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長崎県多良見町琴ノ尾岳烽火台跡で江戸期遊戯石盤(長さん)

今回は、表題の長崎県多良見町に在する
琴ノ尾岳烽火台跡で、西暦1989年前後に、
江戸時代成立と見られる石盤に、5五将棋用
の升目が刻まれているようにも見える、設計
略図とも遊戯盤とも、用途の判然とし無い
物品が、調査中に発掘されたとの旨の話題の
紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
139231_1_琴ノ尾岳公園造成に伴う琴ノ尾岳烽火台跡
緊急整備発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
琴ノ尾岳公園造成に伴う琴ノ尾岳烽火台跡
緊急整備発掘調査報告書、西暦1989年、
長崎県多良見町教育委員会。
 発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
長崎県西彼杵郡多良見町佐瀬烽字竹野山
1787-106。遺物が出土したのは西暦
1987年前後の事のようである。
 冒頭の「刊行にあたって」によると「西暦
1808年の『フェートン号事件』を契機に、
古代の烽火台とされる地点に、同様な用途の
烽火を上げて情報伝達する施設の建設を江戸
時代に試みたものの、テストで成績が不良で、
廃止された遺跡」との旨の説明があり、遺物
は、江戸時代後期のものと、考えられている
ように読取れる。なお長崎県内には江戸時代、
同様時期の烽火台は、別にも有るようである。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第9の
下にあり、”坑口内・外郭出土遺物”との旨
の注記がある。繰り返すと設計略図とも遊戯
盤とも、用途は不明なようである。

長崎峰火台遊戯盤.gif
 
 上図では判らないが、発掘報告書の別途、
スケッチ図に縮尺が記載され、それによると、
遊戯盤としたときの、升目メッシュは4cm
位である。よって遊戯盤として用いるとすれ
ば普通の将棋の駒がちょうど入るようだ。
 よって、将棋類の5×5升目盤と仮に考え
れば、昭和期成立の5五将棋用にも見える。

それではチグハグで、ツジツマは合わない。

しかしながら、何れにしても石盤にメッシュ
を書く遺物の出土自体が、国内では比較的珍
しい上に、呪い祭祀用だとしては、必要以上
に、升目の目が粗すぎるようである。よって
本当の用途は少なくとも私には良く判らない。
(2024/05/01)

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