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(コラム)栃木県教育委員会が実質主催の歴史会では講師泥酔(長さん)

最近ブックオフで、栃木県史が英文で対訳されて
る書籍を定価の一桁下(1/10ほど)で買った。
本ブログを万が一、英訳する必要があるとき、廉
価なこの、ディスカウント本が有れば役立つ事も、
稀には有るかもしれないと、そのケースのレアー
性の割の安さから私は試し購入してみた。
 その結果、歴史研究の会合で栃木県教育委員会
が実質主催していると見られる会合や講演会で、

講師や司会が、酒を飲んで議題を進行させるとい
う習慣が、栃木県でしばしば以前に有ったらしい

との情報を得た。購入した成書(2012年版)
の、「あとがき」の中段に、「(元栃木県

教育委員会教育長の古口紀夫らは、その書籍の、)
最終の編集・校正のために合宿を行いました。
お酒の勢いで脱線することもありましたが・・」

との旨記載されている。下記書籍は本の校正時、
著作者は、つまり酒を飲んでいたようだ。
「英語で発信栃木の歴史」、西暦2012年、
大關篤英(他4名)、下野新聞社。
 その為とは厳密には証明困難だが、西暦
1382年前後の第3次小山義政の乱の記載と、
第269ページ付近の小山氏系図との間に、
(重興)小山泰朝の名が無く、本文第90ページ
付近の小山義政の乱の記載に名の載っていない、

小山若犬丸の名があるという、チグハグさがある。

しかも、小山若犬丸が、小田孝朝関連の乱で介在
した、僧頼印の伝記である頼印大僧正行状絵詞に
も「小山若犬丸は小山義政の弟だ」と載っている
という話は、少なくとも本ブログの管理人は、聞
いた事もないにも関わらず、

小山若犬丸は、小山義政の息子では無くて、弟の
ように記載されている。

 酒気帯びで本来の注意力が散漫なため、若犬丸
の乱は英文スペースの制約から、割愛化されたに
も関わらず、系図作成のときのミスで、小山義政
で、朝政系小山氏の記載は、止めなければならな
いのに、著作者が気が付かずに、校正会合で是正
が出来ずに

余計な名前の人物名を、しかも間違って線で結ん
で載せてしまった

と推定するのは容易である。
 栃木県教育委員会の教育長が参画している事か
ら考えて、少なくとも2000年から2010年
代頃、栃木県教育委員会が主幹する歴史関連会合
では、講師や司会等が、予め酒気帯びでイベント
を開催しているのではないかと、私には疑われる。
 というのも、私が小山市史に関して調査の駆け
出しだったこの頃、栃木県教育委員会が主幹する、
南北朝時代の下野史の歴史研究成果発表会に参加
した事が有るのだが。この方面で著名な講師のM
先生に、「小山義政の一連の乱で、小山氏には咎
めが有ったにも拘わらず、喧嘩両成敗のはずが、
宇都宮氏が温存されたのはなぜか」と私が質問し
た所、数百人の受講者の居る前で、

「そんな質問には答えられない」と、いきなり
≪不可解な張り倒し応答≫を私が喰らった

事があるからである。なお、M先生と私の間に、
分野が、政治史と遊戯史の大差が有るので、特に
蟠りの経緯は無い。なお、wikiにあるように
「その前に宇都宮氏は、西暦1368年の武蔵平
一揆の乱への反乱軍への加担で、鎌倉公方の
足利氏満、管領上杉憲顕らに、宇都宮氏綱自体が
叩かれて勢力が削がれていたので、それに乗じて
伸びた小山義政を、互い違いに叩いたという
だけの事である」と答えるのが、普通は穏当と私
には疑われる。
 今にして思えば、そのときの他の質問者の実態
は私には謎だが。ようするに、

M先生の体内には、かなりの量の酒が入っていた

と考えると、ピタリとツジツマの合う話である。
 ちなみに、幸運だがこのブログを始めて7年半
位になるが、飲酒は私の方は、ほぼしてい無い。
 その為か、何回か本ブログでは、西暦1380
年代の小山義政の乱に言及した記憶が有るものの、

本ブログの、小山義政の乱に関連する紹介記事に
限定すると幸運な事に苦情が有るとの噂を、私は
余り聞かない。

 なお、ブログ記事の校正時、いつも大量なエラー
の存在に、酒の入らない普通の状態での作業の為、

そのつど気が付いては、自身の瞬発力の無さを
嘆きつつ、訂正を繰り返す毎日

である。
 正直、このブログを開設してから半年間までの
事は、はっきり覚えてい無いのだが。その後の7
年間は杯程度の甘酒を一杯飲んだか飲まないかで
あり、練りショウガに入っているとされる食用酒
を入れてもブログ開設後の飲酒量は約7年半で私
の場合は、

1リットル/7.5年に達しては、い無いだろう

と推定できる。
 冒頭紹介した成書は、察するに系図のミス等で、
流通価格が1/10になってしまったのであろう。
 酒を飲んだ事に起因する、校正の散漫化で私の
ブログが同じ憂き目を見ないよう、これからも、
ブログ記事を校正する前に、飲酒は厳禁としよう
と考えている。
 まあ思い起こせば他人の「ながら飲酒仕事」の、
そのおかげで私の方は、安く英作文手引きが入手
出来、今回ラッキーな目に会ったという事なので
はあるという事なのだが。(2024/04/24 その2)

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埼玉県坂戸市中耕遺跡で4C奔王墨書土器(長さん)

今回は埼玉県西部の坂戸市中耕遺跡で、古墳
時代の前期成立とされる、台形土器に漢字で、
「奉王」と書いてあるように見える模様が、
西暦1990年前後の発掘調査時に、出土し
ているとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
139094_11_中耕遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第125集
坂戸市中耕遺跡、西暦1993年、
財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団。
 発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
埼玉県坂戸市大字善能寺字南耕569-2。
遺物が出土したのは繰り返すと西暦1990
年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第2pdf
の第315ページ付近の表によると古墳時代
前期の4世紀前後と読取れるようである。
 遺物の写真は、発掘報告書第11pdfの
写真図版第228の下から2段目左に在り、
遺物番号、遺溝第40番の第7番との旨、
ナンバリングされている。台型の土器のよう
に、私には見える。

中耕奔王.gif

 上図のように、足の部分の少し右寄上部に、
ぼやけて「奉」のようにも「天」のようにも
見える、黒い模様が在るようであり、その下
に横に伸びる、黒いがぼやけた太い帯状部分
の下で、第1字目のほぼ真っ直ぐ下に、「王」
か「玉」のように見える、薄いが暗い模様が
在る。点が有るようであり、「玉」のようで
ある。
 祭祀用の土器が、運ばれて来て廃棄された
ものであり、当時は付近から取れた硬玉を、
台の上に乗せ、神道系の祈祷を古墳期に行っ
たのかもしれないと、私は考えている。埋葬
者を送る為なのかもしれないが、死者が「王」
とは、特に考えられてはい無い、むしろ比較
的珍しい例なのかもしれない。(2024/04/24)

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