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大阪府八尾市久宝寺南遺跡で平安期狛犬墨書土器(長さん)

大分前のことであるが、大阪府八尾市久宝寺
所在の竜華操車場跡にて、狛犬または狛大と
書かれた、鮮明な墨書土器が西暦2002年
頃に発掘されたとの旨、本ブログにて紹介し
た事がある。だが、それよりかなり前の、
西暦1985年前後に、それにほど近い地点
である同大阪府八尾市西久宝寺内で、別の
「狛犬」または「狛大」杯型墨書土器が発掘
済みであったという情報を、最近得たので、
以下に紹介する。「狛犬」近似墨書杯土器は、
久宝寺遺跡では、2枚出土していたようだ。
 ただし、問題の西暦1985年頃出土した
杯の遺物に関しては、当時の発掘報告書に、
写真は有るにはあるのだが、内面底の墨書の
写真が、少なくとも以下紹介する発掘報告書
に、今のところ発見され無いようである。
 その発掘報告書自体は、いつものように、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
139143_1_久宝寺南.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
九宝寺南(その3)、西暦1986年、
大阪府教育委員会・財団法人大阪文化財センター。
 発掘報告書冒頭の第1ページの調査に至る
経過により、遺跡の場所は大阪府八尾市西
久宝寺。遺物が出土したのは、冒頭例言によ
り、西暦1985年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第59ペー
ジ付近の、「まとめ」によると、遺物は河川
跡1より出土し、9世紀中ばの平安時代初の
ものとみられているように、私には読取れる。
 なお、pdfファイル名:
24131_10_久宝寺遺跡・竜華地区発掘調査報告書VII.pdf
発掘報告書名:
(財)大阪府文化財センター調査報告書第156集
久宝寺遺跡・竜華地区発掘調査報告書Ⅶ、
2007年3月、財団法人大阪府文化財センター
に記載され、西暦2002年頃に発掘された、
冒頭述べた別の杯「狛犬」~「狛大」墨書杯
土器の成立年代は、平安初期の8世紀末から
9世紀前にかけてとされたから、2枚の間に
さほど大きな成立年代の差は無く、かつ同類
土器のようである。
 遺物の写真は、側面と底面が、発掘報告書
写真図版第35の左下に載っているが、墨書
が在るとみられる、内面底の写真が無い。た
だし、スケッチ図が発掘報告書の第22ペー
ジ、スケッチ図第17の右下に在り、ツクリ
が白では無くて、「百」、犬は少し小さめに、
「大」のように、このとき読まれているよう
である。例言末尾により、墨書釈文の専門家
の藤沢一夫氏に、報告書著者は「狛族の者の
苗字」と、教示されたと取れる旨有る。西暦
2002年に出土した同類土器が、狛大麻呂
と解釈されているとされるので、同類との意
識が、2枚目出土の当時から存在したようで
ある。
 2002年出土遺物の紹介のときにも述べ
たが、発掘報告書の通り、渡来人の使用した
器に、使用者名を書いた土器が、少なからぬ
枚数久宝寺南遺跡周辺に存在したとしか考え
られないように私にも見える。(2024/04/26)

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