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さいたま市南区大谷場遺跡で縄文晩期泰山墨書(長さん)

今回は、西暦1960年頃の発掘調査で埼玉県
さいたま市南区大谷場の同遺跡で、鉢型の
縄文晩期土器に「奉山」または「泰山」、更に
「山竜」「角行」のように見える、黒い煤模様
のある土器が出土しているという紹介である。
 なお、この土器は埼玉県さいたま市の市史に
載っている。
 写真の載った書籍の名称は、次の通りである。
(埼玉県)浦和市(当時)市史第一考古資料編、
西暦1974年、浦和市(現:さいたま市浦和
区等)総務部市史編纂室。
 当該成書の第260ページ付近の記載から、
遺跡の場所は、埼玉県さいたま市南区大谷場
で、南浦和駅の西口とされるが、遺跡の名称か
らみて、南浦和駅の北1キロ程度の浦和競馬場
付近なのではないかと、本ブログ管理人には
疑われる。遺物が出土したのは、大谷場遺跡の
説明の冒頭から、西暦1960年前後と、たい
へん前の事のように私は読む。
 遺物の成立年代は、成書第263ページ付近
の記載により、(埼玉県川口市)安行Ⅲα式
土器とされ、埼玉県の縄文晩期で、紀元前3~
4世紀とされているのではないかと、私には思
われる。
 遺物の写真は、成書該分冊の冒頭、口絵5に
あり「鉢型土器」と付記されている。

大谷場泰山.gif

 上図のように、黄色の四角の部分に左から右
へ横に、「泰山」ないし「奉山」のようにも見え
る黒い、煤模様があり、その他に青い四角の中
に縦に「山竜」、緑の四角に第1字目が薄いが、
驚くことに「角行」のように見える模様も有る。
 大陸から渡来した帰化人が、相当に早い時期
に、道教信仰を伝来させているようにも私見さ
れるが、「角行」は間が離れている上に、字も
薄いので、偶然模様かもしれない。
 さいたま市南区付近は山が無いものの、現地
は、坂によるアップダウンが多く、太古には小
山が有るように、認識されたのかもしれない。
 また坂を下りた所に、昔は小川も流れていて、
龍も神として伝来し信仰されたのかもしれない。
 なお蛇足だが、競馬場の他、現地は日本将棋
を表計算ソフトで指すときに、本ブログで入力
補助具として紹介している、ペンタブレット、
WACOM/BAMBOO/CTE-650等
を取り扱うディスカウントショップが、近くの
さいたま市南区太田窪店として、実際には同区
大谷口番地内にて店を出している場所である。
(2024/04/22)
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