が、この木簡の裏面に書いてあるら
しい。(2024/04/19)