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さいたま市南区太田窪円正寺遺跡で弥生中泰山墨書土器(長さん)

今回は、以前に埼玉県さいたま市南区大谷場
遺跡で、泰山、山竜等と書かれた土器が出土
したと紹介したが、その遺物が出土した地点
から2km程度東側とみられる、埼玉県さい
たま市南区太田窪の円正寺遺跡で、弥生土器
に、漢字で小さく泰山と読めるような土器が、
同じく、西暦1960年前後に出土している
との旨の紹介である。アップダウンのある
さいたま市南区の地形から考え、昔は小さな
丘陵が存在し、渡来人による道教信仰の地と
して使われたのかもしれないと、私は考える。
 遺物の写真は、大谷場遺跡の巻頭カラー写
真土器を紹介したのと同じ、当時「浦和市の
市史」の考古学史料編その1に在る。
すなわち、書誌は概略以下の通りである。
(埼玉県)浦和市(当時)市史第一考古資料
編、西暦1974年、浦和市(現:さいたま
市浦和区等)総務部市史編纂室。
 当該成書の第289ページ付近の記載から、
遺跡の場所は、埼玉県さいたま市南区太田窪
2997番地付近で、大谷場遺跡の2km程
度東とみられる。同289ページ付近の記載
から遺物が出土したのは、大谷場遺跡とほぼ
同じ西暦1960年3月ないし、その少し前
のようである。WACOM社ペンタブレット、
WACOM/BAMBOO/CTE-650
等を取り扱うディスカウントショップ「ハー
ドオフ/さいたま太田窪店」の太田窪である。
 遺物の成立年代は、成書第290ページ付
近の記載により、弥生時代の中期末との旨記
載され、西洋紀元前後と考えられているよう
に、私には読み取れる。墨書だとすれば古い。
 遺物の写真は、300ページ付近の、図第
326”円正寺遺跡出土土器写真”として有
り、289ページ付近に、形の整った壷形
弥生土器との旨の説明がある。

太田窪泰山.gif

 上図のように、中央やや右の中ほどの高さ
のところに、ごく小さく漢字で「泰山」のよ
うに見える模様がある。上記図では第2字目
が、「山」のような「王」のような、不明確
な模様になっているが、画像処理前の写真で
は、「山」のようである。
 縄文土器として紹介した前の例よりは新し
いが、実際には両方共に、弥生時代後半の、
西洋紀元前後のものであり、大陸で発生した
道教信仰が、日本の関東地方に達していて、
祭祀用土器が、当時かなりの量有ったという
事なのではないかと、これらの例に対して私
は疑っている。(2024/04/30)

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