SSブログ

元禄期、福井城には榧の碁・将棋盤在り(長さん)

既に、最近発掘調査報告書が発行された西暦2016~
7年調査の有った福井市の福井城跡で、金将将棋駒が
一枚出土していた旨、本ブログで紹介した。奈良文化
財研究所の発掘報告書データベース、全国遺跡報告
総覧に、西暦2024年版の発掘報告書が登録・公開
されていて、pdfファイル名は、繰り返すと以下の
通りであった。
139201_4_福井城跡.pdf
 実はこの発掘調査報告書には、このとき福井城から
出土した金将将棋駒の材質が、

イヌガヤであった

との旨、写真図版第60等で紹介されている。なお、
出土した木製品で、イヌガヤ材だったのは、どうやら、
この将棋駒だけだったようである。城内で自作する訳
ではなく、江戸の元禄時代に専門業者から遊戯具を、
通常想定されるように、普通に購入していたからであ
ろう。なお出土した金将将棋駒は 元禄期成立だが、
簡単に廃棄される位だから、黄楊では無いようである。
 そこでイヌカヤという樹木名からは、碁盤と将棋盤
の高級品の材である「榧」が、ただちに連想される。
 イヌガヤ将棋駒を例えば桂の材の将棋盤で指しては
いけないという道理は、一応無いのだろうが。福井城
から元禄時代に、囲碁と将棋の盤駒の製造を、業者に
依頼した際、依頼を受けた業者は、江戸時代の国内の
何処かで高級品の碁盤や、将棋盤を製造していたので
あろう。つまり「盤はカヤだから、将棋駒はイヌガヤ
で良いだろう」と考えるような、職人であると見るの
が自然なように、私には一応思える。このへんは私は
余り詳しく無いので、将棋駒の材に占めるイヌガヤの
割合が、どの程度なのか、余り良く判らないのだが。
 福井城からの碁石と将棋駒の出土は有っても、碁盤
と将棋盤の出土は、今のところ無いようだが。
 将棋駒の材質が、たまたまイヌガヤだったことから、
榧材碁盤・榧材将棋盤が連想され、それが城域の中で
使える、元禄時代の福井藩の裕福さを、充分物語って
いるように、私には良く見えるのである。(2024/04/29)

nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 10

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。