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大阪府東大阪市久宝寺北遺跡で古墳中期少龍墨書土器(長さん)

 今回は、表題の大阪府東大阪市の遺跡で古墳時代
の渡来人系使用の土器の類との議論の有る破片に、
漢字で「少龍」と読めるような、ぼんやりとした
黒い模様が有るとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイルは以下の通りである。
138857_4_久宝寺北その1~3.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
久宝寺北、西暦1987年、大阪府教育委員会・
財団法人大阪文化財センター。
 発掘報告書冒頭、第1pdfの例言によると遺跡
の場所は、大阪府東大阪市大蓮東5丁目。遺物が
出土したのは、西暦1980年から1985年の間
の事のようである。
 遺物の成立年代は出土したNR5001の遺物が、
韓国渡来人による古墳時代中期頃の、構造物に関連
するとの旨、取れる記載が、第2pdfの第388
ページ付近に在る。5世紀から6世紀の頃のものと
考えられているように、私には受け取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書第4pdf写真図版の
第153:”古墳時代中期遺構出土遺物(19) 
自然河川/NR5001”の下から2段目の左に
在り、遺物番号第77番との旨ナンバリングされて
いる。
 発掘報告書第2pdfの第236ページ付近の
記載によると、瓶の破片と考えられているようで
ある。破片が小さくそれ以上の記載は見当たらない。

久宝寺少龍.gif

 上図のように、破片の中央やや右に、大きく縦に
ぼんやりと少龍のようにも私には見える模様が有る。
 なお、このときの発掘で10世紀後半のものとさ
れる、「足指」と私には読める刻書瓦(発掘報告書
では「足智」と読んでいる)が出土している。罹病
ないし、怪我を回復させる為の、呪い瓦のように、
こちらの遺物の方は、私には見える。
 推定される文字の内容からすると、大陸から伝わ
る龍神信仰用の祭祀用の土器の疑いが有るように私
見する。ただこの土器のカケラ第77番の成立年代
については遺構が、流動的な自然河川跡という事な
ので、古墳時代から古代の間の、どこかという程度
の精度というのが実際なのかもしれない。(2024/04/05)

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